第12話

 ママの死の詳細は女将から伝え聞くつもりでいたが、違うところからもたらされることになった。刑事達だ。堂々とモデルルームの玄関から入ってきたから、どうせこれもまた本部長に流れてダシに使われるのだろう。

 中で話をするわけにはいかない二人を連れて外に出て、いつもの休憩場所へ向かう。

「従業員の話では、あなたが彼氏だったとか」

「そうですね」

 五十過ぎに見える年配の一人が質問を担当し、若い刑事が手帳に何かを書きつける。役割分担ができているらしい。

「何か飲まれますか」

「いや、お構いなく」

 躊躇いなく断った刑事に頷き、煙草を取り出す。叩いて飛び出した一本を勧めたら、こっちは手刀で応えて引き抜いた。ママの店のライターで火を点けてやると、目を細めて最初の煙を吐く。俺も自分の一本に火を点けた。

「すんません。で、最後に話した時のことをお願いします」

「はい。金曜の夜、店に行ったら定休日でもないのに閉まっていたので、具合が悪いのかと心配して電話をかけました。七時半頃だったと思います。やはり具合が悪くて、病院で点滴を受けて薬をもらって帰ったと聞きました。手は足りているかと尋ねたら、若い子が夕飯を持って来てくれたから大丈夫だと。ゆっくり休めるようにお嬢さんを預かると申し出たのですが」

「娘さんとは、面識があったんですか?」

 遮るように尋ねた若い刑事を、灰を弾きながら眺める。

「いえ、ありませんでしたが。何か引っ掛かることでも?」

「連れ子に対して積極的な男ってのはまあ、珍しいので」

 積極的な男、か。多分こいつは「消極的な男」なのだろう。

「惚れた女が大切にしている存在なら、それ以上に大切に扱うのは当たり前では? まあ、彼女にも断られましたけどね。娘の初恋の相手が私になったら困るからと」

 あの言葉に笑ったのは、次があると思っていたからだ。ないと知っていれば、押し掛けてでも傍にいた。

「それで、電話のあとは?」

 再び刑事側に戻った主導権に、頷く。

「コンビニで夕飯を買って宿舎に帰りました。宿舎で夕飯を食べて風呂に入って、娘の寝かしつけを。なかなか寝なくて、絵本を五冊読まされました」

 読んでは渡され読んでは渡され、終わらなかった。保育園に行くようになったら疲れてすぐ眠るかと思いきや、昂ぶった神経が収まらないのか以前より寝つくのが遅い。これも慣れ、なのだろうが。

「ちょっと変わった娘さんですよね」

「『変わった』とは?」

 引っ掛かる言葉に煙を吐きつつ視線をやると、若い刑事が慌てた。

「あっ、すみません! その、突然あなたの子供として現れたと、こちらの方に報告が上がってましたんで」

「『娘』とおっしゃっとるってことは、認知することにしたんですか」

「はい。今、児童福祉課に身元の確認をお願いしているところです。戸籍が分かり次第、手続きします」

 浅月から、その後連絡はない。急ぎではないと思われているのかもしれないが、まあ役所なんてそんなものだろう。

「娘を寝かせたあとは家事を済ませて居間で軽く酒を飲んで、日付が変わった頃に寝ました。彼女があまり良くない死に方をしたのは聞いています。自殺かと思ってましたが、刑事さんが来られたってことは違うんですね」

 こちらから切り込んだ俺に年配の刑事は煙を吐き、頷いた。

「娘さん、夜中の物音に目覚めて、母親のとこに行ったそうなんです。そしたら、母親の上になんかが乗っとったんだと」

 自ずと思い出されるいつかの光景に、少し煙草を噛む。もちろん、きよはちゃんと眠っていた。俺が眠る時も、隣の布団で寝息を立てていた。でも、おそらく「そういうこと」ではない。

「何か、とは」

「それが、『小さい幽霊』だったと。まあ子供の表現なんで、比喩的なもんでしょう。実際には身を屈めて小さく見えた加害者だったはずです。子供には到底できんやり口ですし」

「内容を聞いてもいいですか?」

「自分の髪で首絞められた上に、肺が潰されてまして」

 俺も、あの時きよを止められなければそうなっていたのだろうか。あの力は子供のものではない。子供には無理だ。

「何か、心当たりでも?」

 途端に鋭くなった視線を鼻で笑った時、モデルルームの角からきよが姿を現す。駆け寄る姿に、慌てて煙草を遠くに上げた。

「すみません。心配になったみたいで」

 遅れて現れた長尾はすまなげに話すが、意図は透けて見える。利用されたのは、きよの方だろう。

「分かった。きよはいいから、戻ってて」

 携帯灰皿で煙草を消しながら出した指示に、踵を返して戻って行く。

「すみません、煙草消してもらっていいでしょうか」

「あ、そうですね。すんません」

 刑事が同じように煙草を消すのを確かめ、せがむきよを抱き上げる。

「よう似てますね、別嬪だ。こりゃあ将来、心配ですなあ」

「私みたいな男じゃなければ、誰でもいいですよ」

 いつものようにしがみついたきよは、不機嫌そうな表情で刑事を見つめる。ここで予言されても困るが、発動は気まぐれで、規則性があるようでもない。

「何かありましたら、おいでになるのではなくこちらにご連絡を」

 きよを片腕に抱いたまま、どうにか名刺入れを出して一枚引き抜く。刑事は恭しく受け取ったあと、自分達のものを差し出して帰って行った。

 小さな幽霊、か。

 俺のところに来たのは犯行の可能性を探ってのはずだが、その割に踏み込みは浅かった。多分、幽霊の犯行よろしく「何も残っていなかった」のだろう。鍵の掛かった家の中で痕跡を残さず人を殺すなんて、無理な話だ。

 でも、きよではない。生まれた疑惑は見ないふりをして、缶ジュースを二本購入して中へ戻った。

「大丈夫だった?」

「はい。あちらも仕事ですから、とりあえず聞いて回らないといけないみたいで。ご迷惑をお掛けしました」

 長尾とマダムにジュースを渡し、きよを連れてバックヤードを出る。キッズスペースへ駆け出すきよを眺めたあと、書類仕事に戻った。

 契約締結と仮押さえを合わせて八戸、残り二ヶ月で八戸は売れない数字ではない。契約者の御礼回りで紹介してもらえそうな感触はあったし、宅配便のおっさんが今度家族連れで見に来る予定だ。残りは、どこに売るか。

 手堅いところに売りたいから、浅月に状況を聞く名目で市役所へ足を運ぶのがいいかもしれない。あの職員のその後も確かめたい。

 沙奈子が電話を鳴らす気配はないが、放置されているわけじゃないのは分かっている。俺より遥かに詳しい沙奈子が知らないのだ。あったとしても、埋もれてしまうようなネタなのだろう。そんなマイナーを極めたような話がなぜ、親父のところに届いたのか。

 あれは、俺が六年生の時だった。親父が彫っていたのは、二、三十センチほどの仏像……ではあったのだ、確かに。代わり映えしない観音像の頭も確かについていた。でも仏像になんてまるで興味がなかったのに覚えているのは、仏像の腹の辺りからは気味の悪い化け物の造形がくっついていたからだ。

――いいから、見るな。見たことも言うなよ。

 それは何かと尋ねた俺に、親父は素っ気なく返して背を向けた。なんだよ、と悪態をついてわざと覗き込もうとしたら、軍手の拳が飛んできたのを覚えている。いつもの、昼間の手だ。夜になると、親父はその軍手を外して家に来る女達を抱いていた。

 それを知ったのは十歳にもならない頃、襖の隙間から親父の上で揺れる女を見た時だ。母親のいない俺にとってそれは驚くべき「物体」ではあったが、性欲や卑しい感情は微塵も湧いてこなかった。その代わりあの滑らかに撓る線に親父の仏像、特に観音像を見て、「そういうことか」と何かが腑に落ちた。親父が模した観音を作っているのか、元々女が観音に似ているのか、今の俺は後者だと信じているが、どちらかだろうと思ったのだ。

 まあそんな瑞々しい感受性も、最後には嫉妬に駆逐されたのだが。

 傍らで揺れた携帯を確かめると、女将からのメッセージだった。今日は定休日だから、来店の催促ではないだろう。

 『ごめんね仕事中に 今日泊まりに来られない?』『子連れでいい?』『いいから来て こわいの』

 女将の返信に、血の気が引くのが分かった。まさか。

 『了解 何かあったの?』『最近なんか変なの 誰かが部屋にいる』『警察には?』『見てもらったけど大丈夫だった でも誰かがいるのよ』

 畳み掛けるように訴える女将に、いやな汗が滲む。ママの次は、と浮かぶ予感にきよを見る。違う、きよではない。あの金色に光る目を持った「何か」のせいだ。親父を殺した、あの。

 『7時半くらいに行くけど 何かあったら迷わず110番して』『ありがとう ごはん準備しておくから』『ごちそうになります』

 送り終えた携帯を置き、顔をさすり上げて溜め息をつく。何かが起きているのは分かる。でも、何が起きているのか。親父が彫っていたあの仏像について知っている奴がいればいいが、長屋はとっくに消えたしあの女達は俺を守ったあと離散してしまった。今はどこで何をしているのか、生きているか死んでいるのかすら分からない。

 ふと感じた気配に手を下ろすと、いつの間にかそばに来ていたきよが、じっと俺を見上げていた。

「きよちゃん、君は何者なのかな。どうして、俺のところに来た?」

 尋ねたあとで気づく。これでは八つ当たりと変わらない。きよが「金色の目」に関わっているとしても、そこにきよの核はない……はずだ。

「ごめんね。おいで」

 手を伸ばせばすぐに応えた体を膝に乗せて、抱き締める。頬に当たる柔らかな髪に目を閉じ、長い息を吐いた。

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