第11話
翌朝、目を覚ます頃にはもう海藤は飛んでいた。飛んで高速で玉突き事故に巻き込まれ、前後を走るトラックに圧殺されていた。
「最近、お前んとこはよく死ぬな。疫病神にでも憑かれたか」
「海藤は飛んだあとですから、もう俺のとこじゃありませんよ。それより、新しいのを回さないでください。ここは俺と長尾で売り切りますんで」
まるで全てを知っているかのような口調で窺う本部長に、現実的な要求を突き返す。指先で弾き落とした灰を、冷えた風が敷地の奥へと散らす。あと一週間ほどで十一月、東京なら一層乾燥が進む時期だが、ここは日に日に湿度が増していく。マダムの話だと十二月上旬には雪がちらつき始めるらしい。早く脱出して、きよを連れて東京に戻りたい。そして、そのあとは。
「そうはいかねえんだよ。社長が第二第三の高瀬をお望みで、お前につかせろって煩くてな。使えねえ奴らに基本給二十五万を払い続けるのが、いよいよいやになったらしい」
「天賦の才に努力で追いつけるとでも?」
呆れた俺に、本部長は電話の向こうで珍しく大笑いした。
「今日会うから、まんま言っといてやるよ。まあ、海藤の件はよくやった。さすがに俺が飛ばすわけにはいかねえからな。あとはこっちでうまいことしとく」
俺のところへ送り込んだのは、やはり本部長も「知っていたから」だろう。俺より遥かに簡単に飛ばせるくせに、いけしゃあしゃあと言ってのける図太さが癪に障る。とはいえ、端から味方だと思ったことのない相手だ。特に今は、下手に出ておく方がいい。
「ああ、そうだ。娘を認知するんだってな」
「はい。その予定です」
「そうか、お前ほどの女たらしでも娘には陥落か」
相変わらず、長尾は役目を全うしているらしい。願わない方向へ進んだ話に、胸で舌打ちをして煙を吐いた。
――いなくなったひと、しぬよ。ぺしゃんって。
俺の耳元で囁くように零された予言は、もちろん当たった。今はもう、きよが極端に色白だった理由も五歳ながら三歳児並みの発達だった理由も幼稚園や保育園に通っていなかった理由も簡単に想像がつく。母親は、きよの予言を恐れて外の世界に触れないように「閉じ込めていた」のだろう。
でも俺は、それを望まない。ただきよをこのまま外で生かすには、俺の尋常ならざる忍耐と努力が必要だ。そのためには。
「しんがり辞めるなんて言わねえよなあ」
低く響く凄む声に、思わず黙って煙草を噛む。
「勘違いしてんじゃねえぞ、高瀬。俺もお前も、小綺麗な名刺持ってるだけの詐欺師かヤクザだ。しんがり辞めようが退職しようが、てめえの本質は変わらねえ。娘とお手手繋いだ平和な暮らしで満足できる、お上品な器じゃねえんだよ」
「分かってますよ、そんなこと。ところで本部長」
短くなってきた煙草を弾き、鈍色の空に向かい似たような色の煙を吐き出した。
「うちの開発計画の情報、いくらで売れましたかね。だいぶ儲けたんじゃないですか」
本社に引っ込んだ本部長と違い、俺は現場でありとあらゆる情報の渦中にい続けている。競合との連携を嫌う奴もいるが、俺は必要に応じて客を流すし紹介もする。情報はその見返りみたいなものだ。玉石混交だが、たまにとんでもないものが交じりこんでいる。たとえば、黒い繋がりの臭いとか。
「平和は、お互いを思い遣る気持ちがあってこそ続くもんじゃないですかね」
「言うようになったなあ、高瀬」
「ピンハネばっかする上司に育てられたもんですから」
就職して最初に飛ばされた支所で、所長をしていたのが本部長だった。本部長と俺はその後ニコイチで異動を繰り返したが、別に気に入られたからではない。どの支所においても一番の成績を上げる俺が「ピンハネするのに最適な部下」だったからだ。
「どうだろうな、親の顔もろくに知らねえバラック生まれが効いてんじゃねえか」
少し間を置いて、粘りつくような声が俺の育ちを嘲笑う。舌打ちしそうになって、慌てて短くなった煙草を噛んだ。
「子供育てるんなら『営業トップの父親』の方が見栄えはいいぜ? 特に娘だしな。せっかく高瀬一族に滑り込んでロンダリングできたんだ。娘にドブの味を教えてやるなよ」
親が子供のことで何か言われたとしても、未熟さを補ってやるのは当たり前のことだ。でも、逆はそうではない。進学、就職、そして結婚。俺が、俺の生まれが足枷になる日は現実としてあり得るだろう。言い返せなかった。
通りの向こうにこちらへウインカーを出す車を見つけ、殺意を浮かべているであろう表情を整えるために眉間を揉む。
「……客が来たんで、切ります」
「おう、しゃんしゃん売ってくれ」
本部長は下卑た声で促し、通話を切った。クソが、と小さく悪態をついたあと腰ポケットに戻す。風に乱された髪を掻き上げ、出迎えに備えてモデルルームへ戻った。
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