第7話

 所長の訃報に際し本社が出した人事異動の通達は、俺の所長昇格と営業の追加だった。すぐさま本部長に抗議の電話をかけたが「全部売ったら戻してやる」の一点張りで、埒が明かなかった。

 所長に四十代や五十代が就くのは、客に安心感を与えるためでもある。身内を黙らせる実績があろうと、客にそんなことは関係ない。三十半ばの俺が所長の名刺を出したところで、若さが不安を抱かせてしまうのは目に見えている。特にちょっとしたネガティブ要素で「もう少し考えてみます」とシャットダウンしやすいこの土地では、愚策でしかないのだ。

――トップが泣き言言ってんじゃねえよ、しんがりの根性見せろや。

 かつてこの位置にいた相手の言うことだから、ろくに経験したことのない奴に言われるよりはマシだ。ただ、手の内を知っているから容赦がない。

 客に合わせて押して引いて、ダメなら回り込んで、時には迎え撃つ。巧言で丸め込み、人生で一番高いものを買わせていく。売ってるものはまともでも、やってることは詐欺師のそれだ。法に触れないぎりぎりのところを、常に攻めている。

――その代わり、「娘の件」は俺の腹に納めといてやる。しゃんしゃん売れよ、高瀬。

 低い声で揺らす本部長に、背中がひりついた。

「おつかれさま、午前中ありがとう。弁当食べて」

 全員分の昼ごはんを調達して出勤したモデルルームは、予想どおり閑散としていた。土日はまだ数人来るが、平日は一人も来ない日がザラだ。それでも昨日、俺が詰めていた客が一組決めてくれた。所長の死亡で動揺が続く状況を、落ち着かせてくれた朗報だった。

「それで、協力してもらえそうなんですか」

「とりあえず健診データとか相談とか、考えられるところを掘り返してくれるってさ。親の可能性があるし今のとこ問題なさそうだから、進展あるまではこのまま面倒みてくれって」

 長尾にとんかつ弁当、マダムにロコモコ弁当を手渡しつつ、状況を報告する。

「保育園の方は大丈夫そう?」

「無認可のところならいけそうなんですけど、本人がどうもね。小児科と市役所のキッズスペースで発覚したんですけど、同年代の子供が苦手っぽいんですよ」

 席の一つにちょこんと座って待つきよの前に、おこさま弁当とフォークを置く。

「かわいそうに思えても、入れて慣れさせといた方がいいわよ。ある程度は集団生活に慣れとかないと、小学校に入った時が大変だから」

「ああそうか、そうですね」

 確かに一度も集団生活に触れないままで小学校に入学すれば、とんでもない負担になるだろう。あと、と継いで、マダムは俺の手元に視線を落とした。

「それくらい、自分でさせなさい。なんにもしなくなるわよ」

 きよの弁当から輪ゴムを外そうとしていた手を止め、苦笑する。

「どれくらいまでなら手を出していいのか、分からないんですよね」

「意識しないと、あなた手癖で全部しちゃうでしょ。まずはさせてみて、できなければその時にサポートすればいいの」

 さすが、三人の子供を育て上げた母親は言うことが違う。輪ゴムを元に戻し、少し腰を屈めて視線を合わせた。

「きよちゃん、自分でお弁当の蓋開けられるかな。ここのゴムを外すんだけど」

 差し出した弁当を受け取ったきよは、ぎこちない手でゴムを引き抜き蓋を開ける。

「すごい、一人でできた。よくがんばったね」

 思わず頭を撫でた俺に、きよの小さな小鼻が少しだけ開く。誇らしいのだろう。無表情でも、観察すれば分かることもある。

「高瀬さん、保育士の適性もありますよね」

「こんなのがいたら、PTAが修羅場になるわよ」

 いただきまーす、と弁当に向かう二人に続き、傍らのパイプ椅子を引き出して俺も座る。自分は、鶏南蛮弁当にした。

「今まで修羅場になったこと、ないんですか」

「あるよ、一回だけ。聞く?」

「やめときます」

 ヤバい臭いを察知したのか、長尾はあっさりと辞退して弁当に向かう。まあ、聞かない方がいいだろう。人生で一度だけ経験したその修羅場で、俺の親父は死んだ。

「そういえば、新しい営業ってどんな人ですか」

「競合からの転職で、四十過ぎらしい。営業スタイルができてるから、面倒くさい年代なんだよなあ。ただでさえ癖の強い奴しかいないのに」

 唐揚げにフォークを突き刺すきよを確かめて、箸を割る。確かに、小学校までに必要なことは山程ある気がする。箸はもう買ってあるから、今晩から教えるか。

「私いろんなとこで働いてきたけど、こんなギラついた職場初めてよ」

「弱肉強食を地でいく業界ですからね。客に迷惑掛けなきゃ何しようが、裏側まで誠実である必要はないんです。売った奴が強いんだから、穫れるもんなら獲ってきゃいい」

 笑みで一瞥した長尾の視線が逸れたが、脅したわけではない。陥れようが密告しようが売れば勝ちの、積み上げた数字だけが物を言う仕事だ。

 来客を告げるチャイムに弁当を置き、表へ向かった。


 新規の来客は八十代の女性、資産を現金のまま相続させたら精神遅滞がある次男の分を長男と嫁が使い込みそうだから、と次男の分は不動産にして生前贈与することに決めたらしい。もちろんそれで完全に防げるわけではないが、賢いやり方だ。希望の低層階2LDKは売れずに困っていた部屋だから、こちらとしてもありがたい。

「次は次男連れて来る予定だから、勉強しとかないとなあ。状況に合わせて提案できるオプションも変わってくるだろうし」

「どんな状態か、聞いた?」

「今も一人暮らししてるから、基本的な生活は問題ないみたいです。でも、金の管理や手数の必要な料理はできないそうで。複雑なことが無理なんでしょうね」

 そう、と短く返してマダムは息を吐く。なんとなく察せたものはあったが、口にはしない。隣で昨日買ってやった絵本をめくったり戻したりしているきよも、このままだと「そういうこと」になってしまうのかもしれない。死の予言をする時だけ話すと明かせない以上、「話せない」扱いになるのだろう。「話さない」と「話せない」には、大きな隔たりがある。

「ちょっと一服してきます。多分買うんで、203号室のデータベースは一旦押さえといてください」

「契約書類は?」

「そっちは次で詰めてから、お願いします」

 アンケートをマダムに渡し、外へ向かう。一服しつつ電話中だった長尾は、俺を見て気づいたように通話を終えた。

「おつかれさまです、どうでした?」

「次で決めて、その次契約だな。203だ」

「相変わらず、すごいですね」

「遊びに来たわけじゃねえからな」

 煙草を引き抜きながら答えた俺に、長尾は黙る。この前ママにもらったばかりのライターで火を点け、最初の煙を吐き出した。すっかり萎縮した「敵」を、鼻で笑う。

「この程度で目も合わせられねえのかよ。潰してのし上がる気もねえのに吹っ掛けたのか?」

 本部長にきよのことを報告したのは当然、長尾だ。蹴落とすには弱いネタだが、握られたのは面倒ではある。

「客に迷惑掛けなきゃ何しても許すから、好きにしろ。あ、あときよちゃんになんかすんのもナシな。里親に渡すまでは俺が保護者だ」

「育てないんですか」

「俺に『父親』ができると思うか?」

 煙に目を細めながら確かめた長尾は、黙って煙草を携帯灰皿へねじ込む。

「結構、似合ってると思いますけどね」

 肩で息をして、中へ戻って行った。

 鼻で笑い煙草を噛んだ時、携帯がメッセージの着信を告げる。この前、子供用品店で買い物を手伝ってくれた店員だった。その後の様子を尋ねる脈アリの文面に礼と現状を綴ったあと、手癖で追加していた飲みの誘いを消して返信した。

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