第6話

 週明けの月曜、ママのアドバイスどおり小児科と歯科を回る。風呂で確かめた体に痣や傷はなかったが、小児科医は発育の遅れを指摘した。

 一般的な五歳の女児なら百十センチほどあるべき身長が、きよは九十五センチ、体重も十三キロと三歳児程度の体格だった。小児科医は俺に児童福祉課への相談を勧め、これまでの健診で低身長を指摘された「きよ」を探せば見つかるかも、と案を授けてくれた。

 続いて訪れた歯科では二本の虫歯も指摘されたが、それよりもっととんでもないことが判明した。

――この子、舌が二枚ありますよ。もしかしたら、このせいで話せないのかもしれません。

 小児科医は喉しか見なかったし、「あまり話さない」のは体格と同じ発育の遅れのためだと判断していた。まさか、器質の問題だとは思わなかったのだろう。傍らから覗き込んだ小さな口の中には確かに、見慣れた舌の下にもう一枚、白っぽく細長い舌があった。

――他意はないので情報としてお聞きいただきたいのですが、これとよく似た舌を資料で見たことがあります。ただ、人間ではなくて「猿」なんです。

 人では見たことがありません、と困惑したように歯科医は継いで、傍らのタブレットでそれを検索して見せた。

 「二枚舌」は猿の中でも原始的なものとされる原猿類が持つ特徴らしい。ロリスやキツネザルと言われてもすぐには思い浮かばないが、証拠の動画では、確かにさっききよの口の中で確かめたものとよく似た舌が動いていた。

――今後どう対処されるにしても、まずは親御さんを探されるのが先決です。

 歯科医のアドバイスも行き着くところは同じ、児童福祉課だった。

「……というわけなんですが」

「そう、ですか」

 対応した浅月あさつきと名乗る若い女性職員は、情報量の多い俺達の来訪に明らかに困惑していた。ええと、と仕切り直すように零れ落ちた髪を耳に掛け直し、手元の用紙に視線を落とす。

「順番にいきましょう。まず、あなたは父親である心当たりはあるものの、状況的に認め難い面があると思ってらっしゃると。ちなみに、もし本当に父親だった場合には、認知されるおつもりはありますか」

「はい、それはもちろん。喜んで認知しますし、養育費も払います。結婚以外ならなんでも」

 鬼門を除いた答えに、浅月はペンを走らせながら俺を見る。胡散臭さ半分、苛立ち半分といったところか。感情を消すのが下手なのは若さゆえか、別に煽る必要はない相手だ。

「このとおり、女にだらしないので結婚には向かないんです。試しに挑んでみて無理なら壊していい家庭なんて存在しませんし、あの子が傷つきます」

 ほかの職員とキッズスペースへ向かったきよを見ると、呼び掛けにも応えずじっと俯いていた。似たような年頃の子供が遊んでいる中で、漬物石のように据わっている。同年代の子供達との関わりに慣れていないのは、小児科の待合室でも感じた。首にしがみつく手が何度となく俺のシャツの襟を握り直したおかげで、今ではすっかりよれよれだ。

「もし父親だった場合に、養育されるおつもりは?」

「そこ、なんですよねえ」

 投げられた問いに視線を戻し、苦笑する。浅月は戸惑った様子で、はあ、と答えた。

「引き取って養育すること自体に抵抗はないんですが、自分が父親として正しく機能するとは思えません。我が子であろうとなかろうと、あの子はかわいいです。ただ子供が『かわいい』だけで育てられないのは、私にも分かりますから。殴ったりネグレクトしたりする奴だけが、悪い親じゃないですよね。逆に、金を稼いで一定水準以上の衣食住を与えれば良い親ってわけでもない」

 ペンを止めて品定めするように見据える視線を、避けずに受ける。少し笑むと、ぎこちなく視線が逸れた。

「たとえ実父であっても私のような不誠実な男に育てられるよりは里親の家庭で、誠実な人達に育てていただいた方がいいでしょう。私は、詐欺師みたいなもんですから。子供に誇れるようなものは、何も見せられません」

 苦笑交じりに継いで再び確かめたきよが、ゆっくりと顔を上げて俺を見る。気づくと腰を上げて、ブースを出ていた。

「すみません。同年代の子供達が苦手みたいで。おいで、きよちゃん」

 傍らに腰を落とすと、きよはすぐに両手を上げる。抱き上げた途端、子猿のようにしがみついて力を込めた。まるで、救われるのを待っていたかのようだ。今日も三つ編みの後ろ頭を撫で、落ち着かせるように小さな背を叩く。

「みてくださってありがとうございます。あとは、一緒に話を聞きますので」

「分かりました。それにしても、よく懐いてますね」

 対応していたのは、マダムと同世代に見える女性職員だ。多分、子育て経験者だろう。左手の薬指には年季の入った指輪がはまっている。

「適当だから、楽なのかもしれませんね。『かわいい』と無責任に言ってればいい立場ですから」

 かといって親の責任を背負わされても、変われないのは予想がつく。よ、と腰を上げて踵を返し、浅月の待つブースへ向かう。

「あのひと、しぬよ」

 肩越しに聞こえた二度目の声に足を止め、指先の行方を確かめる。

「おなかが、ぎゅっとなってしぬ」

 きよの指差しを勘違いして手を振るさっきの職員に最後の会釈をして、ブースへ戻った。

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