ささやかな余白

帆尊歩

第1話 ささやかな余白

色紙には、クラス全員の言葉が書かれていた。

クラス委員の僕は、出席簿と照らし合わせて、書いていない奴がいないか確認するため、名簿にレ点を入れて行く。

そもそも転校の色紙など、書きたい奴が書くもので、書いていない奴を僕が確認するという作業が、そもそもおかしい。

でも今回は特別だ。

そう特別なのだ。

僕は小学校から彼女を知っていた。

家が比較的近くて、登校の時見かけては、可愛い子だなと思っていたけれど、六年間同じクラスになることはなかった。

それが中学に上がると同じクラスになった。

そして二年に上がっても同じクラス。

これは運命だと僕は思ったが、よくよく考えれば、小学校の六年間、一度も同じクラスにならなかったから、そこに運命なんかない。


彼女は目立たない存在だった。

別にいじめられていたということではない。

いや変に目立たないようにしてはいたかもしれないが、教室では終始静かで、数少ない友達と、ささやくように話していた。

そう、彼女は完全にクラスに埋没していた。

僕も人の事はいえない。

だから中学二年に上がった時、めんどくさいクラス委員を押しつけられたのだ。

僕は彼女の事が好きだった。

あるとき、僕は彼女を町で見かけた。

その時の彼女は、母親と一緒に夕飯の買い物をしていたようで、楽しげに母親の腕にまとわりつき、笑いながら買い物をしていた。

ああ、これが本来の彼女なんだなと僕は思い、そんな明るい彼女に恋をした。

そんな彼女が、中学二年に上がってすぐに、事故にあった。

車で家族で出掛けて、大型トラックと正面衝突したらしい。

両親と弟がなくなり、彼女も足に深刻な怪我を負った。

彼女は学校に来なくなった。

命が助かったとはいえ、足の怪我は結構深刻で、長期の入院が必要になった。

二年に上がって、クラス替えをしたばかりで、彼女のことを知る人間もそれほど多くなかった。

だからクラスメイト一人が来なくなっても、教室は何も変わらなかった。

でも、それが僕は許せなかった。

きっとそれは、僕が彼女のことが好きだったからかもしれない。

初めて一緒のクラスになった子が急にいなくなっても、そこに違和感はない。情報として、かわいそうと思うだけだ。

それは仕方のないことかも知れない。

そんな彼女が転校することになった。

事故で彼女以外の家族がいなくなった。

あの夕方のスーパーで彼女がまとわりついていたおばさんも、もうこの世にいないということだ。

家族全員がいなくなった彼女は、親戚に引き取られる事となり、転校するのだ。

このクラスでの彼女は、存在が希薄だった。

だからクラス委員の僕は、全員参加の寄せ書きを提案した。

乗り気ではないやつもいたけれど、反対する者はいなかった。

僕が少し強制的に書かせたので、一行の奴も多数いた。

そもそもきちんと書いているのは、一年から一緒か、小学校から一緒の奴ばかりだった。

それでも何とか一枚の色紙を埋めた。

明日は彼女が、転校の挨拶に来る。

彼女は、このクラスに何も残せなかったかもしれない。

でも、これは最後のけじめだ。

この色紙を明日彼女に渡す。僕はもう一度点検するように色紙を見渡した。

すると、真ん中少し下にささやかな余白が出来ていた。

何とか色紙全体を文字で埋めたせいで、その余白は変に目立っていた。

そこで僕は意を決して、一つの言葉を書いた。

でも恥ずかしかったので、上に付箋のシールを貼った。

もしかしたら彼女は気付かないかもしれない。

まさか、こんなシールの下にも言葉があるなんて。

でもいい。

それでいいと僕は思った。


次の日、彼女は車椅子で登校した。

その姿は痛々しい姿だったが、あまり彼女の事を知らないクラスだったから、彼女への心配よりも、客観的な同情の空気が流れていた。

僕はムカついたが、仕方がない。

まだクラスメイトとして認識し合う前に、彼女は怪我をして、学校に来なくなったから、お見舞いだってクラスで何人か選ばれて僕が引率して、お見舞いに行った。

本来なら、付き添っているはずの親はすでになく、彼女は一人でベッドに固定されていた。

その時、一緒にお見舞いに行った子は、最後の挨拶をする彼女に涙したけれど、別れは終始乾いた雰囲気だった。

僕は最後に色紙を渡したけれど、彼女は涙をこぼさなかった。

でも、それはこれから一人で生きて行かなければならない、という覚悟の強さだったように僕は思う。

「頑張れ」と僕が言うと、教室の中から同じように頑張れの声が聞こえたけれど、彼女は泣かなかった。

でも僕の顔を見たときだけ、少し目を潤ませた。

でも泣きはしなかった。

そしてしばらく僕の顔を見つめると、小さく

「ありがとう、そしてさようなら」と言った。

僕は頷く事しかできなかった。

彼女は担任に車椅子を押されて、教室を出て行った。

僕はそれをいつまでも見送ると、教室の中は彼女の事なんかなかったかのように、元の教室に戻っていた。

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ささやかな余白 帆尊歩 @hosonayumu

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