エピローグ 寝かせてって言われちゃった

「あー、コーくんも

ASMRハマっちゃったんだー?」


わたしが家に帰ってくると、

コーくんはリビングのイスに座り

ケーちゃん師匠に耳をいじられていた。


多分指を耳に入れられる『指かき』だと思う。

コーくんは恥ずかしそうに顔を下に向けるが、

ケーちゃん師匠に抑えられてわたしに顔を向けさせられる。


「違う。ナニカサレテル。

実験体とか練習相手にさせられてるだけだ」


「コーくんが私のこと、

『おばさん』呼びするのがいけないのよ」


ケーちゃん師匠はコーくんに

そう言いながら頭をモミモミした。


ゲームばかりする頭が揉まれて

コーくんが短い声を漏らす。

これはコーくんが悪い。


「ところでクーちゃん、作戦はどうだった?」


「おかげさまでうまくいきました。

 ありがとうございます」


わたしはケーちゃん師匠の気遣いに答えながら、

ケーちゃん師匠の家の鍵をちゃりっと返した。


でもケーちゃん師匠はすっと手のひらを前に出して、

鍵を持つわたしの手を押し返す。


「防音室はまた使っていいわよ。

 もちろん要予約だけどね」


「それって、収録と作戦どっちで?」


「どっちも。その代わりASMR以外で使うものとか、

 歯ブラシみたいに衛生面で

 気をつけないといけない道具は、持参すること」


「はい。ケーちゃん師匠、

 ありがとうございます。

 ナルくんの歯ブラシは持ってるから大丈夫でーす」


「そう、でも師匠はよして。

 ここまで来たら私とクーちゃんは、

 リスナーを取り合いつつ、

 高め合うライバルよ。

 リスナーの取り合いをしちゃったんだからね」


ケーちゃん師匠――ううん、

ケーちゃんはキラッと、

ウインクをしながら言った。


確かに、ここで取り合いをしちゃったリスナーのナルくんは、

わたしに取っては好きな男の子でもあるけど、

ケーちゃんからすればASMRを聞いてくれるお客さんだ。


ケーちゃんだって声優さんという仕事をしているんだから、

厳しい競争社会というのをしなくちゃなのかも。


わたしはそんなふうに解釈して、

ケーちゃん師匠に強くうなずく。


「うん、コーくんを生贄に差し出しても、

 わたしのリスナーを取られないようにがんばるね」


「そこは弟のおれを優先してほしい」


コーくんは顔を動かせないまま

おっもいため息をついた。

わたしはコーくんに手を合わせて謝りつつお願いする。


「大好きなお姉ちゃんのためだと思って、ね」


「まぁ、そう言われちゃったら仕方ない……」



ナニカサレタその晩、

コーはSC同盟のチャットルームを開いた。


「同盟のみんなのおかげで、

姉が元気になった。ありがとう」


「お安い御用だ」

「僕も恩返しができてよかったよ」

「具体的にはどうなった?」


モツがそう聞いてきたので

コーは腕を組んで考えた。


チャットが遅いからと言って疑われることはないが、

どう説明していいか悩む。


「姉は『うまくいった』としか言わなかった。

 ナル先輩に告って彼氏になってもらったなら、

 そう言いそうだから、おそらくは仲直り……

 程度の進展なんだろうな」


悩んだ末、コーは言われたことと自分の所見だけを言った。


なんだか協力してもらったにしては、

進展が少ない気がして眉をひそめる。


「テレビをかち割って

『なにも変わらねぇのかよ、結局』とか言いそうだな」


「まあ、確かに。姉は喜んでいたが、

部外者のおれからすれば、元の鞘に収まっただけにも思える」


アカオに言われて、

コーはため息混じりにチャットを打ち込んだ。


恋愛ドラマであればちゅーどころかえっちしても

おかしくない展開だったかもしれない。


そしたらそしたでコーは納得しなかっただろうが、

そうはならなかったので複雑に思えて、

キーボードの上で手が止まる。


「僕たちは『終わらないディフェンス』を

 するしかないからね」


「ショウの言う通りだが、

 コーのしたことはお姉さんに

 彼氏ができる手伝いになっちまったな。いいのか?」


モツはさらに突っ込んだことを聞いてきた。

コーは短く返事をする。


「いい」


止まっていた思考と指が再起動した。

追撃とばかりに続きを打ち込んでいく。


「『わたしの手伝いをしてコーくんに得があるの?』みたいに、

 姉に似たようなことを聞かれた。

 そのときはろくな返事もできんかったが、

 今なら言えるな。いいってな」


「そのこころは?」


「シスコンが姉の幸せを祈らないでなにを祈るんだよ」


「それはそう」

「かっこいい」

「SC同盟の標語にするか」


三人から一斉に賛同の言葉が飛んできた。

その反応と、自分がすごいことを書いた気がして、

またコーの思考と手が止まった。


(まあ、ナル先輩は悪いひとじゃなかったし、いいか)


コーは天井を仰いだ。


別に失恋ってわけじゃない。

そもそも恋と言うには違う感情がシスコンだ。

そのうちディフェンスの必要がなくなるかもしれないが、

今はこれでいいと思う。


「それはそれとして、

 姉を悲しませたら容赦なくイレギュラーとして消えてもらう。

 面倒は嫌いだから姉は渡さないつもりだ」


「そのときは協力する」

「いつでも依頼して」

「手こずるようなら手を貸そう」


SC同盟のノリに、

コーは照れくさそうに笑った。


「それでこそSC同盟だ」



次の日の朝、

ナルくんからぴろっとメッセージが飛んできた。


その第一文が日常会話らしくない。

わたしはすぐに生ASMRの感想だと分かって画面にかじりつく。


――ASMRは五感のひとつでしか感じることができません。

(厳密に言えば振動する音が皮膚などに伝わるため感覚でも感じていますが、

 ここでは誤差の範疇とします)

ですが、ASMRでは時折、

聴覚以外の五感も刺激されているのではと錯覚を起こします。

その錯覚を楽しむわけですが、

リアルであれば錯覚ではないのです。

これは自分にとって

『黄金の体験』と呼べるほど貴重なものです。


――現代社会はストレス社会なんて言われていることは、

青二才の自分でも分かっています。

そこで寝具にこだわり眠りを改善することで、

ストレスを解消しようという流行がありますが、

クーちゃんの膝枕はどの

高級寝具にもまさることはないでしょう。

うまく自分に合っただけ

……かもしれませんが、

家にある枕と比較すると、

クーちゃんの膝枕と比べるだけ失礼、

月とスッポンと表現するのすらも安く感じました。

最初に自分は黄金となどと大げさに例えたように思えますが、

金は引き伸ばしたりすることができる柔軟な金属ですので、

そういう意味でも黄金と例えるにふさわしいでしょう。


――そして耳かきは金脈を掘るような信じられない気持ちよさでした。

普段からきれいにしているのはご指摘の通りですが、

クーちゃんは『まだ金が残ってるよ』

『ゴールドラッシュはこれから』

と言わんばかりに耳かきをしてくれます。

ですがそれは金脈を閉鎖させるような乱暴さではなく、

金脈の下に石炭、化石燃料、

この世に存在しないミスリルやオリハルコンまでも

見つけてくれるような耳かきだと思えます。


――水の音もまた、黄金のサカヅキから、

気持ちよく水が注がれるような気分になれました。

実際に黄金のサカヅキから水が注がれると、

あのような音にはならないでしょう。

また大げさなたとえですが、

それほどのたとえと思ってくださればと思います。

ですが黄金のサカヅキは

『なんでも願いを叶えてくれるサカヅキ』のような

言い伝えや伝説に出てくることがあります。

つまりは自分の『リラックスして眠りたい』

という願いを叶えてくれたという意味で、

黄金であったと思えます。


――そのような黄金のASMRで眠ることができましたが、

夢を見ることはありませんでした。

夢を見ている状態というのは

脳が働いている状態だと言われています。

多くは記憶の整頓と言われてますが、

自分は疲れたとき夢を見ている

(覚えているいないに関わらず)

ことが多いです。

夢を見ていない(自覚がない)

というのはかなりリラックスした眠りだったと自分では思っており、

それを夕方という睡眠に適していない時間にできたことは、

ASMRとしてとても良かったことの証明と言えます。


――これでいいか?


わたしは読み終えるとすぐに

『うん。ありがとう』とだけ送った。


本当はこれだけのことを書いてもらったのだから、

もっと気の利いた返事をしたほうがいいかもしれない。


でもそんなの思いつかないほど嬉しくて、

わたしのこころはキャッキャキャッキャとしていて、

これ以上まともな返事を考えられないの。


スマホを抱いて、

ベッドに倒れてぐるぐるぐるぐると回った。


この感想だけで、

わたしは何年もASMRを続けられると思う。


前のも含めて、スクショを撮って、

印刷して、額縁にかざっていい。

そんな賞よりも、何億という再生数よりも、

わたしがほしかった感想だ。


この感想文をケーちゃんとコーくんに見せたら、

『黄金の怪文書』なんて言われちゃったけどね。

それでもいいの。



「おはよー」


わたしは朝、教室に入ると

ノートになにかをメモしてるナルくんに挨拶をした。

ナルくんは慌ててノートを閉じる。


「お、おはよう。元気そうだな」

「ナルくんこそ、よく眠れてるみたいだね」


「おかげさまでな」

少しあわあわな感じが残っているけど、

言葉には嫌味とか社交辞令みたいなのを感じられなかった。

多分本当に寝てくれてるみたいだ。


ノートの中身は男の子の名前と勉強のことが書かれてたので、

ナルくんのやってる家庭教師のバイトのことだと思う。

『コウ』という名前が見えた気がするけど、

名字が『百々瀬』かどうかは分からなかった。

コーくんと同じ名前は世界にいっぱいいるからね。


わたしがナルくんを見つめていると、

目を細くしたナルくんから質問が来る。


「今日はなにか仕込んでるか?」

「ASMR?」


「そうだよ。

あ、有間、百々瀬から変なこと頼まれたりしてないか?」


ナルくんは、わたしがとぼけた答えをしたからか、

近くを通りかかったフウリに聞いた。


フウリは当然分からずちょこっと首を傾げる。

「変なこと?」


「有間は茶道部だったっけ?

 そう、茶道部の部室を貸してくれとか、

 道具を貸してくれとかそういうんだ」


「ない……かな。クーちゃん、また使う?」


「今日はいいかな。また収録とかで使うときお願いね」


わたしはウインクをしてフウリに頼んだ。

フウリは小さくうなずいて自分の席に向かう。


「……なんもないか」

「だよー。そんなASMRのネタがすぐに浮かぶわけないしょー」


「そうか」

ナルくんはそれで納得したようだ。

浮かぶけどね、ASMRのネタ。



それからお昼休み。

夜ぐっすり寝ているナルくんも、

お昼の眠気には勝てない。


学食から戻ってくると自分の席で、

うとうとしている。


ちゃーんす。


わたしはナルくんに気づかれないように、

そーっとと席を立った。

用意している道具はなにもない。

今日は道具を使わないことをする予定。


ASMRと言えば耳かきだけど、

耳を刺激するASMRは道具を使わなくてもできるんだよ。


ナルくんってば、わたしとケーちゃんのASMRばかり聞いてるから、

知らなかったのかもね。


わざわざ教室の後ろに歩いて、

ナルくんの背中が見えるところでUターンした。


教室のほどよい騒がしさに、

足音を紛れさせて、ゆっくりとナルくんに近寄る。


ああ、またナルくんを寝かせてあげられるんだ。


そう思うとドキドキが止まらない。

でもドキドキがナルくんに分かると恥ずかしいしなにより、

寝かせてあげられないから抑えて抑えて。


ナルくんの背中が近づく。

わたしは手を開いた。

無防備な耳にそっと人差し指を入れる。


「お耳のマッサージだよ……」


わたしは優しくささやいた。

ちゃーんとすることは言ってあげてるからセーフ。

ナルくんは一瞬だけぴくっと動く。


「だから、急に寝かせるなって……」


ナルくんの首からガクッとちからが抜けた。

それでも言いたいことがあるからか、小さく声が漏れてくる。


「でも、気持ちいいから昼休み……終わるまで、な」

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クーちゃんはASMRで安眠させたい 雨竜三斗 @ryu3to

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