5-8 感想にダメ出ししちゃった

そこからナルくんが起きるまでは、

ナルくんの寝顔を見つめながら、

ただ頭を撫でていた。


やることはやっちゃったし、

わたしも癒やされたくてそうしてる。


あ、その前にひとつやっておかないとだった。


わたしはそばに落ちてたハンカチを拾う。

そこにミネラルウォーターを少し湿らせて、

さっきはむはむしたナルくんの耳を拭く。


「しょーこいんめつー。

 だいじょうぶだよ。

 お耳ふきふきのASMRだと思って」


ふきふき……すりすり……。


新しいシチュエーションをしていると、

ナルくんがもぞもぞと動き出した。


聞き慣れない音に反応しちゃったかな?

でもいっか。


「……よく寝れた。んが、今何時だ?」


ASMR明けナルくんの第一声はしっかりしてた。

わたしは満足した穏やかな声で答える。


「おはよう。六時ちょっと前。

 そろそろお開きだね」


「ああ、起きるぞ」

「ん……」


わたしはナルくんにはっきり

『うん』と答えられなかった。


ずっとこうしてたかったのは言うまでもない。

でもずっとこうすることはできないのも分かっている。


前にケーちゃん師匠は、

わたしにこんなことを言ったことがある。


『ASMRは人生を楽しく過ごす一要素なんだから、

 溺れちゃいけないの。

 そもそも寝すぎとイヤホンのつけすぎは体に悪いから』


それを思い出して、

わたしはナルくんの頭を撫でる手を引いた。


ナルくんはむっくりと起き上がり、

ん~っと大きく伸びをする。


「ありがとうな」


「ううん、お役に立てて何よりだよ。

 これからもクーちゃんのASMRをよろしくね」


「ああ、今晩もお世話になる」


振り返ったナルくんは

生真面目にささっと会釈をした。


さっそく頼ってくれるのは嬉しいがすぎる。

できるならナルくんの家にお邪魔してまた生ASMRしてもいい。


と思ったけど、

多分わたしがいろいろ起こすからダメかも。


そんな妄想を口にはしなかったけど、

わたしはナルくんには

どうしても聞かなきゃいけないことがあった。


迷ってもしょうがないから、

ナルくんの顔が上がったのと同時に口を開く。


「今日のASMRどうだった?」

「よかった」


「もっと長文コメントして。

 動画の感想コメントみたいに」


「無茶言うな。

 あれ頭をプレスするみたいにして出してるんだぞ」


「わたしがしたのは生ASMRなんだから、

 生でコメントほしいの」


わたしは小さいこどもみたいに

ブンブンと首を振ってわがままを言った。


首を振るのに疲れてまっすぐ

ナルくんの困った顔を見て、

わたしは気がつく。


そっか、わたしがASMRして

ナルくんに求めたのって、

褒め言葉なんだ。


ケーちゃん師匠やコーくんからは

『怪文書』なんて言われちゃったナルくんのコメントは、

わたしにとってASMRをする理由になっていたんだ。


だから前もナルくんが

コメントしてくれなくて催促したり、

自分でもびっくりしちゃうくらいがっかりした。


もちろん聞いてくれたひとに癒やされてほしいとか、

穏やかに寝てほしいとか、

ケーちゃん師匠の期待に応えたいとかもあるよ。


でももっと自己中なクーちゃんが欲しいものは、

ナルくんの褒め言葉なんだ。


「どうした?

 なにか用事を思い出したか?

 むしろ思い出してくれ。

 感想はちゃーんと明日にはまとめるから」


「やだ、感想、今がいいの。

 泊まっていいから考えて!」


「泊まるってなんの準備もないのに

 できるわけないだろ」


「歯ブラシならあるよ!

 前にナルくんに歯磨きASMRするために用意したやつ!」


「一泊するのにアメニティがそれで足りるわけあるか」


「とにかく、今すぐほしいの!

 でないと帰さないから!」


わたしは小学生みたいな声で頼んだ。

するとようやくナルくんは腕を組んで考え始める。


どんな感想をくれるかな?

気持ちよく寝てくれたから、

変なことは言っても悪いことは言わないと思う。


でもわたしにはナルくんのボキャブラリーが

イマイチつかめないから想像もできない。


エサを待つ犬のような気分のわたしに、

ナルくんは言いにくそうに聞く。


「……なぁ、スマホで打って、

 それを送るでいいか?」


「もちろん、

 あ、メッセアプリのID交換しよ?」


「いいけど、変なもん送ってくるなよ」


「そんなことしないよー。

 でもいい音見つけたら、

 それは送っていいよね?

 川のせせらぎとか、雨の音とか」


「まあ、それくらいなら」


そんなことを聞きながら、

わたしたちはスマホの電源を入れて、

メッセアプリのフレンド登録をした。


ナルくんのアイコンは

ダミーヘッドマイクの画像で、

わたしは笑みをこぼす。


わたしのはケーちゃん師匠のツテで

絵師さんに書いてもらった

『クーちゃん』のアニメ風似顔絵で、

同じものを配信サイトのアイコンにも使ってる。


ナルくんからすれば見慣れたものだと思うから、

反応がなくても仕方がない。

それより今は生ASMRの感想だ。


チャット画面を開いて、

ナルくんは一生懸命にフリック入力を始めた。


早い。ときどき、

ブラウザを開いて言葉の意味を確認したりしてる。

小説家さんやシナリオライターさんみたいだ。

ボキャブラリーってこうして広がるんだろうなぁと、

しみじみ思いながらナルくんを眺める。


集中してて、一生懸命だからか、

わたしがまじまじと見つめているのも

気にしていなさそうだった。


わたしのワガママで感想を書いてほしいって言ったのに、

ナルくんは真面目に書いてくれている。


嬉しい。


あのときの怪文書コメントも

こんなふうに考えてくれてたんだ。


文章を消しては足して、切って貼って、

ときにウンウン唸って、

脳みそをぎゅーって雑巾みたいに絞って、

わたしに気持ちが伝わるように考えてたのがわかる。


ラブレターと同じだ。


胸がドキドキ以外に、ポカポカもする。

コメント欄には他にも、

こんなふうに考えてくれてるひとがいるかもしれない。


そう思うとナルくん以外のコメントにも

いっぱいいっぱい感謝だ。


でもナルくんのコメントは

いっぱいいっぱいいーっぱい感謝だ。

「できたぞ」


ナルくんはそう言って送信してくれた。

すぐに通知が届く。

「読んでいい?」


「俺が帰ってからにしてくれ」

「やだ、読む。返事する」


わたしは防音室の入り口にわざわざ立ちはだかって、

スマホに目を向けた。

ナルくんは観念したのかでっかいため息をついて下を見る。


――過去一癒やされました。

それでいて全てが初体験で、

貴重な経験をしたと思います。


ASMRはどんなに良いマイクを使っても、

音でしか再現をすることができません。

ですが実際に同じことをされると五感を刺激され、

体全てに癒やしが行き渡るようです。

ASMRはまさに黄金体験なのだと言えるでしょう。


――膝枕なんて、幼い頃、

母親にされたかどうかも覚えてないものです。

ですが、こうして大きくなってされると、

ASMRのシチュエーションとして

メジャーな理由が分かる気がします。

どんな枕より相性がよいのです。

クーちゃんのであればなおさら。


――耳かきもとてもていねいで、優しく、

こちらの音はASMRと同じように聞くことができました。

ああ、クーちゃんは本当に耳かきがうまいんだなと実感します。


――上記のシチュエーションは実際にされると、

良さと比例する照れくささからか、

体の熱さを感じていましたが、

水の音はそんな体を涼めてくれる音でした。

水を直接かけられたり、

体にグラスを当てられているわけではないのに、

涼しさを感じるASMRのちからを感じます。

生で聞く水の音もとても心地がよく、

自然と眠ってしまいました。


――偉そうなことを言いますと、

この経験は自分だけでなく、

クーちゃんの経験値にもなるのではと思います。

なのでこれからのASMRにも期待しつつ、応援しています。


「もっと変な表現してよ」


わたしはきっぱり文句を言っちゃった。

ナルくんは顔を上げて声も上げる。

「はぁ?」


ナルくんの不機嫌な返事も分からなくはない。

せっかくめっちゃ考えて送った感想に文句を言うんだから、

わたしとナルくんが逆の立場なら

わたしはまったく同じリアクションをしたと思う。


それでもわたしは言いたかった。

なので具体的なワガママを口にする。


「ケーちゃん師匠やコーくんに

『怪文書』なんて言われるような感想がほしかったの!

 なのにナルくんの感想普通だよ!」


「あれこそ時間かかるんだって!

 最初の動画の感想だって二時間かかってんだ!

 今のはたかだか二〇分しか使ってないんだぞ。

 何分の一だと思ってんだって話だぞ!」


「六分の一!」


「即答できるくらいの頭なら、

 なおのこと分かるだろ!」


文句の言い合いに埒が明かないと思ったのか、

ナルくんはクソデカタメ息をついて、


「『怪文書』とやらがほしかったなら、

 ちゃんと明日には送ってやる。

 それだけのことをしてもらったと思ってるからな……」


ナルくんはかーっと顔を赤くして言ってくれた。

わたしは嬉しくてニヤける顔を抑えられない。

そろそろ抑えるのを覚えた方がいいとも思う。


今くれた感想文でも、十分にわたしの心の栄養にできた。

もちろん『よかった』の四文字でも得られる栄養は多い。

次のASMRをするだけのエネルギーを貰える。


でも恋の栄養は貰えない。

ナルくんの耳だけじゃなくて、

言葉も感想もわたしはほしい。

独占したいまである。


「しょうがないなぁ。

 そこまで言ってくれるなら、

 今日はここまでにしたげる」


わたしはそう言ってドアからどいて、

防音室を出るナルくんを見送った。

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