5-7 耳なめたくなっちゃった

自分とナルくんの息遣いだけが防音室にある。

これなら水の音がなくても、

耳かきをしてなくても、

寝ることができそうだ。


やっぱりこっそり録音したかったかも。


「あっ――ごめんね、

 わたしも寝ちゃいそうになってた」


どのくらいウトウトしてたか

わからないけど、すぐに謝った。


グラスのお水はこぼれてないし、

部屋の時計を見ると数分だったと思う。


「ナルくん?」

ダミーじゃないヘッドマイクに声をかけてみた。

でも聞こえるのは寝息だけ。


「寝ちゃったね……」


わたしはグラスをテーブルの上にそっと置いて、

ナルくんの頭にそっと触れた。


ジョリジョリツンツンの髪と、

かしこい頭を優しくなでる。


「目標達成、おやすみ、ナルくん」


するとナルくんが嬉しそうに笑った。

もちろん寝てるんだけど、

わたしのナデナデが気持ちいいのかも。

わからないけどね。


わたしはナルくんが

膝枕から落ちない程度に姿勢を崩した。


次からはもうちょっと

姿勢も崩したほうがいい……ううん、

そうするとわたしが寝ちゃうかもだから、

ちょっとくらい体に力入ったほうがいいかも。

それはともかく、


「えへへ、寝顔かわいいね……。

 これが見たかったんだぁ」


こうなってしまったら

ナルくんが起きない程度にやりたいほうだい。


頭だけでなく男子にしては油っぽくない頬を撫でたり、

耳に指を入れてぐりぐりしてみたり、

耳たぶをぷるぷるしてみたり。


「……うん?」

「あ、起こしちゃった?」


「ううん……」


思わず聞くけどナルくんは

また夢の世界に戻っていった。


いけないいけない。

これじゃまた癒やしじゃなくなっちゃう。

ちゃんと寝かしてあげないと。

わたしはそう思って、

ナルくんの胸に手を当てる。えっちなことじゃない。


「とん……とん……、

 これ、大人でも眠たくなっちゃうらしいよ」


ナルくんの息遣いに合わせて、

ゆっくりとしたお胸とんとんをしてみた。


するとナルくんの体からさらにちからが抜けて、

どろーんと溶けていく。


「ひとによっては『赤ちゃん扱いするな』なんて、

 言うかもしれないシチュだよね?」


とん……とん……。


「だから、今度するときは聞くよ?

 よかったら配信でも入れてみたいなぁ」


聞いてるひとは数分後には

覚えてなくていいことを語りながら、

優しいお胸とんとんを続けた。


確認用のイヤホンをしてたら

わたしも寝ちゃうかもしれない、

心地の良い音がわたしの耳にも伝わる。


とん……とん…………とん……とん……。


「あ、でもダミーヘッドマイクは頭しかないから、

 他のひとはどうしてるんだろう?

 バイノーラルマイクを別に用意して、

 そっちにとんとんしてるのかな?」


聞くように語りかけたけど、

もちろん返事はなかった。

ないのが正しい。


「ケーちゃん師匠に聞いてみるね。

 とん……とん……落ち着いたかな」


わたしはお胸とんとんを止めて、

ナルくんの寝息に耳を澄ませてみた。


とてもリラックスしてて、かわいくて、

やっぱり録音したくなっちゃう寝息だ。

部屋の静かさと反発するように、

わたしの胸が騒がしく動き出す。


「ねえ、ナルくん、

 ここにはわたしとナルくんの

 ふたりしかいないよね?」


聞くまでもないことをわたしは聞いた。

ナルくんの寝息を勝手に返事として受け取る。


「だから、ちょっと他所ではできないこと、

 してもいいよね?」


ナルくんの耳に口を近づけて、囁いた。


絶対に偶然だと思う。

本当に質問に答えるようなタイミングで

ナルくんは寝返りをうった。

わたしの膝枕から落ちないまま右耳を上に向ける。


これはもう日本語で『はい』か

英語で『イエス』かドイツ語で『ヤー』か

フランス語で『ウイ』か中国語で『しー』か

韓国語で『ねぇ』にしか受け取れなかった。


わたしは体を丸めてナルくんに近づいた。


これ以上近づくとわたしの胸の高鳴りが

聞こえてしまうかもしれない。


それならそれでいいと思った。

ナルくんが起きちゃってもしょうがないことを、

わたしは思っている。


「耳、なめたい」

一切隠さず言った。


わたしはスイーツを前にする

女子みたいな顔をしていると思う。

でも、ナルくんはスヤスヤと気持ちよさそうな寝顔のまま。


わたしは囁くときよりもさらにナルくんの耳に口を近づけた。


もう舌を伸ばせた届いちゃう。

でも唇と唇を合わせたちゅーするみたいにしたい。


耳ふーをすっごい近くでするみたいになって、

目で距離感が分からないくらい近づいて、

わたしはナルくんの耳を、


「はむ」

くわえた。


こう言うとヘンタイみたいだけど、

おいしいって思っちゃった。


もしかしたら好きなひととキスすると

こういう味がするのかもしれない。

さらに味わいたくて唇で耳を挟む。


スキを見せたわたしとナルくんが悪いんだからね。


息を吸うのにあわせて、

わたしは口を離した。


もっとしてたいけど、

やってるうちに気持ちがエスカレートして、

多分耳舐めるまでするかもしれない。


それどころか唇を勝手に奪って、舌入れて、

考えるだけで恥ずかしくなるような

えっちなASMRのシチュエーションを

やってしまうかもしれないと思う。


そもそもわたしは、

ナルくんとお付き合いをしているわけでもないし、

告白すらもできていないんだよ。


それなのにあんなことやこんなことをするのは、

大人の世界のこと。


わたしたちが聞けるASMRでできるのは、

これが限界なんだよね。


ここから先は、わたしたちには早い。


でもわたしはどうしても言いたいことがあって、

お高いマイクでも聞こえるかどうか分からない小さな声でささやく。


「わたしのASMRで眠ってくれてありがと。好きだよ」

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