5-6 生でお水注いじゃった

「いいよー。それじゃごろっとしてお顔、上にして」

「ん……」


ナルくんは目をつむって寝返りをした。


ナルくんのかわいい顔が正面に来て、

胸がドキッとしそう。


でも今心臓バクバクにしちゃったら、

ナルくんに聞こえちゃうかもしれない。

それって文字通り心を読まれるってことで、

とっても恥ずかしいこと。


恥じらいだけじゃなくて、

心臓バクバクしてるのが聞こえたら、

ナルくんにもそのリズムとか熱が移っちゃって、

落ち着かなくなっちゃうかも。


本当はドキドキしたいけどね。


だからわたしは名残惜しくも、

用意していたミネラルウォーターとグラスに手を伸ばした。

するとナルくんから短い声が聞こえる。


「ぉいっ」

「どしたの?」


ミネラルウォーターのペットボトルとグラスを手に持って、

ナルくんの『お』の字で固まった顔を見た。


ナルくんは安心したような息をついて答える。


「どしたのじゃなくて、

 膝枕したまま前かがみなんてしたら

 ……その、むっ、胸が――」


「当たっちゃう?」

「『当ててるのよ』とか言うなよ」


「言わないよー。

 そういうシチュエーションのほうがよかった?」


「よくない。

 俺はえろいASMRを求めてるわけじゃなくてだな」


「えへへ、知ってる。

 自分のおっぱいの大きさくらい考えて動いてるよ」


「どういうこったよ」


ナルくんは気恥ずかしそうに

目をつぶりつつもツッコミをいれてきた。


男の子だもんね、

大きさに関係なく興味あるよね?


ナルくんが大小どっち派か探れると思って、

わたしは機嫌よく説明をする。


「ASMRするひとは、

 おっぱい大きくないほうがやりやすいって、

 ケーちゃん師匠が言ってたんだ。

 そのこころは、真下が見えるから」


それを証明するようにわたしは

ナルくんを見下ろした。


ナルくんがちらっと右目を開けてわたしを見る。

本当かどうか気になって開けちゃったのかな?


ああ、また煽るようなことを思っちゃう。

ニヤッとした顔といたずらごころが出る前に続きを話そう。


「おっぱい大きいのってみんな憧れちゃうけど、

 膝枕するときの姿勢がこんなになっちゃって」


「まてまて胸を押し付けるな」


「――ってわけで、

 わたしくらいのおっぱいのひとがASMRだと楽なんだって」


「……ぉぅ」


ナルくんは分かったけど分かったと言って

セクハラにならないか、心配そうな返事をした。


わたしはいいんだよ。

ナルくんが心音ASMRをリクエストしてくれたら

生ASMRでもおっけー。


その前にギュッと抱きしめるシチュとか、

添い寝からリクエストがいるかな。

ナルくんには早いかも。


恥ずかしがってるナルくんのことを見つめていると、

その目が泳いでいた。


わたしが目を合わせようにも逃げ回るばかり。

それからシャッターを閉めるみたいにピシャッと目を閉じる。


「目のやり場に困ってるんだね?」

「普段ASMR聞いているときは気にしないからな」


「アイマスクまで頭が回らなかったなぁ……そうだ」


わたしは制服のポケットからハンカチを取り出した。


ちょうどナルくんの耳を

濡らしちゃったときに使ったのと同じ柄だ。

一度広げて二つ折りにする。


「アイマスクとかタオルの代わり。

 これでどうかな?」


「男の顔に載せたら汚くなるだろ」


「そんなこと言ったら膝枕も耳かきもできないよ?

 それにナルくんはASMRを聞くために清潔にしてるんでしょ?

 多分、耳以外もだよね?

 なら大丈夫」


自分の言ったことが返ってきたからか、

ナルくんは仕方なさそうに顔をしかめた。


そんな顔の目にゆっくりとハンカチを載せる。

ナルくんの鼻が少し動いた。

匂いを気にしてる。


「今度アロマも用意してみる?

 安眠にはラベンダーの香りがいいらしいよ」


「そのうち……」


あまり考えられてない、

眠たそうな声で答えてくれた。


適当に合わせたんじゃなくて

ナルくんは本当に期待してくれてるはず。


だって、ナルくんはこうしているときに

本当のことを言ってくれる

――つまりデレてくれる男の子だから。


わたしはそれを知ってるし、

そこが好きなんだもん。


「それじゃ、お水の音、始めるよ」


わたしはミネラルウォーターとグラスを手に持ち直して

(見えないけど)ナルくんに見せつけるようにした。


ナルくんは口に水を注がれるんじゃないかと思ったのか、

口元をぎゅっと結ぶ。


前のわたしなら、

ASMRで口をだらしなく開けさせて、

水を注いじゃったかもだけど、

今はしないよ。


こぽっ……こぽぽぽっ……ぽぽぽっ……。


「お水の音って涼しく感じるよね。

 これからジメジメした梅雨に入ると、

 こんな爽やかさが欲しくなるかも」


右耳に囁き、左耳はお水の音、

それと自分の声とお水の音が重ならないように、

タイミングを調節しながら、

わたしはペットボトルの水をグラスに注いだ。


音声作品とか録音なら、

声と水の音と分けて収録してくっつけたり、

どっちか先に撮ってタイミングに合わせて

後付とかできるけど、

今は生ASMR。


普通のASMRじゃないし、

ナルくんには生の音を聞いて癒やされてほしいと思ってる。


そうでなきゃ、勇気を出して連れてきた意味がないもんね。


わたしは空になったペットボトルを静かにおいて、

もう一個のグラスを持った。

ふとお酒のCMを思い出してつぶやく。


「あっ、なんだか夜『お酒を飲もう』

 ってに誘う大人の雰囲気……」


「匂いもしないし水だろ?

 そもそも俺たちにお酒は早いって」


思わずナルくんはツッコミを口にした。

分かっててもツッコミをしちゃう

クセみたいなのがあるのかも?


「えへへ、わたしたちまだまだ子供だもんね。

 これで十分、たぷたぷたぷ……」


わたしはヘラヘラしながら

グラスからグラスにお水を注いだ。


そう、まだ子供なんだから、

年齢制限のつくようなASMRは早いよね。


前に未遂で終わった耳なめ、

大人の飲み物はダメでも、

大人のASMRならしてみたい欲が湧いてきた。


するとお水が注ぎ終わったタイミングでナルくんは言う。


「なんか含みのある笑い方だ。

 俺に予告してないASMRを用意してるのか?」


「してないよ。耳かき、お水の音、

 リクエストがあれば用意したけど……」


「いや、そこまでさせるのは悪い気がする。

 素人の俺がアレコレ言うより、

 クーちゃんの――百々瀬の好きにするといい」


『クーちゃん』と呼ばれて

 ポッと体が熱くなるのを感じた。

 わたしは自分の体を冷やすためにも

 水の音ASMRを再開する。


ちょろろろ……。


「言い直さなくても『クーちゃん』って、

 呼んでくれてもいいのに。

 コメントだと『クーちゃん』って書いてある」


「寝ぼけてるときは『クーちゃん』なんだから、

 普段そう呼んでくれてるの分かるよ」


「いや、まだ俺の中で条約すり合わせみたいに、

 うまく分かってないんだ。

 俺を寝かしつけてくれる『クーちゃん』と、

 俺をいじる百々瀬が同一人物だって」


「わたしのフルネーム

『百々瀬クウ』って言うんだけどなぁ」


ナルくんに理解を求めるように、

わたしは早めに水を注いじゃった。

こぽぽぽぽ……ぽぽろろろ。


あまりいい音じゃなかったかも。

ナルくんに言われちゃうかなと思ったけど、

ナルくんは照れくさそうに、

でもハンカチを目の上から落とさないように

少しだけ首を傾ける。


「知ってるって。

 こうしてASMRされてると、

 クーちゃんだって感じる」


「それって耳と目でクーちゃんの印象が

 ズレてるってことかな?」


「まあ、そういう――」


わたしはナルくんの返事を聞くなりグラスをおいて、

ひょいっとハンカチを取った。


急に眩しくなったからか、

ナルくんが開けづらそうな目でわたしを見る。


「じゃあ、ここでわたしとクーちゃんが同じだって、感じて覚えて」


「感じて覚えてって、言い方がえろい」


ナルくんはASMRの作法にを守るように首を動かさず、

でも恥ずかしいのからか目線を泳がせた。


わたしはグラスを改めて持ち直して、

今度こそにっこりダブルグラスを見せつける。


「聴覚も嗅覚もそういう字を書くんんだから、あってるよ」


「分かるけどな、そうじゃなくて、

 写真と実際に会うのとでは印象が違うってよくある話だろ?

 ましてやクーちゃんは顔だしてないんだから」


「そうだよ。

 わたしは他の配信者さんみたいに

 最初に顔を出そうとしたけど『絶対やめろ』って、

 ケーちゃん師匠とコーくんに理由付きで言われたんだ」


「クーちゃんが百々瀬だって分かってるのは俺だけでいい」

 ナルくんは眉をひそめて言った。


――どういうつもりで言ったの?


そんなことも聞けずにわたしは息をつまらせた。


でもわたしは手に持ったグラスを落としかけて、

気がついたら水が零れるギリギリセーフな状況になってる。


今、わたし、どんな顔してるの?


「俺に水をこぼしたら、

 せっかくの眠気が台無しだぞ……」


そう思うわたしの手をナルくんが支えてた。


「あ、うん、ごめんね。

 ダミヘマイクだったらだいさんじだったかも。

 でもナルくんの顔にお水こぼしちゃったら、

 舐めてきれいにするよ」


「いや、えろいことするなよ」


するとナルくんは、

わたしの水入りグラスを持つ手を少し持ち上げた。


わたしの手にちゃんとちからが入ったのが分かると、

すっと穏やかに目をつむる。


「俺はクーちゃんにいじられたいんじゃなくて、

 癒やされながら眠りたいんだって」


そんな吐息混じりの言葉を聞くと、

わたしも心が穏やかになるのを感じて、

ゆったりと息を吐いた。


すぅ~っと肺に息が戻るとわたしは、

改めてナルくんに言う。


「わかったよ。

 わたし、クーちゃんがいっぱい癒やして、

 寝かしつけてあげる。


 でも、今日はわたしとクーちゃんをいっしょにして、帰ってもらうよ」


「ん……」


ナルくんは短い声、

というより息づかいのような返事をした。


この様子ならハンカチはいらない気がして、

わたしは改めてASMRを始める。


「お水、ゆっく~り注ぐよ、ちょろろろ……。

 息遣いも、ゆっく~り……たぷぷっ。

 自分のペースで……こぽぽぽぽ」


優しく語りかけていると、

わたしの息遣いも落ち着いてきた。


さっきまでナルくんの言うことにドキドキしたりしてたけど、

それもいい意味でひんやりしてくる。


すると自然とまぶたが重たくなって視界が暗くなった。

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