グールドは今日も鼻歌を口ずさむ
バッハのメロディは美しい。彼の手から天に捧げられた楽譜の数々が、時代を超え、戦争を超え、今も僕達の手に託されていることに、なにか運命的な意図を感じずにはいられない。そんな美しさがバッハのメロディの中には確かに存在する。
インベンションはいい。平均律もいい。整列する音符は淀みなく流れ、まるで心までもが整理されていくような清々しい気持ちになる。
右手の旋律は階段を駆け下りていく。その旋律は左手に受け渡され、低音の優しい響きを余すところなく伝えると、階段をまた上昇し、混然一体となって天に昇っていく。
そんなバッハをこよなく愛したピアニストに、グレン・グールドがいる。
奇妙な出で立ちに独特の奏法。奇異な部分を取り沙汰されがちなグールドだが、彼は至って大真面目にバッハを弾く。
ピアノというものに対する惜しみない愛と、音に対する敬意の現れが、人の目には奇異に映る。それだけ。
彼には様々な逸話があって、コンサートが始まってから、ピアノを弾き始めるまでに、一時間も椅子をセッティングし続け観客を困惑させたとか、その椅子は亡き父の手作りの椅子だとか、そんな逸話。
時として奇妙なパフォーマンスが横行する現代では「ああ。なるほど。それも演出の一貫だな」と知ったかぶりされるかもしれない。
だけど僕があえて知ったかぶりをするなら、彼のするそれらの奇妙な行為は演奏に必要な儀式なんだと、言い返してやりたいと思う。
それを裏付けるようなこんなエピソードがある。
それは有名な敏腕プロデューサーと共に、グールドがレコードの収録を行なっていた時の話だ。
グールドは演奏中、どうしても鼻歌を歌う癖があったのだという。
当然プロデューサーは何度もNGを出し、グールドに鼻歌をやめるように指示を出した。
しかしグールドは「それは出来ない」と答え、結局そのレコードにはご機嫌で鼻歌を口ずさむグールドの肉声が収録されている。他のレコードも同様である。
彼が鼻歌をやめなかったのはきっと、鼻歌を歌わないで奏でるピアノの音に我慢出来なかったからだ。
彼は人がどう言おうとも、ピアノの音に、演奏に、そして楽譜を書いた作者に、ただただ最高の演奏を捧げたいだけなのだ。
僕はグールドの弾くゴルトベルク変奏曲を聞きながらそんなことを考えていた。
レコードの中のグールドは、今日もアリアの調べに合わせて鼻歌を口ずさむ。
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