僕をいじめた不良JKと友達になるまで

黒うさぎ

僕をいじめた不良JKと友達になるまで

「おい奴隷、早く購買行って私らの昼飯買ってこいよ」


「えっ……、でも……その、お金が足りな……」


 僕は投げ渡された百円玉を見て恐る恐る尋ねる。

 いくら購買の品が支援価格として学生用に安く設定されているとはいえ、さすがにこれではなにも買えない。


「そんなの、いつも通りお前が足りない分を払えばいいだけじゃん」


「もう僕、お小遣いがほとんど残ってなくて……」


「ほとんどってことはまだあるんでしょ。

 早くしてくんない? お前が鈍臭いせいで私らの昼休みがどんどん減ってくんだけど」


 まるで虫ケラでも見るような目で睨まれる。


「ひっ……!」


 僕はあの目が恐くてたまらない。

 あの目を向けられなら、これまで何度ひどい目に遭わされてきたことか。

 殴る、蹴るの暴力は当たり前。

 大きな声で怒鳴られたり、お金を巻き上げられたり。

 までさせられ、しかもその写真まで撮られた。


 また酷いことをされる。

 そう思うと僕の足は逃げるように教室を飛び出していた。


 ◇


 どうしてあんなことをしてしまったのだろう。

 ただの気の迷いだった。

 ある日の放課後、僕は教室に忘れ物を取りに戻った。

 教室に入ろうとしたとき、ふと中に誰かがいることに気がついた。

 こんな時間にいったい誰だろうと覗くと、そこにいた須藤玲奈の姿に僕は目を丸くした。


 玲奈はいわゆる不良というやつで、クラス内でも腫れ物のような扱いであり、逆らえる者は誰もいなかった。

 当然僕も玲奈とは極力関わらないようにしていた。

 不良に目をつけられればろくなことにならないとわかっていたからだ。


 その玲奈が今、誰もいない教室で着替えを行っていたのだ。

 校内には男女ともに更衣室があるものの、僕たちの教室からは少し遠い。

 そのため男子なんかはよく教室で着替えをすることもある。

 しかし、まさか誰が来るかもわからない教室で女子が着替えをしているとは。

 それもあの須藤玲奈が。


 ゴクリと喉が鳴る。

 玲奈は素行こそ悪いが、その容姿は完璧といっていい。

 バターブロンドに染められ、ふんわりとカーブする長髪。

 つり目がちの鋭い瞳に、筋の通った鼻。

 しゅっと整った顔は芸能人にも負けてない。


 顔だけではない。

 身長は女性としては高く、百六十後半はある。

 細身の印象を受けるが、胸回りと腰回りは制服の上からでもその豊かな膨らみを確認することができる。


 その玲奈が一枚ずつ制服を脱いでいく。

 よく見るとワイシャツにシミのような汚れがあることに気がついた。

 コーヒーでも溢したのだろうか。


 元々緩かった胸元から下にボタンが外されていく。

 はだけたワイシャツの下には女子高生とは思えない、立派な双丘が見られた。

 ワイシャツを脱いだ玲奈は、そのままスカートのホックを外すとストンと床に落とす。


 玲奈は下着だけの姿になった。

 上下とも黒に統一されており、西日に照らされ、わずかに影になったその扇情的な同級生の姿に、僕はどこか大人の雰囲気を感じた。


 無防備にも下着姿のままワイシャツについたシミにタオルを押し当てる玲奈。

 腕の動きに合わせてふるふると揺れる胸から僕は目が離せなかった。


 だから気がつけなかった。


「お前、なに覗いてんの」


 背後からかけられた声に背筋が凍りついた。

 動揺して動けない僕を尻目に、声の主は扉を開けると教室に僕を蹴りこんだ。


「きゃっ!」


 普段教室では聞いたことのない玲奈のかわいらしい悲鳴が響く。


「玲奈、こいつに覗かれてたよ」


 ここでようやく僕は声の主が同じクラスの早乙女響だと気がついた。


「なんだ響か。それと……近藤だっけ?」


 教室への侵入者が友人であるとわかりほっとした様子の玲奈は、鋭い視線を床に倒れている僕に向けた。


「ぼ、僕はその……、教室に筆箱を忘れちゃって、それを取りに来ただけで……。

 覗きなんて、そんなこと……」


 心臓はうるさいし、冷や汗は止まらない。

 それでもどうにかしてこの場を切り抜けなければ……。

 覗き魔のレッテルなんて貼られたら僕の学校生活は終わってしまう。


「へえ……。近藤は覗いてないっていうんだ」


「も、もちろん!」


「これを見ても?」


 響が自分のスマホの画面を見せてきた。

 そこには間抜けな顔をしながら、扉についている小窓から教室のなかを夢中になって覗き込む僕の姿が写っていた。

 それもご丁寧に、小窓越しに小さく玲奈の姿まで写っている。


 どこからどう見ても玲奈の着替えを僕が覗いているようにしか見えなかった。


「玲奈、この画像どうする?

 玲奈が写ってるところだけボカして学校や警察に届け出る?

 それとも、こいつの両親にでも送りつけてみる?」


「ま、待ってください! それだけは許してくださいっ!」


 そんなことをされてしまっては、僕の居場所がどこにもなくなってしまう。


「許してくださいって、なんで覗かれた私があんたを許さなきゃいけないわけ?」


 下着姿のままの玲奈が僕の前にしゃがみこむ。

 こんな状態にも関わらず、僕の視線は脚と脚の間の影に吸い込まれてしまう。


「で、でも僕は須藤さんが教室で着替えているなんて知らなくて。

 教室に来たのも本当にたまたまで……」


「近藤は私が悪いって言いたいの?」


「そ、そんなことはないけど……」


 西日を背にしていることと下着の色も相まって深く濃い黒の詳細を把握することはできない。

 それでもそれが異性、クラスメートの下着姿であると思うとどうしても目が離せない。


「だいたい許しを乞うやつがなんで人の股をガン見してるわけ?

 キモいんだけど。土下座くらいしろよ」


「ご、ごめんなさい」


 僕は慌てて目を逸らすと、そのまま床に額をつける。

 弱みを握られたことに対する動揺で、その行為が屈辱的なものだと考える余裕もない。

 初めて額に感じる床はひんやりと冷たかった。


「ねえ響ぃ~! こんなやつに覗きされたとかマジで最悪なんだけど!」


「よしよし。……ねえ玲奈、学校にチクるってだけじゃつまんないし、こいつのこと奴隷にしない?」


「奴隷って?」


「パシリだよ、パシリ。

 飯買わせに行ったり、金を貢がせたり、ストレス溜まってるときはサンドバッグにしたり」


「そんな!」


 頭上で交わされる会話の内容に思わず声を上げる。


「変態は黙ってろ。お前に拒否権があると思ってるのか?」


「ぐっ……!」


 脇腹を蹴られる。

 軽い蹴りだったが、無防備な状態で受けたそれは息を詰まらせるには十分だった。

 苦しむ僕の前に響がスマホを見せつける。

 画像をチラチラされてしまえば、もう僕に抵抗することはできなかった。


「いいじゃん、奴隷! そういうの欲しかったんだよね」


 玲奈は僕の髪を掴むと、グイッと顔を上げさせた。


「私の命令は絶対服従だから。これからよろしくね、奴隷くん」


 この日、僕の平凡な日常が終わった。


 ◇


「マインドコントロール……」


 いつだってなにかが起こるときは突然だ。

 ある日突然いじめられる日々が始まったように。

 そしてある日突然、僕は現状を打開する方法に出会った。


 それは偶然だった。

 いつものように玲奈のパシリをしていたときだ。

 今日はコンビニのスイーツが食べたいと、購買ではなくわざわざ近くのコンビニまで買い出しにいくことになった。

 そのとき一緒に買ってくるよういわれた週刊誌を手にしたとき、たまたまその文字が目に入った。


 記事の内容はカルトにはまった芸能人の末路を扱ったものだった。

 タイトルから推測するに、マインドコントロールされたその芸能人が表舞台から姿を消したあと、カルトを盲信し破滅するまでが綴られているようだ。


 この芸能人がカルトにはまったことついては僕もニュースで見たことがあるので知っていた。

 だからその後どうなったかというのは少し気になったが、それよりも僕の気を引いたのはマインドコントロールという言葉だ。


 破滅するまで人を操れるというのはどうも胡散臭いが、実際この芸能人の他にもカルトを盲信して身を滅ぼしたなんて人の話はよく聞く。

 胡散臭いというだけで否定するのは性急だろう。


「もし須藤さんをマインドコントロールすることができたら……」


 この辛い日々を終わらせることができるかもしれない。

 それだけじゃない。

 散々いじめられた仕返しだって……。


 そんなうまい話があるわけない。

 冷静な自分がそう警告するが、現状に疲弊していた僕はまともではなかった。

 マインドコントロールという言葉が暗闇に射した一筋の光のように思えたのだ。


 失敗したところで現状より悪くなることもない。


 この日から僕の復讐が始まった。


 ◇


 マインドコントロールというのは、相手への依存である。

 僕はそう結論付けた。


「須藤さん、おはようございます」


「体育お疲れ様です。スポーツドリンクどうぞ」


「スクールバッグ持ちますよ」


「……なんか最近奴隷のくせに元気じゃない? キモいんだけど」


「気のせいですよ。

 そんなことより、今日のお昼もミルクティーでいいですか?」


「いいけど……」


「それじゃあ買ってきます」


 まず僕が始めたのは、積極的に玲奈と接触することだった。

 これまでは玲奈に声をかけられるのをビクビク待っていた。

 しかし、それをあえてこちらから積極的に動くことで玲奈との接触回数を増やし、玲奈の一日における僕といる時間を長くした。

 正直苦手な相手に積極的に話しかけるのは苦痛だったが、現状を脱し復讐をするという目標を立てたお陰か、自分でも不思議なほどにくじけることなく頑張ることができた。


 接触回数を増やすといっても、やっているのはこれまでと同じようにパシリをしているだけだ。

 だが僕といるときは楽できる、僕がいないと自分でやらなくてはならないので面倒だと思わせていくのが目的なのでそれで問題ない。


 作戦はそれだけではない。


「早乙女さんて数学得意なんですね。成績上位者に名前があってビックリしました!」


「そうか? 数学は公式さえ覚えれば、あとは数字を当てはめるだけだから楽なんだよ」


「いえいえ、すごいですよ! 僕なんか公式を覚えても、どれを使ったらいいかわからなくなっちゃって」


「ふーん、そんなもんか」


「……ねえ響、テストの話なんかより、今日帰りにカラオケ行かない?」


 僕と響の会話を中断するように玲奈が割ってはいる。

 どこか不満げな玲奈の姿を見ながら僕は内心せせら笑った。


 これも作戦のひとつである。

 玲奈が一人でいるときは、積極的に玲奈へと話しかける。

 しかし、玲奈と響が一緒にいるときは、響に話しかける頻度を多めにしているのだ。


 積極的に玲奈と接触しているだけでは、いつまでたっても玲奈のなかでの僕は何でもいうことを聞く便利な奴隷のままである。

 そこであえて響にも従順であるという姿を見せつけることで、僕が玲奈のためだけに動く存在ではないことを印象づける。


 これが響以外だと「なに勝手に人の奴隷を使ってるんだよ」と、玲奈の一喝で現状を破壊されてしまう可能性があるが、友人であり、僕を奴隷にするきっかけになった響相手なら玲奈も強く出ることはない。


 玲奈にできるのは精々話を遮ることくらい。

 それだってあまり不自然にやりすぎてしまえば、響から不審に思われてしまう。


 自分の奴隷なのに、どうして他人を構うのか。

 そんな釈然としない気持ちが少しずつ玲奈の中に積もっていく。


 ◇


「須藤さん、今日はお弁当を作ってみたんですけどよかったら食べてみてくれませんか?」


 次の作戦。

 それは胃袋を掴む、である。

 人間食べなければ生きていけない。

 食事の全てを掌握することは難しいが、昼食だけであれば手の出しようがある。


 玲奈の昼食はほとんど売店かコンビニである。

 これら市販の品は、言ってしまえば僕が買いにいかなくても、自分で買って食べるということができてしまう。


 そこで手作り弁当だ。

 僕の料理の味を刷り込むことで、この味の料理を食べたい、僕に作らせるしかないと少しでも思わせることができれば成功だ。


「奴隷のくせに料理なんてできるのかよ」


「うち両親が共働きで、小さい頃から一人でいることが多かったので多少の料理ならできますよ」


 多少料理ができるというのは嘘ではない。

 しかし、所詮は男子高校生の一人飯。

 レパートリーはたかがしれていたので、実際は料理動画を参考にしている。

 だがそんなことまで正直に言う必要もない。


「ふーん」


 玲奈がお弁当を開ける。

 そこにはカツサンドをメインにレタス、プチトマト、サラダチキン、茹でたブロッコリーなどが敷き詰められており、別添えでスティックタイプのマヨネーズと個包装のゼリーがあった。


 もちろんテキトーに作ったお弁当ではない。

 日々パシリにされるなかで玲奈の好物に当たりをつけて作ったものだ。

 玲奈は不良だが、やはり女子高生であり、サラダパスタなどヘルシーなものを言いつけることが多かった。なかでもプチトマトは美味しそうに食べていたように思う。

 しかし、時々ホットスナックの唐揚げを欲しがることもあったので肉が食べたくないというわけでもないだろう。

 そして、おにぎりを買ってこいと言われたことはなく、基本的にサンドイッチがほとんどだった。


 そこから作ったのがこのカツサンドをメインとしたお弁当である。


「……見た目は悪くないじゃん」


「ありがとうございます」


 折角早起きして作ったのだ。

 見た目が悪くて食べてもらえなくては話にならない。


 玲奈が弁当箱へと手を伸ばそうとしたときだった。


「なにそれ、奴隷が作ったの?」


 響が玲奈のとなりに座った。

 タイミングの悪い。

 わざわざ玲奈と二人きりになれるよう手を打ったのだが、そううまくいかないか。


 まあ、来てしまったものは仕方ない。


「はい、僕が作りました」


「はははっ、なにそれキモっ!

 覗き見してたやつの手料理とか変なもの入ってそうで食えねぇし。

 そうだよね、玲奈」


「え……、ああ、うん」


 カツサンドへと伸びていた玲奈の手がスッと戻った。


(……今日は厳しいか)


 食べてくれそうな雰囲気の玲奈だったが、響に賛同した手前また手を伸ばすことはないだろう。

 胃袋を掴むのはマインドコントロールにおいて有用な手段だが仕方ない。

 他にもまだできることはある。


「そうですよね、すみません調子に乗ってました。

 すぐに購買に行ってきますね」


「あっ……」


 僕は手早くお弁当箱を片付けると購買へと向かった。


 ◇


「次はどうするかな……」


 胃袋を掴む作戦は響の妨害により一時保留となってしまった。

 予定ではこれから毎日お弁当を使って少しずつ餌付けしていくつもりだったが仕方ない。

 玲奈が食べようとする素振りを見せていたことを確認できただけでもよしとするべきだろう。


 それにしても、玲奈をマインドコントロールの標的にするに当たって、響の存在はやはり無視できない。

 嫉妬心を煽る目的で響に話しかけることもあるが、今回のように響の一言で玲奈の行動を妨げられてしまってはたまらない。


 毎日玲奈といるようになって気がついたことだが、校内で玲奈の友達と呼べるような存在はおそらく響だけだろう。

 それが不良だから避けられているのか、それとも玲奈が人付き合いを得意としていないのかはわからない。

 ただ、それによって玲奈は唯一の友達である響に対して依存している面があり、強く出ることができない。

 どうにかして玲奈の中の依存の対象を響ではなく僕に上書きしなければ、マインドコントロールの達成は難しいだろう。


 そこで僕は玲奈から響を離すために策を講じた。

 難しいことではない。

 響の友達の下駄箱に匿名の手紙をいれたのだ。

 内容は「響が玲奈から嫌がらせをされている。二人の姿を見ているのは忍びないので、昼休みや放課後に響に声をかけて玲奈の傍から引き離して欲しい」というものである。

 もちろんそんな事実はないが、玲奈が不良であることを同学年で知らぬ者はいない。

 もしかしたらと思わせることは十分可能だろう。

 響の友達としても、玲奈に意見することはできなくても、響を誘うくらいならそう難しいことではない。


 事実最近は玲菜が響と共に過ごす時間が目に見えて減っている。

 今日も響を誘い出してもらえたと思ったのだが、さすがに毎日というわけにもいかなかったのだろう。


 靴を履き替え、生徒玄関を出ると、そこには玲奈が立っていた。


「おい奴隷、ちょっとこい」


「えっ……」


 引きずられるようにして僕は校舎裏へと運ばれていく。

 すれ違う生徒たちは見て見ぬふりだ。

 誰だって不良には関わりたくないだろう。

 僕が逆の立場でも見なかったことにするに違いない。


「どうしたんですか、須藤さん」


 最近は減ったが、またサンドバックにでもするのだろうか。

 いくら女子とはいえ、殴られれば痛いし痣もできる。

 勘弁してほしいというのが正直なところだ。


 校舎裏に来た玲奈は人目がないことを確認すると僕と向かい合った。


「昼の弁当はどうした?」


「……お弁当ですか? さすがに捨てるのはもったいないので帰ってから夕食の代わりに食べようかと思ってたんですけど……」


「よかった……」


(よかった?)


 聞き間違いではないだろう。

 今確かに玲奈はよかったと言った。


「私が食べるから弁当を出せよ」


「いや、そんな無理しないでください。

 須藤さんに手作り弁当を食べてもらおうなんて自分でも調子に乗ってたなって思ってるんで」


「いいから出せよ。それはお前が私に作ったものでしょ」


「確かに須藤さんのために作ったものですけど……」


「ならその弁当は私のものじゃん。

 奴隷なら主人のものを勝手に食べちゃいけないことくらいわかるでしょ」


 いやいや、まさか。

 これは想定以上かもしれない。


「わかりました……」


 僕が渋々といった様子で差し出した弁当箱の入った巾着を、玲奈は大切そうに受け取った。


「弁当箱は明日返すから」


「須藤さん、ありがとうございます」


 僕は笑顔を浮かべつつ、さも本心から玲奈にお弁当を食べてもらえることを喜んでいるように礼を述べる。


「はっ、なに? キモいんだけど」


 それだけ吐き捨てると玲奈は足早に去っていった。


「本当にありがとう」


 まさかもうそこまで玲奈が僕に気を許しているとは思わなかった。

 思っていたよりも僕が奴隷でなくなる日は近いかもしれない。


 ◇


「……奴隷、お前シャンプーでも変えた?」


「えっ、はい。もしかして臭かったですか?」


「……キモっ。臭いなんて一言も言ってないじゃん」


「ならよかったです」


 次の作戦は身だしなみだ。

 ボサボサだった髪を不自然に思われない程度に整える。

 眉や髭などこれまでほったらかしだった場所にも手を加えた。


 僕は玲奈のような美形というわけではない。

 精々中の下くらいの容姿だろう。

 そんな僕でも身だしなみを整えれば、中くらいにはなれる。


 明らかに玲奈は僕を意識し始めている。

 それが友愛、あるいは恋愛、はたまた他の感情から来るものであるのかはわからない。

 しかし、どんな感情に起因するものであろうと関係ない。

 重要なのはこれまでの玲奈の人生において意識すらされてなかった僕が、今はシャンプーの変化を気がつかれるほどに興味を持たれているということだ。


 だからこそこのタイミングでの見た目の変化は、玲奈のなかの僕のイメージをよりよいものへと高めてくれるだろう。


 清潔感のない者はそれだけで他者を不快にさせることがある。

 だがそれは清潔感さえあれば、いるだけで不快にさせるなんてことはないということである。

 むしろ意識している相手であればプラスに働きさえするだろう。


「こんなこと言ったらまたキモいって言われるかもですけど、須藤さんもいつもいい匂いです」


「はっ!? なにそれ、キモすぎ!

 だいたい『も』ってなんだよ。

 私はお前がいい匂いだなんて一言も言ってないんだけど」


「そうでした、すみません」


 プイッとそっぽを向く玲奈。

 まるで、玲奈にとって奴隷に過ぎないはずの僕に褒められて照れているようではないか。


「あっ、ちょっとすみません」


 その時、僕のスマホに着信が入った。


「お疲れ様です。はい、はい」


 着信の相手はバイトの先輩だった。

 要約すると今日のバイトのシフトを変わって欲しいらしい。


「わかりました、はい、失礼します。

 ……すみません、バイトの先輩からで」


「お前バイトなんかしてんの?」


「はい。その、お小遣いだけだとちょっと厳しいので……」


 マインドコントロール作戦を始めてから多少パシリの頻度が減った気はするものの、依然として出費は多い。

 響がいない日はお弁当を作ってくるようになったが、その材料費だってタダではない。

 こんなことで親に金を貰うわけにもいかないので、資金を調達するにはバイトを始めるしかなかった。


 まあ、バイトをしていること自体も作戦のひとつなのだが。


「……キモ」


 そう呟く玲奈の表情には、どこかやるせなさが滲んでいた。

 さんざんパシリにしておいて、そのお金が実は放課後働いて稼いでいたものだと知って申し訳なくなっているのだろうか。

 だとしたらあまりにも滑稽である。


「……じゃあ、これからシフトが入ったので帰りますね」


「……ふん」


 会釈をすると僕はバイトへと向かった。


 ◇


 それから僕はバイトのある日はそのことを玲奈に強調するようにした。

 狙いは玲奈よりバイトを優先していると思わせることだ。


 俗に言う「仕事と私、どっちが大事なの!」というやつである。

 仕事をしないとお金が稼げないと頭ではわかっていても、仕事を優先して自分との時間を蔑ろにされていると思ってしまうのが人間だ。


 基本的に恋人や夫婦のような関係にある人たちに当てはまることであり、奴隷と主人にすぎない僕たちには本来関係ない。

 しかし現在、玲奈の生活において最も長い時間を過ごしているのは僕だ。

 友人である響よりも、である。


 一人の時間が増える。

 その事実は少しずつ玲奈の心を蝕んでいく。


 長い学校生活において、一人でいることに誰もが耐えられるわけではない。

 少なくとも玲奈は僕の見る限り、独りが好きな人間ではない。

 不良のクセにと思うが、響に従順だったり、こんなにも早く僕に気を許し始めたりしているのが何よりの証拠だろう。


 今までは響がいない日は独りだった時間。

 そこに僕が現れた。

 しかし、それがまた独りの時間に戻ろうとしている。

 初めから無いものは気にならないが、あったものを失うのは喪失感がつきまとう。


 今の玲奈ならば、バイトを優先する僕に蔑ろにされていると感じてもおかしくない。


「ねえ、もうちょっとバイト減らせよ」


 いつものように帰ろうとした僕に玲奈は言った。


「でもお金が……」


「別に弁当の材料費くらい私も払うし」


 それは以前の玲奈では考えられない発言だ。

 カツアゲしていたはずの玲奈が、弁当はいらないと言うどころかお金を払うと言ったのである。

 本人に自覚があるかわからないが、今の玲奈にとって僕のお弁当にはそれだけの価値があるということになる。


 もうここまで来れば、ただいじめられているだけの立場からは脱することができたと言ってもいいだろう。

 思わず笑みを浮かべそうになるがそれをグッと堪え、反対に少し悲しそうな顔をする。


「須藤さんからお金なんて貰えませんよ。僕は須藤さんの奴隷ですから」


「っ!」


 僕はあえて自分が奴隷であるということを理由にそれを拒否した。

 少しずつ僕に依存し始めている玲奈にとって、僕が奴隷であるという事実はどう写るのだろう。


「……ならもう奴隷じゃなくていいから」


「それってどういう……」


「だから! その、ダチになろうって言ってんの!」


 恥ずかしさを誤魔化すように語気が強くなる。


「須藤さん……」


 驚きと喜びをその顔に浮かべる僕に、玲奈も照れ臭そうにしている。

 奴隷じゃなくて友達になろうなんて。


 ――――なんてふざけた女なのだろう。


「須藤さんと友達になんてなれるわけないじゃないですか」


「っ! な、なんで……」


 玲奈からさっきまでの緩んだ表情が消え、ショックの色が浮かびあがった。


「だってそうでしょう。勝手に人のことを奴隷にしたくせに、次は友達になれって……。

 そんな都合のいい話があると本当に思ってるんですか?」


「それは……」


「友達っていうのは対等な関係ですよね?

 パシられて、暴力をふるわれて、ひどい写真を撮られて。

 そんな僕と須藤さんが本当に友達になれると思うんですか?」


「……」


 玲奈はとうとう下を向いてしまった。

 自分でしてきたことだろうに、この女は僕にしてきたことに対して本当になんとも思っていなかったのだろう。


「本当に僕と友達になる気があるなら、くらいしてくださいよ、で。

 僕が須藤さんにしたみたいに」


 ビクッと玲奈の肩が震える。


「……それじゃあバイトに行きますね。

 ああ、心配しなくても明日もお弁当を作ってきます。

 僕は須藤さんの奴隷ですから」


 立ち尽くす玲奈を尻目に僕は教室を後にする。


 少し言い過ぎただろうか。

 もしかしたらこれまで少しずつ進め、ついに友達になろうと言わせるところまで来たマインドコントロール計画が振り出しに戻ってしまうかもしれない。

 それならまだいい。

 場合によっては二度とこの計画を遂行できなくなった可能性だってある。


 そんな不安がわずかによぎるが、最終的に問題はないと結論を出す。

 奴隷として誰よりも近くで玲奈を見ていたからこそわかる。

 もう玲奈は戻れないところまで僕のマインドコントロールの術中に犯されている。

 響と過ごす時間が減少している今、奴隷としての僕だけでは満たされない孤独感に苦しんでいるはずだ。

 さて玲奈はどうするだろう。

 楽しみで仕方ない。


 ◇


 翌日。

 数日は悩むだろうと踏んでいた僕の予想に反して、玲奈の行動は早かった。


 僕と玲奈。

 二人だけしかいない放課後の教室。

 西日に照らされる玲奈は、どんなに憎らしい女だろうとやはり美しい。


 玲奈はゆっくりと自らの制服に手を掛けた。

 静かな室内に衣擦れ音だけが聞こえる。

 シャツのボタンが外されていき、黒の下着に包まれた豊かな双丘が露になった。


 僕が奴隷にされたあの日と同じようなシチュエーション。

 ただし違うのは、僕は覗いているのではなく正面から玲奈の脱衣を見ていた。


 ぱさりとスカートが落ち、下着姿になった玲奈はそこで僕を見た。

 もしかしたら僕が止めてくれると期待していたのかもしれない。

 しかし、なにも言わず黙って見つめる僕に覚悟を決めたのだろう。


 玲奈はとうとう下着に手を掛けた。

 あの日見ることのなかった布地の向こう側。

 同級生、それもあの須藤玲奈のあられもない姿が僕の前に晒された。


 豊かな膨らみも、女性の部分も。

 その全てを余すところなく目に焼き付ける。


「綺麗だね」


「うっ……」


 玲奈は顔を赤く染めながらも、女の部分を隠そうとはしなかった。

 ただ手を握り、あの日の僕と同じように生まれたままの姿をさらけ出している。


 じっくりと玲奈の裸体を観察した僕はひとつ頷いた。

 それを合図に玲奈はゆっくりと膝をつくと、芸能人のように整った顔を床に伏せた。


 普段クラスメートが歩く床。

 そこに広がるバターブロンドの艶やかな髪。

 シミひとつない滑らかな背中。

 上半身と脚の間に挟まれ、わずかに横へとはみ出している双丘。

 肉付きのよい丸い臀部。


 僕は玲奈の晒す屈辱的なその姿を見下ろしていた。

 あの日、玲奈から見た僕の姿はこんなにも惨めなものだったのだろうか。


「なにか言いたいことは?」


 あくまで優しい口調で語り掛ける。

 この全裸土下座は僕が強要したものではなく、玲奈が自ら望んでしているのだから。


「……これまで酷いことをして、すみませんでした」


 絞り出すような細い声。

 玲奈の中にあるのは屈辱か、後悔か、それとも怒りか。

 いずれにしろクラスの皆に恐れられている玲奈が、今こうして僕に全裸土下座しているということだけは紛れもない事実だ。

 それも脅されたわけでもなく、ただ僕と友達になりたいからだというのがなんとも笑える。


「もしかして、全裸で土下座すれば終わりだと思ってないよね?

 僕が須藤さんにされたのはそれだけじゃないけど」


「っ……。私がしてきたことを私にもしてください」


「そう? ならまずは土下座してる須藤さんの写真を撮らせてもらうけど、問題ないよね。

 僕も撮られたわけだし」


「そ、それは……」


「嫌なの? 嫌なら別に撮らないけど。

 僕は須藤さんと違って相手の嫌がることをする趣味はないし。

 これからも須藤さんの奴隷として過ごすだけだし。

 友達になりたいなんて言って、結局その程度の気持ちなんだよ、須藤さんは。

 須藤さんにとって友達なんて弁当を作ってくれて、飲み物を買ってきてくれる存在なんでしょう?」


「そんなことない! 私は本当に近藤と友達になりたくて……」


「なら写真を撮ってもいいよね?」


 白い背中に葛藤が透けて見える。

 全裸土下座の写真なんて撮られてしまえば、もうここだけのことでは済まなくなる。

 引き返せなくなる。

 それでも玲菜は言葉を絞り出した。


「……私の写真を撮ってください」


 僕はスマホを取り出すとまず一枚、見下ろすように玲奈を撮った。

 響く疑似シャッター音に伏した身体が震える。


 正から、横から、後ろから。

 あらゆる角度から玲奈の惨めな姿をスマホに収めていく。

 顔は写っていないが、クラスメートが見れば被写体が玲奈だと想像するのは難しくない。

 もし流出でもしようものなら、恐れられていた玲奈という存在は侮蔑と性欲の対象に成り下がることは避けられまい。


「須藤さん、顔をあげて」


 土下座の姿勢を崩すことなく、玲奈は顔だけをあげた。

 感情に表情が追い付いていない。

 無表情のようでいて頬は赤みを帯び、瞳は今にも溢れそうなほど水をたたえていた。


「全裸で土下座をして、写真まで撮られて。

 それでもまだ僕と友達になりたいと思う?」


「……うん」


 こんなに弱々しい存在が、本当に僕をいじめていた玲奈なのだろうか。

 人をパシリにしたり、サンドバッグにしたりしていた女と同一人物とはとても思えない。


 僕はそっと玲奈の顔を抱き締めた。


「っ!」


「ごめんね、こんなことをさせちゃって。

 僕だって本当は須藤さんと友達になりたかったんだ。

 でも僕は弱いから。

 須藤さんのことを信じることができなかった」


「ううん、ううんっ!

 近藤は悪くない……。

 私がたくさん酷いことをしたからっ……。

 だから……うっ……」


 嗚咽を漏らす玲奈の頭を撫でてやる。

 すると、心の中のなにかが壊れたように泣きじゃくり始めた。


「須藤さん、まだ僕は須藤さんを信じきれていない。

 もしかしたらまた酷いことをしてしまうかもしれない。

 それでも僕と友達になってくれますか?」


「なるぅっ!

 ごべんっ……、ごべんなさいぃっ……」


 腕のなかで震える温もりに、僕は笑みをこらえることができなかった。

 もう玲奈が僕をいじめることはないだろう。

 それどころか、多少のことなら僕のお願いも聞いてくれるに違いない。


 いじめられているときは辛かったが、これから玲奈を好きにできると思えばむしろお釣りが来る。

 まだ完全とはいえないが、これから少しずつ玲奈の依存度をあげていけば、それこそ本当に僕の言うことをなんでも聞く人形に仕立てることも可能だろう。


 これからが楽しみだ。

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