終章
終
晴天に、白い雲が一つ流れていく。柔らかな日差しが広葉樹林の間を照らし、辺りはきらきらと輝いていた。
エゼキエルは馬車に揺られながら、窓から見える景色に目を細める。穏やかな日々だ。隣にある体温が身じろぎ、同じく窓から外を眺める。
「もう少しかしら」
「ああ」
「ベリカさんにお会いするのも、二年ぶりね」
絡ませていた指で相手の手の甲を撫でれば、彼女は小さく欠伸を零した後に、エゼキエルの頬に鼻先を擦り寄せる。視線を向けると、柔らかく解けた朝焼けがこちらの顔を映しこんでいた。
エゼキエルは頬杖をついていた手でカスティの頬を撫で、擦り寄ってきた鼻に軽くキスを送ると、再び外に顔を戻す。新緑は幾重にも広がって、のびやかな季節の訪れを告げていた。
『願いの泉』に国の再建を願って、三年と数か月という歳月が過ぎた。エゼキエルは現在、残された臣下たちと共に、都の復興へ汗を流している。まだまだ王国と呼ぶには程遠く、小さな自治組織だが、それでも明日を目指して邁進していた。
カスティとはあの後から、衣食住共に暮らしている。心臓が身体に戻り、寿命のある存在へ再び戻ったが、自身の心臓から生成される魔力によって、緩やかに生命活動を維持していた。以前より多少劣るものの、術者が居ない今も変わらず、しなやかな強さでエゼキエルの護衛についてくれている。
そして同時に、エゼキエルの心を支える大切な人となっていた。
「エゼキエル様、見て。黄色い花があんなに」
カスティが嬉々とした表情で、指先で窓を示す。そこには青空に映える薄黄色が、枝に沿うように花を咲かせていた。馬車の中にも、少し懐かしい香りが漂ってくるような気がして、エゼキエルは頷く。
「素敵な場所……。エゼキエル様、ベリカさんにお会いしたら、少し散策してもいい?」
「もちろん、そうしよう」
目尻を下げてあどけなく笑った彼女は、興味深そうに黄色い花を見つめる。
この三年で、カスティの雰囲気はかなり変化していた。
元からの性格なのか、エゼキエルと共に居て、心境が変わったからなのかは分からない。シェハが居なくなり、暫くは塞ぎ込むことが多かったが、言葉数は次第に多くなり、最近はよく笑うようになった。
エゼキエルが手の甲で頬に触れると、彼女は目を瞬かせて視線を交える。
「どうかした?」
「……なんでも。ベリカさんに会うの、楽しみだな」
ベリカとは少しの間、共に行動し力を借りていたが、今は故郷へ戻っている。都合がつかず出席は出来なかったが、婚約者とも無事に婚礼の儀を終えたと電報を受けていた。
それからしばらくは手紙でのやり取りをしていたが、喜ばしい報告があり、エゼキエルとカスティは公務を休み、こうしてベリカの故郷へ向かっている。
「いらっしゃい、よく来てくれたわね!」
村へ到着し、白を基調とした家屋へ赴いた二人を、満面の笑みでベリカが出迎える。彼女は長い髪を頭上で束ね、装飾のついた髪留めで飾っていた。別れた時より大人びて見えるのは、きっと気のせいではないのだろう。
「お招き感謝します、ベリカさん」
彼女が夫と暮らしている家屋は、手紙の内容と反して随分と片付けられていた。曰く、エゼキエルとカスティの訪問に合わせて、夫が気合いで片付けてくれたらしい。
今回、エゼキエルはあくまでも友人として訪問していて、気を遣う必要はないのだが、夫婦二人は山のような土産品を用意してくれていた。
応接間に通され、最近仕入れたという珍しい菓子類を食べつつ談笑していると、隣の部屋から聞こえた赤子の泣き声に目を瞬かせる。
「昼寝から起きたんだわ、ちょうどよかった」
エゼキエルはカスティと顔を合わせ、高鳴る心音を聞きながら目を細めた。
二人がベリカに呼ばれたのは、赤子の誕生を祝ってのことだった。生まれたばかりで忙しいだろうと遠慮したのだが、どうしても二人に合わせたいと、手紙を寄越したのである。今は両親が交代で孫の様子を見に来てくれ、心身ともに余裕があるのだと話していた。
「手紙にも書いたんだけど、二人に、子供の名付け親になって欲しいのよ」
一度、席を立った彼女は、白い布に包まれた赤子を抱いて戻ってくる。その目尻には、微かに光るものが浮かんでいた。
その赤子は母の腕の中で、健やかに泣き、腕を伸ばしている。
立ち上がってベリカの側に近寄ったエゼキエルは、赤子を覗き込んで目を見開いた。
「でも、いいのかしら。旦那様に許可……は……」
エゼキエルの後ろから覗き込んだカスティも、言葉を続けられず息をのむ。唇を震わせ半歩後ろに下がり、片手で口元を押さえ肩を跳ねさせる。
ベリカは微笑んでカスティに近づき、赤子をゆっくりと差し出した。
「いいのよ。旦那には伝えてあるから。……ほら、抱っこしてあげて。カスティさんに一番、見て欲しかったの」
カスティはベリカと赤子を交互に見つめ、顎を引いて頷き、そっと両手を伸ばす。慣れない手付きながらも抱き上げ、布の中に視線を向けた。
輝く砂状の髪に興味を示したのか、泣き止んだ赤子が、カスティに向けて手を伸ばす仕草をする。
ベリカと同じ肌の色に、鉛色の──否、銀色の髪を讃えて。薄らと開いた目蓋の内側には、朝焼けの瞳を覗かせていた。
「なんて名前が、いいと思う?」
促すベリカに、彼女は戸惑う顔を泣きそうに歪めて、赤子を見つめる。
エゼキエルは熱い目頭を瞬きで抑えて、カスティの隣に立ち背中を片手で支えた。
「……カスティ、もし叶うなら、貴女が名前を与えたらいい」
「……っ……」
「出会うために生まれてきた子だ」
見上げた先で、一筋の雫がこぼれ落ちた。カスティは両腕で赤子を抱きしめ、布に顔を埋める。吐き出された吐息は嗚咽まじに掠れ、それでも幸福に溢れていた。
世界の誰よりも幸せに。願いを込めて名付ければ、それは明日、目の前に広がる楽園になるだろう。
カスティは大きく深呼吸し震えを落ち着かせ、赤子を再び視界に収めると、愛おしげに口角を緩ませ唇を開いた。
その朝焼けの瞳は世界を慈しみ、心から輝いて、エゼキエルは目尻から一つ、涙を零す。
「……それではどうか、光をお与えください。生前、人であったわたしが生涯支え、今生、この心で守り抜いた、……偉大なる王の、名前を」
エゼキエルの楽園 向野こはる @koharun910
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