第23話
くるみに突っ込まれるよりも先に、包んでもらった二種類の袋を差し出す。
「こっちが栞で、こっちがブックマーク」
説明すると、じっとりと目が向けられた。
「プレゼントさせてくれよ。俺だって、彼氏らしく振る舞ってみたいんだよ」
ここまでのお出かけは、割り勘でやってきた。ちょっとした小銭の貸し借りはあったが、それ以外はイーブンを保っている。不均衡さなど抱いて欲しくないので、それでいいと思っていた。
けれど、くるみが彼女らしい行動を取りたいとこれを始めたのだ。俺だって、同じ理由を掲げたっていいだろう。今更ながら、ではあるけれど。
「十分、振る舞ってたでしょ?」
「だから、これもそのひとつってことで」
「……ズルいなぁ」
一から百まで納得しているのかは分からなかった。沈黙の間に飲み込んだものがあるのかもしれない。それでも、不貞腐れていた顔つきが解れた。それだけで、気が楽になる。
「付き合わせてるんだから、そう言われちゃったら、もう食い下がれないじゃん」
「甘えてくれって言ったじゃん」
「重さを支えてくれるだけでも十分なのに、金銭面まで取り沙汰し始めたら、どう考えたって和君の負担が大きいでしょ。無茶はしてくれなくていいんだよ?」
「そんなふうに見えるか?」
肩を竦めて笑うと、くるみは眉尻を下げた。
掘り下げようとすれば、突く隙はあったのかもしれない。けれど、くるみは俺の本心を変に勘繰ったりはしなかった。降参したかのように微苦笑が零れ落ちる。
「じゃあ、和君はどっちの栞が気に入ったの?」
「くるみは?」
しれっと優先権を押し付けてくる手腕に捕まる気はない。切り返すと、くるみは困り顔になった。この遠慮がちな態度を崩したい。甘えて欲しい。そのための動きであるのだけれど、上手く運ぶには足りないことばかりだった。
「じゃあ、和君はブックマークを持っていて」
「いいのか?」
どちらかと言えば、赤いガラス玉に目を惹かれているように見えていた。くるみはそっちを選ぶのではないか、と。俺の予測は当てにならなかったらしい。
尋ねながら、栞のほうをくるみへ渡す。くるみは目を細めて受け取ると、こくんと首を縦に振った。
「ガラス玉が宝石みたいだったから」
同じことを考えていたようだ。
栞のステンドグラスだって十分赤いものだけれど、宝石を直接連想させるものは避けたかったのだろうか。惹かれてはいるけれど、忌避もしてしまう。そういうものなのかもしれない。
揺れるチェーンのちりちりと鳴る音も、宝石化の硬質な音を連想させる。そう考えると、惹かれていたというよりは、無意識的に気が向いていたというほうが正しいのかもしれない。
「だから、和君が持ってて。大事にしてね」
余計な忌避を考えていたところに放り込まれた言葉に、脳がストップする。ちょうど考えていたからこそ、その意味深さに気がついてしまった。いや、本当にくるみにそんな思惑があるのか。
ぎりっと首を動かしてくるみを見つめると、へにゃりと微笑まれてしまった。その儚く壊れそうに解れた顔に、ぎゅううと心臓が握り潰される。手にしていたブックマークを握る手に力がこもった。
「大事に、するよ」
「うん」
お互いに確認なんてしない。曝け出して、擦り合わせたほうがいいのだろう。けれど、スムーズな合点の心地良さには敵わない。それに、確認してどうしようと言うのか。
くるみのように、大切にするよ。
そんなクサイ台詞を言えたものではない。……近頃の考えなしの口なら滑り落ちても変じゃないけれど。そう思うと、そうかと納得して臍を固めた。
「大事にするよ」
もう一度、確固として繰り返す。低く。重く。体内に響く音も違ったそこに、意味が含まれているのなんて雄弁だった。
くるみの瞳が僅かに見開かれる。それは、自分の意図が伝わっていることを察してあまり余ることだったからだろうか。本音は分からない。俺はそれ以上、言葉を重ねなかった。
くるみは泣き出しそうな、蕩けるような、そんな笑みを浮かべていた。
旅館の中庭……と呼ぶのか。敷地内にもっと立派な中庭があるので、いまいち名称が不明だが、旅館の間にある狭い空間のベンチにくるみが腰掛けていた。旅館に似合った趣のある、背のないベンチだ。
気がついたのは、偶然だった。
硬質な音に耳聡くなっている自覚はある。そのすべてがくるみから発生するわけではない。ただ、お化け屋敷で聞いたときから、耳を掠めると無視できない性質が身についていた。そうして、くるみを見つけたのだ。
旅館の浴衣に着替えている生徒もいる中で、くるみは几帳面にジャージを着込んでいた。肌が見える隙間はない。ジャージなんだから、俺だってそれは同じだ。だから、異分子ではない。
でも、くるみがジャージを選択しているのは、好悪だけではないと察する。はだけるような布だけで生活なんて、とてもじゃないができるものじゃない。それを気の毒に思うのは、同情に過ぎるだろう。そんなくだらない感傷は捻じ伏せて、俺はくるみのいる中庭に出た。
「くるみ」
音にびくりと震えたくるみが、声と姿を確認して肩の力を抜く。
「和君、どうしたの?」
「そっちこそ、こんなところでどうしたんだ? 夕涼みか? 身体、冷えるぞ」
「平気だよ」
……感じないから、と含まれた音は曲解ではないはずだ。それほどに、進行は馬鹿にならず、くるみが思ったよりも深くそれを感じていることを、俺はもう知っている。
汚くなるかもしれないと不安定になるほどに、くるみは病気への鬱屈を抱えている。
それでも、すべてに切り込むことだけが正解だとは思わない。くるみが求めるのならば話は別だが、その真偽は分からなかった。俺たちは、偽物のカップルを演じることに意識を向けて、病気という現実から目を背けようとしていたのかもしれない。
経験をしたいという最期へ向けてのひとつのはずだったが、その繋がりは薄くなっていた。もう、無視する過程は通り過ぎてしまっているのだろう。
だからって、真っ正面から逐一取り上げることが好手だとは思わないが。
「無理はするなよ。風呂はどうしてるんだ?」
「みんなが露天風呂に行っている間に部屋にあるお風呂に入ってる」
「そっか。部屋の風呂も温泉なんだよな? 気持ちよかっただろ」
「うん。気分が違うよね。ただの浴室だけど、やっぱりちょっと違うし。でも、安心してゆっくり浸かっていられないのは、悲しいかな。さすがに着替えてる脱衣所に無作法に乱入してくるような子はいないけど、それでもいつ誰が戻ってくるか分からないし、ハプニングはあるかもしれないから」
すらすらと吐き出される。楽しんでいるように見えた。少なくとも、会話の間以外は、京都の町並みを楽しんでいたはずだ。けれども、思っている以上に旅行への憂慮は大きかったのかもしれない。
「休めてるか?」
二日目だ。仮に休めていないとしても、まぁそこまで危機感を抱くことはないのかもしれない。けれど、その問いかけは、くるみにクリティカルヒットしたようだ。眉尻が下がった顔は如実だった。
「……夜もね、もし寝相が悪くなったらどうしようとか。服がめくれたらどうしようとか。いつもそんな寝相なんかじゃないのに心配するの。馬鹿みたい」
膝の上に置いた両手の指先を合わせながら、細々と零す。自嘲めいた笑みが、瞼に焼きついた。手慰みしている手に、そっと指を重ねる。絡め取って繋ぐのを、くるみはじっと眺めていた。
「人と寝るのに慣れてないと、気を遣うよ」
同じように細々と話す。館内からは生徒たちの声がさわさわと聞こえていたが、夜の帳にいる俺たちの間には、その静けさが似合っていた。
くるみは小さく息を呑む。
「俺だって、一人のほうが休めるから」
続けて言うと、ほっと息が落ちた。くるみの弛緩した身体が、ぽふりとこちらへ倒れ込んできた。肩口に乗せられた頭に、こちらも首を傾けて寄り添う。
「和君は暖かいね」
「やっぱり、冷えてるんじゃないか」
繋いだ手を手放して、肩へ腕を回した。ただそれだけで温もりが増えるとは思わない。それでも、温もりを分け合うように擦り寄る。
「……休めないから」
「邪魔したか?」
「ううん。和君と一緒にいるのは、落ち着くから。他の誰にもこんな話できないもん。甘えてもいいから、安心する」
昼間のことを引き合いに出されているような気がした。甘えていないことはないのだ、と。
それくらい、分かっていた。くるみは俺を頼ってくれている。今以上を求めている俺が我が儘で踏み込み過ぎているのかもしれない。
けれど、交流を深めていけば、踏み込みが深くなっていくのは変じゃないはずだ。ただし、くるみ相手では、病気のことと密接に繋がることになる。だから、難度が介在してくるのだ。
それでも、くるみの中では十分に甘えている。それは間違いないのだと、そう主張された気がした。
「なら、よかった。もう少し、ここにいるか?」
「うん。二人がいい」
すりっと肩口というよりも、胸板に寄られる。腕の中に入り込んでくるような距離感だ。近い。可愛い。
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