第五章
第22話
くるみを落ち着かせるためにしばらく時間を使って、それから和喫茶に入った。入れればどこでもよかったのだが、良い具合に和菓子を置いた京都らしい趣のお店だ。
そこで、お団子と生八つ橋に抹茶を頂いて、くるみは随分落ち着いたようだった。これは俺も一緒だ。取り乱していたのは、くるみだけじゃない。お互いに苦笑いとともに渋味を抹茶で飲み下した。
時間の使い方としては、贅沢だっただろう。言い方を変えれば、もったいない。他人がいたら、こうはいかなかったはずだ。
俺はもったいなさよりも、くるみとの穏やかな時間のほうが大切だった。腹を括ったら、今まで以上に贔屓目が出てきたような気がする。比較対象がないので、判断のしようがないけれど。
そうして、二人で時間を悠々と使った後は、商店の通りを歩いた。どれだけ落ち着いたと言っても、吐いた弱音がなかったことにはならないし、するつもりもない。その気まずさというか、差異は生まれている。けれど、そんなことは織り込み済みだ。
くるみもそうだったのか分からない。恋人繋ぎで歩くデートスタイルが変わることはなかった。隣り合って、スローペースで歩く。
思えば、歩調も遅くなっていた。昨日も集団行動から後れを取っていることが度々あったのだ。俺はそれに合わせて移動していた。置き去りになることはなかったが、それは大人数のおかげでしかなかっただろう。
マイペースで移動できることは、安全面からしても安心していられた。
「良い天気でよかったよね」
「寒くはないか?」
「ちょっと冷たいけど、タイツだし、コートも着てるし大丈夫」
「京都って寒いんだな」
「さっきまでお店にいたから余計にかもね。和君のほうが寒いんじゃない?」
「そういうところも鈍ってんのか」
何気ない会話に症状を紛れ込ませるのは、前から片鱗はあった。それが、動乱の後も健在だ。これは、甘えてくれているのだろうか。当人はどうあれ、そういうことにして喜んでおく。症状を隠されては、支えようにも支えようがないのだから。
「少しずつね」
「……俺のこと、分かる?」
「まだ脳みそは通常だけど。前より、温もりは分からなくなったよ……あ、手! 手は分かる! から、繋いでくれるとほっとするの」
俺から触れて、硬質なのが分かるのだ。逆を考えればすぐに分かることだった。肯定されて浅慮さを味わったところに、ほろりと別の感情が注ぎ込まれる。繋がれた指の深さが切々と身に迫った。
「俺も好きだよ、手を繋ぐの」
自分の口がガバガバになっている自覚はしばらく前からある。悶える日々を過ごして自覚がないなんてことはない。だが、今それが一段何かを越えたことに気がついた。
括った腹の重さが違ったのだろうか。何にしても、好きだと直截にぶつけたのは初めてだった。際どいことをいくつも言って、意味深さを引き出したことはある。だが、あけすけに好きだと告げたことはない。
あえて逃げていたつもりはなかった。けれど、やはりその言葉が安くないことは自覚していたのかもしれない。
「和君って、本当、そういうとこあるよね」
「先にほっとするって言ったのはくるみだろ。俺は同意しただけだ」
「同意以上のものを返してもらってるってこと」
「返せてるなら大歓迎だよ」
真実、くるみにお返しができているのなら満足だった。しかし、くるみは納得がいかないらしい。
「もらい過ぎだよ」
想像できる反駁に、苦笑が零れる。くるみはその反応も気に食わなかったらしい。むぅと唇を尖らせる。
「いいんだよ。俺がやりたくてやってるんだから。くるみに文句を言われる筋合いはないぞ」
「そう言われると、どうしようもなくなるからズルいよ」
「ほら、お互いに悪いことはないんだから、もういいだろ。店に入ってみようよ」
下手くそもいいところだった。くるみにだって逃げ出したことは見透かせただろう。不満を消すことはなかったが、食い下がっても仕方がないことは間違いない。
むんと膨れた顔をそのままに、くるみはそばの商店をきょろりと見て、俺の手を引いた。
導こうとしている店舗は、和雑貨が置いてあるお店のようだ。ガラス玉を使ったかんざしなど、煌びやかな商品が並んでいる。女性向け商品ばかりというわけでもないが、俺一人では入らなかっただろう。そこに、手を引かれた。
きょろきょろと商品棚を見回しながら、ゆっくりと歩く。ハンドメイドのお店なのかもしれない。商品を丁寧に扱っている様子が見て取れた。ガラス製品も美しさが目に眩しい。キラキラしていた。
それを見つめているくるみの気配もキラキラしている。どうやら、かなり好みに合致したらしい。前のめりになって商品を見ている。あれこれと迷うように動いていた視線が、ひとつの商品区画で止まった。
ステンドグラス栞やガラス玉がついているブックマーク。海や夕焼けなど自然をモチーフにしたようなそこを、くるみが凝視している。ちらりと値札を見ると、高価過ぎるということはなかった。
「気に入ったの?」
後ろから覗くように声をかけると、くるみはうーんと唸り声を上げる。
「ブックマークって使ったことある?」
「いや、ないな。ひっかけるように使うんだろ? ガラス玉とかが別のものに引っ掛かって、ページから引っこ抜けそうな感じはある」
「栞にその心配はないよね。でも、赤いの可愛い」
いくつか並んでいるブックマークのひとつ。透明度の高いガラス玉が揺れている飾りを指差す。
赤いガラス玉。きらりと光る石。宝石にも似たものだ。それを可愛いとナチュラルに受け入れられているくるみの許容量には驚かされる。
「気に入ったものがいいんじゃないか?」
「でも、ステンドグラス栞も可愛い。夕暮れのグラデーションとっても綺麗」
赤とまとめるのは、乱暴だ。ただ、赤い印象の強い栞だった。もう俺の中では、くるみと赤が深く繋がっている。気に入るのも分かるような気がしたくらいに、自然なことだった。
手に取って光に透かすと、陽の光に輝いて美しさがいや増す。くるみも俺の行動を見ていたのか。感嘆の息を吐き出した。
「本当に綺麗だね」
「ブックマークも捨てがたいんだろ?」
言いながら、そちらも手に取って光に翳す。ちらちらとチェーンに揺れる赤は複雑な色味を放つようだった。
俺が持つ二つを、くるみが目を往復させて見ている。餌に釣られた犬のようだ。当人としては待ちきれないのではなく、悩んでいるのだろうけれど。
微笑ましさに目を細めながら、手に取った二つをそのまま手元へ引き寄せた。くるみはそれを追って、商品棚から俺へと視線を移動させてくる。やっぱり、餌に釣られる挙動と言ってよかった。
そのまま無言で手を引いてやると、くるみがぎょっと目を剥く。
「ちょ、ちょっと待って。和君」
「何?」
「え? 買うの?」
「買わないの?」
「買うとしたらどっちかひとつにするし、和君が持っていくことないでしょ」
「選ばなかったほうは俺が使うからいいよ」
「じゃあ、選んでからでいいじゃん」
「いいから」
「和君ってば!」
くるみは俺が両方買うつもりだと気がついているのだろう。これで気がつかないほど鈍感じゃない。それでも、俺はけろりとレジへと進んだ。
いなすことに慣れている。こういうと、自分が手慣れた人間に思えるが、それだけ誤魔化すことに不足があるだけだ。
くるみは不服をちっとも隠さなかったが、店内で大騒ぎするマナー違反はしない。そこまで読んでいるから、流すことができている。そうでなければ、こうも強引に事を運ぶことはできなかっただろう。
そうして、ちゃっかり支払いを終えて店を出た。くるみは不貞腐れながら、俺に手を引かれている。
近くのベンチに近付いてから、ようようくるみは俺の手を離した。俺がベンチを目指していたことも分かっていたのだろう。しかし、それはこちらだって同じことだ。
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