第20話
「ばか」
じゃりじゃりの砂糖の塊を口の中にぶち込まれたような気がした。ただただ自爆しただけだ。俺はダウンするかのように、くるみの肩口に顔を埋める。
「えっち」
囁くような声にトドメを刺された。弁解のしようもないのが、より強烈な一打となる。
「……悪い」
「み、耳元で喋らないで」
か細い声を一瞥すると、埋めている首筋もまだ真っ赤なままだった。ぞくぞくと胸が震える。自分のよくない嗜好性を目の当たりにしている気がした。
「弱いの?」
「反省してないでしょ!」
「自覚しろって言っただろ」
「私のせいにしないでよ」
「元はといえば、そっちが煽ったんだろうが」
「……本気?」
悪ノリと思っていたのか。確かに、うやむやな成り行きになったので、誤認も仕方がないだろう。気恥ずかしさから、本気になり過ぎないように濁そうという意思がなかったとも言えない。
おかげさまで、真っ赤なまま、気恥ずかしさを前面に打ち出して質問されるという羞恥プレイに陥ってしまっていた。これだけのことをしでかしておいて、今更としかいいようがないけれど。俺は黙って顎を引いた。
声を出さなかったのは、自分が声の調整できると思えなかったからだ。くるみと同じ顔をしている自信があった。
「そ、そうなんだ……」
しみじみ相槌を打たれて、恨みがましい目を向けてしまった。くるみは片手を自分の頬に押し当てて、感じ入るような顔をしている。
かっと下腹部が熱くなった。
なんて顔を。
たまらなくなって、もう口を開くことはできない。理性を総動員させて、息を吐き出す。ひどく発熱した熱源にでもなった気分だった。
くるみもそれ以上、言葉もないらしい。はくりと蠢く唇は、口を開こうと言うよりは、俺と同じ意図を持っているように見えた。それでも、お互いに離れようとはしない。そんな余裕すらなかった。
外から見た自分たちがどう見えていたか、などという視点は以ての外だ。後で近藤に弄られたことはやむを得ないことだっただろう。
散々茶化されて撃沈はした。けれど、だからって約束を反故にするつもりはない。
翌日の自由時間は、約束通りにくるみと行動を共にした。あまりにも定番めいているが、目的地は清水寺。観光して回る余裕はないので、寺を推したのは俺だ。
往生際が悪かろうとしても何だろうとも、健康祈願のひとつでもしておきたかった。それこそ、神頼みで奇跡でも起こらなければ、くるみの最期は覆せない。そんな万に一つ。億が一つ。本気で賭けているわけではない。陳腐でつまらない願掛けだ。
それでも、せっかく京都に来たのだから。観光目的でもそこまでズレていない。くるみも頷いてくれたから、俺は願いを胸に抱えて推薦したのだ。
「初めてだって言ってたよね? 和君って、方向感覚いいの?」
「なんで?」
「私、迷子になりそう」
「方向音痴だったか?」
「土地勘のない場所じゃ全然分かんないよ。町並みに心当たりもないんだもん。目印もないじゃん」
それを方向音痴と呼ぶのでは? とは思ったが、念を押すのはやめておいた。何より、今その心配をするのは無駄だ。
「こうして手を繋いでるんだから、今は大丈夫だろ?」
恋人繋ぎで繋がれた手をぶんと振る。このくらいの接触は自然だった。むしろ、並んで歩くのに手が塞がっていないことに、違和感を覚えるほどだ。くるみがどう思っているかは知らないが、俺はこの状態を気に入っている。
「うん。和君が一緒に来てくれてよかった。そうじゃなきゃ、もっとあたふたして自由時間を無駄にしてたかもしれない」
「だから、最初から俺を誘ってくれればよかったんだ」
「そんなこと言われたって、私だって遠慮はするよ」
「今更だっただろ」
「取りまとめてしまわないでよ。もっといっぱい甘えちゃいそうになるから」
何の不都合があるのか。こちとら、もう抱けるとすら心情を晒している。甘えられたところで、受け止めるに決まっていた。くるみが何の心配をしているのか。俺にはさっぱり分からなかった。
きょとんとしてしまった俺に、くるみは苦笑を零す。
「そりゃね、今だって十分甘えてるよ?」
そんなことは、ちらとも思っていなかった。いや、甘えられているなとは思う。けれど、過度だとは思っていない。十分というほど、何もかもを晒して預けられてはいないだろう。
かなり気を許されていることを否定はしない。そこまで自己肯定感は低くないつもりだ。けれど、くるみは病気のことで俺に甘えることはない。彼氏役を求められていることが、一番の甘えと言われればそれまでだろう。
だが、これは俺もいい思いをしていた。一方的な甘えというのとも違う。
「でも、やっぱり、手取り足取りが過ぎると申し訳ないなぁと思うし、これ以上は甘え過ぎでしょ?」
「そんなに狭量なつもりはないけど」
「和君の器がでかいことはよーく分かってるよ」
自分から狭さを否認しておいてあれだが、かといって広いとも思っていない。苦くなってしまった俺に、くるみは唇を尖らせる。癖なのだろうな。その横顔はいつだって可愛いので困った。
「だから、甘えていいってわけじゃないでしょ?」
「いいけど」
「和君は私が重いってことを知らないんだよ」
「難なく抱き上げられるくらいだって知ってる」
しれっと告げると、繋いでいた指先が俺の手の甲を叩いてくる。恐らく、抵抗であるのだろうが、微細過ぎてくすぐったいだけだった。
「宝石化していく身体は重いんだよ」
とうに聞かされた論法だ。それを今取り出してくる。甘えてくるの部分が病気のことにかかっているのかが分かりやすかった。だからこそ、指の股を埋めるように握り締める。
「支えることはできるだろう」
「共倒れだよ」
「俺はそんなことで手放すほど、お遊びで一緒にいるなんて約束はしない」
口ではなんとでも言えた。それにどれほどの保証があるというのか。俺自身、疑問しかない。
ただ、今この瞬間。このときばかりは、大真面目であることを察せないほど、くるみは情緒がない子ではない。だが、同時に、安く納得してくれるほど、宝石結晶病を軽く考えているはずもなかった。
「約束はできても、実現できるかは別問題でしょ」
「だからって、努力もしないほど怠惰なつもりはない」
「和君は十分頑張ってくれてるよ」
「……頑張る?」
何をだ、と瞬時に記憶が駆け巡った。
ろくなことはできていない。お化け屋敷での狼狽っぷりひとつとっても、俺はくるみを満足にエスコートすることもできていないのだ。何を持って、頑張っているなんて胸を張れるのか。
「だって、彼氏役してくれてるでしょ?」
ぐわりと腹から競り上がってきたものには、どうにか蓋をした。ここで怒りをぶつけるのは、理不尽だ。
くるみにしてみれば、そう考えるのも何も変ではない。実際、俺は彼氏役をこなしている。取り引きのような始まりでもあった。それを頑張っていると考えられるのは、何も変ではない。
その擦り合わせをしていなかったのは、順調だったからだ。俺たちはここまで、自然に恋人のプロセスを進められていた。だからこそ、くるみがしてもらっていると思っていることに胸を抉られる。
「確かに、そうだけど、頑張って示し合わせようとはしてない。普通に、仲良くなっていると思ってたけど、違ったか?」
蓋をして押し込めたつもりだった。しかし、声には剣呑さが滲んでいた。
くるみも失敗したとばかりの顔つきになる。さすがに、交流のすべてを義務でこなしているなんて言いざまはひどいと分かっているのだろう。怒りの理由が分かっているのなら、まだマシだ。
「……違わないけど、」
「今までの俺の台詞をなんだと思ってたんだ? 芝居か? 寂しくないと言ったのも、一緒にいてと言ったのも、泊まろうと言ったのも、ただの気まぐれか。くるみは演技でしかなかったのか」
一度堰を切るとつらつらと零れた。くるみは激しく首を左右に振る。
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