第18話
パレードまで見て帰るのは、当初からの予定だった。くるみも家族に時間の許しをもらっている。俺も遅くなることを告げて出てきた。
だから、くるみの症状以外に心配することはない。他はパレードの人混みだけだろう。それも、早めに動くことで回避することができた。帰りの人混みに揉まれずに済むとは言えないが、ひとまず安心する。
「人、増えてきたね。和君は人混み平気なほう?」
「そこまで気にならないかな。くるみこそ、平気か? 苦手になるのも想像できるんだけど」
「そうだね。どんどん苦手になってきたなって思う。あんまり、人とぶつかりたくはないし、そもそも小さいし」
「小さいし?」
隣の顔を見下ろすと、くるみは唇を尖らせてこちらを見上げてきた。確かに、低いほうだろう。けれど、格段に低いというものでもない。くるみはそのまま頭をこつんと胸元辺りにぶつけてきた。
「高さ、ここなんだよ? 人混みに入ったら、潰されそうで怖いし息苦しいよ」
ぶつかったまま話すので、距離が相当近い。近くにいる人からの視線を感じる。
「なるほど。じゃあ、そうならないようにそばにいてくれ」
俺だって、図抜けて背が高いわけじゃない。それでも、くるみのように生きづらさを感じたことはなかった。
そのそばにいるからって、安全であるなんてことはない。けれど、そばにいれば助けてあげることはできる。肩と背中の間に触れて告げると、くるみはふふっと笑って腕を身体に回してきた。バカップルもいいところだ。
自分がそんなものになるとは思っていなかった。けれど、くるみに付き合うことに、何の不満もない。また後で身悶えするかもしれないが。
「和君がいてくれれば大丈夫だもんね」
「信用し過ぎじゃないか?」
「だって、いざとなったら抱きかかえてくれるんでしょ?」
そうして甘え尽くそうだなんて、くるみは本気で思っちゃいないだろう。けれど、頬を胸板に寄せて目を細めて呟く。その姿は甘えているとしかいいようがなかった。
信用を得られるほど、適切な対処法だったとは言い難い。それでも、その不手際めいた対処を求めてくれるというならば、苦笑いを噛み殺して頷くしかなかった。
「まかせてよ」
とんとんと背を叩く。くるみはくふくふと楽しそうに笑って、べったりくっつくのはやめてくれた。
いくら開き直って受け入れると決めても、ドキドキしなくなるわけではないので助かる。とはいえ、完全に離れるわけではなく、隣に寄り添っていた。俺もくるみの肩を抱き寄せる。
「和君、暖かいね」
「寒いの?」
「夕方になるとすっかり肌寒くなるようになってきたよね。目論見が甘かったかも」
「シャツ、羽織るか?」
「ううん。大丈夫」
そう言って、抱きついてくる。この可愛さはどうすればいいのか。思わず、自分の顔を片手で覆って空を仰いでしまった。
「和君?」
不意の行動に疑問を持つのは自然なことだ。
俺は、はぁと思いきり息を吐き出して、指の隙間からくるみへ視線を流した。きょとんとした顔で首を傾げている。見る回数が多い所作ではあるが、見るたびにどぎまぎして慣れない。
「くるみは自分が可愛いってことをもう少し自覚を持ったほうがいいと思う」
「急に何?」
「そうやってけろっとした顔でスキンシップするの、すっごいドキドキするから勘弁してくれ」
「嫌だった?」
「嫌じゃないから困るんだよ」
嫌だったなら、もっと早くに片手間に言えている。そうじゃないから、こんなタイミングでようやっと口にしているのだ。
くるみはやっぱりきょとんとしていた。自覚が薄いのだろう。ナルシズムを拗らせているよりは取っつきやすいし、お淑やかでいいけれど。
けれど、この緩さは、いずれ……と考えて、思考が止まる。
いずれ誰かに付け入られる。そんな未来は、おおよそない。俺が一緒にいると決めた以上、俺以外に発揮されることはないのだ。
少なくとも、俺はくるみを他の誰かにいいようにさせる気はない。だから、くるみがこうする相手は俺だけだ。大局を見れば、寂しいことなのかもしれない。けれども、今はそれよりも幸福感のほうが強かった。
俺だけ、という特別感がたまらなく胸を膨らませる。
「じゃあ、いいでしょ? 私だって和君が迷いなく抱き上げてくれてドキドキしたもん」
その点を突かれると、こっちも反論を持たない。確かに、やった側だってドキドキしたのだから、される側も同等だろう。
「だからって、全部がいいってわけじゃないでしょ」
何かを引っ張ってきて、全部と言ったわけでもない。しかし、くるみは何かを考えるかのように目を逸らした。
お互い、距離を測っているのはいつもことだ。だから、この間合いも、それほど異質には捉えなかった。
それから、くるみはちらりとこちらを見上げてくる。様子を窺う、というのが正しい視線運びには、今度はこちらが首を傾げてしまった。思えば、俺たちは互いに疑問ばかりを抱いている。相手を知らないことを思い知らされてばかりだ。
「和君は、いつか、お泊まりしたいって言ったら、嫌?」
「……は?」
発したはずの声は掠れていて、音になっていなかった。
ふざけているのかと思ったのは一瞬だ。見下ろしたくるみの瞳は至って真剣だった。眉が下がっているから、困惑することを聞いている自覚はあるのだろう。それでも、ふざけていないことだけは間違いなかった。
「……本気か?」
表情から真剣なのは気取れるものだから、自分でも思った以上に低い問いかけになる。
くるみは唇を引き結んで、一度だけ頷いた。そのまま俯いた顔が上がってくることがない。その頭頂部を見下ろして、生唾を飲み込んだ。喉が鳴らないように意識したつもりだったが、成功したかどうかは分からない。
抱き寄せている肩を引き寄せる。俯いてる耳元に唇を寄せたのは、さすがに人目のある場所で公言するのは憚ったからだ。
こんなにもイチャイチャしていれば、そんなものは同じだろうから、悪足掻きだっただろうが。
「君が望むなら、きっと甘えてしまうと思う」
露骨な欲が滲まないように、抑制したつもりだった。
とはいえ、言っていることの意味合いが薄れるわけではない。その濃さにやられたように、くるみがびくんと身体を震わせて顔を上げる。頬が赤く熟れていた。身体に回っていた指が、シャツを引っ張る。
「あの、私、はしたないことを、あのね」
今更になって、羞恥心に炙られたらしい。
これは俺の返答のせいで、現実味が増したということもあるのだろう。というよりは、それが過半を占めている。俺自身、自分の返答の浮かれっぷりに頭を抱えそうになった。
「分かってるから、落ち着け」
真っ赤な顔でこくこくと何度も頷く。可愛過ぎないか? 誰かに共感してもらうことで、気持ちを落ち着けたいくらいだった。
くるみは頷いた後、長く息を吐いて視線を逸らす。
「お泊まりは普通に旅行だってことだったけど、でも、嫌だったら、言ってないからね?」
ぼそりと呟かれて、頭に熱砂が突っ込まれたようだった。
「俺もだよ」
どうにか答えられたのは、奇跡に等しい。
行為について断定できるのか。そんな心境はある。でも、今までのように偽物だからという言い訳を用意できないほどに、確かに欲求があった。
くるみに触れることに慣れ始めている。想像力は働いていた。決して、夢想の領域ではない。胸に湧き上がる欲求はリアルな輪郭を持っていた。
くるみは「うん」と呻きか鳴き声かというほど漠然とした音を出して頷いた。視線が泳いでいる。瞳が潤んでいるかもしれない。パレードが始まる前の薄暗いようなほの明るいような光の中で見える錯覚だろうか。
くるみは片手を離して、ぱたぱたと顔を扇いでいた。こちらも髪の毛を掻き上げて、落ち着かなさを分散させる。そんなものでどうなるわけでもないが、何もせずにはいられなかった。
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