第四章

第16話

 約束していたデートの待ち合わせは、くるみの最寄り駅。そこからバスで移動する。

 デート服なんて持っていなかった俺は、前日の夜からてんやわんやしていた。ここのところずっとそうなので、非常に落ち着きがない。

 意識してうじうじしていたかと思ったら、今度はそわそわとし始める。近藤は怪訝な顔をすることが増えたが、相手にしている暇もない。

 当日は、シャツジャケットにスキニーパンツ。シンプルだが外れのないコーディネートを用意できたのは奇跡的だっただろう。

 参考資料に買ったファッション雑誌は意味をなさなかったかもしれない。だが、高度なお洒落に挑戦するよりも無難な好印象を取った。慣れないことをやるのだ。突飛な気合いに振り回されると、ろくなことにならない。

 俺は勢いでやらかす、ということをカラオケデートで十全に学んだ。

 大胆になっても、くるみは拒絶したりはしない。彼氏役としては申し分のない立ち居振る舞いなのだろう。しかし、自傷ダメージが並々ならない。いや、言動を悔いてはいなかった。くるみに一時でも安心を与えられたのならば嬉しい。だから、後悔はしていない。

 ただ、こっぱずかしくてもんどり打つ夜がやってくる。そのダメージと言ったらなかった。

 充足感がないわけではない。役に立ったのだ、とか。くるみが可愛かった、とか。好感触を抱くことも多い。だからって、面映ゆいのは面映ゆいので、じたばたするのだ。こんなものに偽物も本物もあったもんじゃない。実際に交際するのと同じくらい、俺は右往左往しているだろう。

 デートについても、同じくらい緊張していた。待ち合わせ場所に辿り着いたのは四十分も前だ。半端な時間が、逆算もできていないことを思い知らされる。

 スマホを弄りながら時間を潰そうとしたが、スマホで何をすればいいのか分からなくなって、宙を見上げるだけになった。

 青天井はデート日和だ。遊園地に行くには、これ以上ないほど陽気だった。時折そよそよと風が吹き抜けていくのも心地良くて、天候は素晴らしい。立ち上がりとしては、上々だろう。

 益体もないことを考えて、意識を逸らそうとしていた。そうして躍起になっているうちに、時間は矢のように過ぎ去っていたのか。

 陽の光の中に、くるみの姿が降臨した。まさしく、降臨、だった。

 緑色のロングスカートのうえに、薄いクリーム色のシャツカーディガンを羽織っている。ひらひらとした裾が風に揺られていた。清楚さが輝いている。

 こちらに気がついたくるみが、マシュマロのように笑って近寄ってきた。距離が縮まると、いつもよりも唇に潤いや艶めきがあるのに気がつく。化粧しているのかもしれない。それに気がつけるほどに、くるみをよく見ている。

 どくりと心臓が高鳴った。


「おはよう、和君。待った?」

「ううん。さっき来たばっかりだよ。おはよう」


 実質、どれくらい待っていたのか。そのとき、すぐに分からなかった。それどころか、聞かれたことを答えるのでいっぱいいっぱいだった。

 くるみが眩しい。


「和君?」


 呆然としている俺に、くるみが首を傾げる。その揺れが作用したのか。ふわりとシャンプーの香りがした。

 くるみに対してのアンテナが過敏になっているだけかもしれない。それでも、確かに掴まえた香りが、心臓の高鳴りをしつこく持続させた。


「私服を見たの初めてだから、ビックリしてただけだよ」

「いつもよりお洒落しちゃった。どうかな?」


 いかにもカップルらしい会話のきっかけだ。テンプレートを外すつもりはない。それに、くるみの外見を褒めるのは、もう今更だ。


「綺麗だよ」

「言わせちゃったね。和君もかっこいいよ。爽やかだね」

「くるみに釣り合ってるといいけど」

「もったいないくらいだよ」


 目を細めて見上げられて、目が焼かれそうだった。くるみは楽しそうに笑って、俺の腕にまとわりついてくる。きゅっと組まれた腕が触れ合っていた。心安い動きが胸を満たす。


「俺の台詞だって」

「じゃあ、釣り合ってるんじゃない?」


 ふふっと笑うくるみは、いつもよりテンションが上がっているらしい。やりたいことができるからだろう。その足元がふわふわしているのを、こっそりと観察するように見つめた。

 足元が一番おぼつかなくなっている。遊園地を候補に挙げたときも、歩くことに問題がないかを確かめた。くるみは大丈夫だと頷いたのだ。だが、このテンションを見ると、そう呑気に構えている場合ではない気がした。

 腕を取られている。支えるのに不便はない。この状態を上手く利用して、くるみに無理させないように。今日の俺の目標は、どちらかと言えばそちらかもしれない。

 そう思うと、ドキドキと奏でられる鼓動の種類が変わってくる。意識が変わって気が落ち着いた。




「きゃあああ」


 絶叫マシーンに乗ることにビビっていたのは俺のほうだ。

 それは乗り物への恐怖よりも、くるみへの心配が大部分を占めていた。けれど、そんな忠告を逐一できるわけもない。

 くるみはそこを強引に押し進めるほど、無鉄砲ではなかった。自分の症状を把握している。だから、見極める力を著しく疑うことはできなかった。

 その分、俺には気を払うことしかできない。そのために、やたらとくるみを見ていた。楽しそうにしている。絶叫マシーンでもきゃらきゃら笑っていた。怖いことが楽しいらしい。

 体調不良を感じることもなかった。他のアトラクションに突撃している間も、くるみはただただ楽しそうにしている。

 そんなものだから、徐々に不安は薄れていった。病気のことを無視することはできない。だからって、それだけに拘泥して身動きが取れなくなってしまっては意味がないだろう。その思考があるものだから、薄れていくことに滅多な危機感を抱くこともない。

 落ち度というのは、そういうときに限ってやってくるから落ち度と呼ぶのだろう。

 お化け屋敷にも臆さず入ろうと言い出したのは、くるみだった。


「……どうしても?」


 ここでも尻込みしたのは俺だ。このときばかりは、くるみのことではなく、ホラー耐性の低い自分が可愛いだけだった。

 くるみはニコニコ笑って頷く。そうして、こちらを見上げてきた。


「ダメかな?」


 具合を窺うのは普通だ。気遣いだろう。だが、上目に小首を傾げられて、嫌と言える男がいるだろうか。しかも、デート中に。

 いくら偽装と言ったって、実際に二人で遊びに来ている。これを定義としてデートと呼ぶなら、多少の苦手だけで拒否はできなかった。絶対的でないことが背を押してしまったのだ。

 腕を組んで中へと入る。くるみも俺も、腕組みが堂に入っていた。お化け屋敷に入るカップルとしては、お似合いだろう。遊園地でイチャつくことは、周囲の目に留められない。おかげさまで、許容範囲が緩々になっているところがある。その勢いで突入した。


「ひぇ」

「うわああ」

「ぎゃあ」


 暗い通路に、お化けが待機している。スタンダードなお化け屋敷ではあったが、飛び出してくるタイミングが秀逸で、俺は情けない悲鳴を上げてばかりになった。

 くるみは震えて腕に縋ってくる。驚いていないわけでも、怖くないわけでもないらしい。だが、悲鳴は俺のほうが多かった。情けないことこの上ないが、反射で飛び出るものを制御できない。開き直って、くるみと驚きを楽しむことにした。お化け屋敷とはそういうものだろう。

 そうして進んでいって、出口が見え始めた。後ろで物音がする。ぎくりと身を竦めた拍子に、呻き声とともに幽霊の格好をした脅かし役が迫ってきた。


「うひゃ」


 ここまで適度に楽しんでいた様子のくるみも、これには度肝を抜かれたらしい。ぎゅうぎゅうと腕にしがみついてきた。躊躇がないことは嬉しいが、柔らかい感触がぶつかっている。そして、すばしっこく距離を詰めてくる幽霊に我慢できなくなったのか。


「いやぁ」


 と俺の腕を引っ張って走り出そうとした。

 本当は俺なんか放り出して逃げたいのかもしれない。それくらいの勢いだったし、腕は指に引っ掛けているくらいの申し訳程度になった。最後の良心が俺を放り出さなかっただけだろう。

 そのときの俺はまだ、冷静だった。こういうとき、スタッフはお客様に触れないと聞いたこともあったからだろう。それに他人が驚いていると、いくらか冷静になるものだ。相対性はある。

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