第12話
お昼は一緒に摂っている。
くるみは手作り弁当を申し出てくれたが、それは俺が遠慮した。くるみが送り迎えを拒否したのも分かる。一方的に尽くされるのは、どうにも勝手が分からなかった。
俺たちは屋上へ続く踊り場で、ひっそりと並んで昼食を摂っている。俺は元々、教室で適当に食べていたし、くるみも同じようなものだった。俺たちが移動したところで、特に目を惹いている様子もない。
あえて秘密にしようなんて話は出ていなかった。くるみから何も言い出さないので、俺も口を閉じている。
偽物の関係でしかないが、噂になってもいいものなのだろうか。俺たちは、教室で主導を握っているような生徒じゃないから、注目されていない。
ただ、高校生なんてもの、惚れた腫れたには殊更敏感だ。公にされるかはさておき、さりげなく気にされることはあるかもしれない。くるみはそれを想像していないのだろうか。それとも、想像したうえで棄却しているのだろうか。判断はできない。
そして、俺自身、それはどちらでもいいことだ。どっちにしろ、期間限定の偽物に過ぎない。……ここで期間限定であることを声高にしたくはないが。だが、実質、一時のことだ。
くるみがよしとするならば、俺に否はなかった。
「くるみって甘いもの好きだよな」
「ん?」
クリームパンを頬張りながら首を傾げる。リスのようだ。
「よく甘さのあるパンを食べている気がするから」
「ああ、」
頷いた後、逡巡が走る。本当に寸毫だった。けれど、視線の動きは分かりやすい。そして、俺が気がついたことに、くるみも気付いたようだ。恐らく、自分があからさまであったことに自認が追いついたのだろう。
「味覚が、弱くなってきたの」
「……甘みがよく分かるってこと?」
「味が強いとちゃんと分かるの。不健康になりそう」
へにゃりと眉尻を下げる。宝石結晶病の時点で不健康だ。それに輪を掛けて不健康。そりゃ、弱り切った顔にもなる。
だから、ってわけじゃない。でも、だから、ではあるのだろう。何でもないことのように。日常の一部であるかのように。俺は平素を装って問いを投げた。
「嚥下には困ってないか?」
「うん。それはまだ大丈夫。美味しい」
微笑まれると、胸がいっぱいになる。
ほっとしたというのもあった。だが、素直に美味しいと笑うことに癒やされていた。どんな状況でも、くるみの柔らかさが損なわれるわけではない。
「美味しいなら良かった。甘味が楽しめるなら、ハニトーは楽しめるね」
「そのつもりで誘ったんだもん」
「それなのに、遠慮してたの?」
「してないでしょ?」
くるみは心底不思議そうにする。気遣いをすることが身についているのは、元来の性格だろうか。くるみは俺のことを人が良いと評して信頼を寄せてくれているが、くるみも大概だった。
「嫌ならいいって妥協してただろ」
「だって、彼氏が嫌な思いするのは違うじゃん? 付き合っているのを体験したいんだもん」
「彼女に事情があるなら、手助けしてやりたいものじゃないか?」
「それって、過剰じゃない?」
「……病気だから言ってるんじゃないよ」
恋人同士であることを明言することに躊躇はない。一般論を交わし合っているようなドライさがあるからだろう。一層の実感が迫ってくれば、また変わってくるかもしれない。
だが、病気のことに関しては話は別だ。くるみは秘密にして欲しいと求めてきたし、俺だって流布して回ろうなんてちらとも考えない。だから、無意識に声を潜める。隣に座って声を潜めるのだから、自然に距離は近くなった。
くるみは、それだけでは納得していないような顔をしている。近付けば違和感は掴みやすくなるものらしい。それともこれは、自分で説得力がないと感じているから出てくる発想だろうか。
「くるみのお願い事なら叶えてあげたいよ」
これって結局、病気じゃないからの補強にはなっていない。発した後で気がついても、もう遅かった。愚直な繰り返しだ。内省までの時間は即刻だったが、だからって対応がすぐに出てくるものではない。間に流れる沈黙が居たたまれなかった。
そのうちに動いたのはくるみで、顔を覆ってため息を吐かれる。内省が一瞬で後悔に塗り替えられた。臓腑の中に氷を突っ込まれたように、寒気で体内が凍える。凍った身体が上手く動く道理もなかった。
「和君って時々、すごいこと言うよね」
「え、ごめん」
どこか悄然とした声で言われれば、焦りが加速する。何を考えるまでもなく、つるりと謝罪が零れていた。
その声に叩かれたように、くるみの顔が持ち上がってくる。手のひらから覗く肌は、華やかな色を散らしていた。
「嬉しいから困ってるの!」
わっと照れくさそうに喚かれて面食らう。
自分の発言のどこにそこまで、と疑問で脳内が埋まった。無意味な繰り返しでしかなかっただろうに。一体何がそんなに? と内心で首を傾げてしまう。
そんな俺の内心を見透かしたのか。くるみは呆れたような顔になった。
「無自覚」
「だって、ちっとも理由になってないだろ」
「理屈だけが人を助けるんじゃないよ」
やはり、病気と無関係でないとは思っていないらしい。そこを晴らせてやれれば文句はないのだけれど。けれど、助けになっていると言う。
「ありがとう。和君が私のことを考えてくれてとっても嬉しいよ。本当の彼氏みたい」
「……そういう約束じゃないか」
ぶっきらぼうになったのは照れ隠しだ。隠せるとも思わなかったが、ぶつくさと呟かずにはいられなかった。
当然のように気取ったくるみは、くすりと笑って拳一つ分以上は広がっていた距離を倒れるようにつめてくる。ぎくりと背を伸ばして固まった俺の肩口に、くるみの頭が置かれた。
そう体重をかけられていない。もたれかかるというよりは、寄り添っている。自分発端ではあるが、くるみは気恥ずかしいのか。視線は俯いていて、こちらを見ようとはしない。
こっちの心臓もやかましかった。この沈黙をどうしたらいいのか分からない。まんじりともしない空気に身を沈める。旋毛を見下ろしていることしかできなかった。
くるみもぴくりとも動かない。寄り添っているだけ。もたれてもいない体勢を保つのは大変ではないだろうか。しかも、運動能力に問題が生じている相手だ。無理はさせたくない。
そう思ったら、手が伸びていた。くるみの肩に触れて、身体を引き寄せる。かかってくる体重と温もりが心地良い。
くるみは驚いたのか。ぱっとこちらへ顔を向けた。至近距離で目が合う。耳が熱くなってきた。
「変な体勢はつらいだろ?」
「ふふっ、ありがとう。和君」
ふくよかに笑う柔和さがくすぐったい。こうしたスキンシップが取れるとは思っていなかった。自分にそんな精力がありはしないと。やはり、案ずるより産むが易し、か。存外、やれるものらしい。ただ、心臓は痛いほどに昂っていた。
「どういたしまして」
結局、疑問は払拭できていない。けれど、掘り下げることはできそうにもなかった。
くるみが嬉しそうな笑みを浮かべて俺にもたれている。そんな態度を見せられたら、他に何を言えるというのか。
俺はすっかり転がされるように導かれて、甘酸っぱいようなくすぐったいような。どうしようもないほどの心音を聞きながら、その空気に溺れることしかできなかった。
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