そうして、明日

第39話

 大洋が目を開けた時、美しい水色が大洋をのぞきこんでいた。

 大洋が目覚めたとわかってそれは大きく震え、次いで銀色の髪がはらはらと落ちてくる。新しい陽の光を浴びて一層美しく輝くそれらに、自然と口の端が上がった。


「マサヒロ様……!」


 水色がとうとう、初めてその輪郭を歪めて、また一際澄んだ雫をこぼす。美しさに見とれながらも、身を起こした大洋は少女を両腕で包み込む。

 腕の中の少女は一瞬だけ固まったが、逃げたりはしなかった。大洋が腕に込める力に応えるように、胸に顔を埋め、そこを熱い雫で濡らしていく。


「良かった……」


 良かった、と震える声で繰り返して、大洋もまた、静かに涙を流した。

 夜はきっと明けたばかりで、姿を見せたばかりの太陽が世界を照らし出す。あれだけ厚く世界を覆っていた雲はどこかに消え失せ、大洋のいる場所から一望できるそれは、深い緑も、遠くの湖も、すべてがちかちかと奇跡の光に眩しく煌めいて見えた。吹く風の冷たさは変わらないが、痛みは感じない。


「……どうして……」


 なんとか気持ちを鎮めた少女が、しかしまだ震える声で呟いた。緩んだ両腕の囲いから少し身を離して大洋を見上げる。


「どうして? これでは、もう」


 帰れない。

 言い切れず途切れた声にはわずかに責める色があった。ここまで来たのに、と。大洋は困ったように眉を下げてごめんと素直に口にして、でも、と続けた。


「君と一緒にいたかったから。どうしても」


 目覚めたばかりの手がかすかに震えている。寒さと、多分興奮でだろう。このおかしな世界に受け入れられた興奮が、大洋の身を包んでいる。違和感や拒絶はすっかり消え去り、新たに自分の輪郭を書きなぞったような爽快感があった。


「君はどうしたい?」


 少女の唇が戦慄わなないた。わからない、とただ首を振るばかりの少女の頭を撫でる。


「終わるはずだったのに」

「うん。でも、終わらなかった」

「どうすれば」

「どうでも良いよ、なんでも良い。……僕も、わからないし」


 だから、と大洋は立ち上がり少女を引っ張り起こした。よろめきながら足を踏ん張って、二人でなんとか山の頂上に立つ。


「探しに行こう、一緒に」


 何を? と少女が目で問いかけるのに、大洋は笑って答えた。


「わからない!」


 あっけらかんと言い放った大洋を見る少女の目が驚きに開かれる。あまりに大洋が考えなしに言い切ったからだろう、思考が追いつかなくてただ目をしばたくその表情が幼い。無性に愉快な気分になって大洋は声を上げて笑った。本格的に、このおかしな世界に染まってしまったのかもしれない。


「わからないよ。だって何にも決められてないんだから」


 聖地、石塔は夜と変わらない形のままそこにあった。終わってみれば儀式の前より尚更粗末に見える。ここにこんなものがあることなど、きっとこの世界の誰も、大洋と少女以外誰も知らないだろう。

 始まりの地、と聖国の長老たちは言った。大洋と少女にとっても、まさしくその通りに違いない。


「わからないけど、大丈夫だよ。一緒にいるから」


 何の根拠もない大丈夫を捧げられて、少女は涙を拭った。恐る恐る伸ばした手で、大洋の目から流れるものも拭う。


「本当ですか?」

「本当だよ」

「ずっと?」

「うん。ずっと」


 頬に触れる手が重なる。分け合う体温は澄んだ涙となってあとからあとから溢れ、風に乗って飛んでいく。

 なんだって良いし、どこだって良い。一緒にいると約束するから。

 この世に初めて咲いた花はやっと、その花弁を美しく綻ばせた。


「じゃあ、大丈夫だ」



<終>

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守り人よ、君は愛を乞うても良い 朝来 @asago_kaku

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