ミア、月に行っちゃったってさ。(3)

 言葉にしてしまえば大した理由ではない。


 高い丘に登り、見上げたところで手が届くわけでもない。残る三人のうち誰かがそう言えば、それだけで事は終わってしまっただろう。けれども気持ちは皆同じだった。だから決まった。そこにいる誰もが、あの月のことを――あの月にいるはずの、ミアのことを思い出したのだ。


 もちろん、単なる気晴らしという意味もある。

 それが中間試験明けというなら、なおさらだ。


―――


「で、実際の目的は?」

「僕達は部活も入ってないし、たまには皆で青春っぽいことをしようと思いまして」

「本当にぃ? それだけの理由で私を使ったの?」

 助手席に座るヤスヒトの台詞に、呆れたように運転席のクロサワが応える。

「ミョーに神妙な面持ちだったから、稲葉君に何かあったのかと思っちゃった」

 何かあった、のかと聞かれれば、あった。彼女も“そのあたりのこと”を知らないわけではないから、警戒する気持ちも理解はできる。

「まあ何でもいいけど。約束は約束だし」

 だがクロサワは、それ以上の追求をしない。

「それに、どっちにしたって今日は行くつもりだったからねぇ」

「はあ?」

 あっけらかんと放つクロサワの一言に、後部席にいたキョウコが裏返ったような声を上げた。

「だって私のお父さん、商工会議所の人だから。稲葉君達の“アシ”にされなかったら、イベントで手伝いさせられてるところだったの」

「思えばやけにあっさり快諾したなとは思ったけど。だからクロサ……先生は僕の提案にノったってことなんスか」

「そゆこと」

「なにそれ……」

 キョウコがオーバーリアクションでがっくりと肩を落とす。決して広いとは言えない後部席の真ん中に座ったタカオが、ぎゅう、と圧縮される。左からキョウコ、タカオ、チヒロ、という並び。タカオの位置は両手に花といったところだが、本人は恐縮したように肩と膝を狭めている。

「じゃ、別にあたしが躍起になる必要なかったんじゃん」

「そうは言ってないよ。志村さんが赤点だったら“約束通り”連れては行かなかった。ちゃんとみんな成績はしっかり残してくれたでしょ。それで私もお父さんの手伝いは避けられたし、貴方達も目的を果たせてWin-Win」

「大人ってズルい」

 後部サイドガラスに頭を打ち付けながら、キョウコはむくれた顔でそう呟く。そのやり取りを聞いて、チヒロがけらけらと笑っていた。


 ――クロサワ。年は二十代半ば。たびたび生徒達にちゃん付けで呼ばれる程度には年が近く、いわゆる“友達のような先生”の高校教諭である。本人もそのポジションを苦々しく思っているわけでもなく、むしろしたたかに利用しており、おかげで彼女の関わる授業では生徒達も一定の功績を残しているという。今回も件もまた然り。のんびりしているようでいて、実は誰よりも聡いことをヤスヒト達は知っている。


 試験明けの週末。土曜日。夕方。


 キョウコはギリギリの点数で赤点を回避し、四人は冬空祭に行くためのアシとなるクロサワのクルマを確保した。そうして待ち合わせ場所の駅前に現れたのは、小型犬にも似た雰囲気をまとうクロサワにしては意外な、大柄なSUV。ところが後部席は思いのほか狭く、五人乗せると室内は手狭になった。

 とはいえアシはアシだ。会場へ向かう道はバスの通る大きな道ではなく、彼女が見つけたという裏道。既に周囲も薄暗くなっていたが、その道は電灯も少なく、急な坂や道幅の狭い場所が続いている。少しでも道を踏み外せば横転しそうなほどの危うさがあるが、しかしクロサワは滑らかなハンドルさばきで駆け抜けていく。運転が上手いのかクルマが良いのか、かなり揺れそうな道でも同乗者の四人はほとんど酔うこともない。

「学校の駐車場にいつも止まってるピンクの軽自動車。あれが先生のクルマかと思ってました」

「あれはね、数学のミヤグチ先生のもの。私は普段クルマでは来ないから」

「あのミヤグチの?!」

「こら、先生をつけなさいって。誰も聞いてないからいいけど」

 部活の引率というわけでもない。彼女にしてみればただの週末のプライベートで、今日のヤスヒト達との付き合いも、先生と生徒ではなく、あくまで個々人。結局、それらはこの狭い地方都市だからこそ為し得る人間関係の近さに因るものである――ということを、おそらくクロサワはよく理解しているのだろう。


 そんな会話をしている間にもやがて日は落ち……あたりが闇に染まる頃、五人を乗せたSUVは会場へと着いた。


「ところで、みんな」

「うん」

「タオルとか持ってきた?」

「そりゃ、もちろん」


―――


 今年の冬空祭のコピーは『夜空に手が届きそう』らしい。

 地元の中学生が考えたのだそうだ。


 けれど。


 地球から月までの距離、約38万km。

 ヤスヒト達が立っているイベント開催場所の標高、約1,200m。


 そこからさらに手を数十㎝伸ばしたところで、縮まる距離などない。


 そんなことは、誰でも知っている。


―――


「クロサワちゃんは?」

「『いちおうお父さんのところに寄ってくる』ってさ。すぐ帰ってくるらしいけど」

「ねえキョウコ、脚出してるの、さすがに寒くない?」

「へーき」

「なんか暖かいものでも食うか」

「出店あるよ。やきそば、おでん、じゃがバター、かき氷」

「かき氷!??!」

 周りを見渡せば子連れの家族ばかり。市外の人間を呼ぶにしても集客には乏しく、地元の人間であっても、今どきは高校生どころか中学生でも来ない。季節外れに行われる住宅街の夏祭り、という程度の盛り上がりでしかない。


 それでも、学校外で四人が集まるのはやけに久しぶりな気がする、とヤスヒトは思う。いつでも大体一緒にいる、という関係性は、当たり前にそうしているようでいて、実は違っていたりもする。

 そして――本当は、ここにもう一人いた。かつて四人は五人であった。

 今はもういない。ミアは、彼らの遙か頭上、38万km離れた場所にいる。

「とりあえず適当に買ってくる」

「あたしも行く」

 タカオとキョウコが出店のある広場に向かう。

 残されたのはヤスヒトとチヒロだ。

「あの二人さ。なんか、最近、いい感じだよね。まだ付き合ってないみたいだけど」

「……」

「……」

「……まあな」

「ごめん、変なこと言ったわ。忘れて」

 四人……もとい、五人は小学校、中学校でそれぞれにバラバラに関係し、構築されていった。ヤスヒトとチヒロは高校生になって、それぞれ他の三人から繋がって出逢った仲だ。知っているといえば知っているし、知らないといえば知らない。こんなに狭い地方都市であるからといって、誰もが古くの幼馴染みというわけではない。

 それでも、誰かと誰かが繋がって、いつの間にか縁になっていく。

「ミアが月に行った、って気付いたの、いつだったの。実は前から知らされたりしてなかった?」

「本当に知らなかったぜ。四月になって急に学校来なくなって、僕だって、クロサワちゃんから告げられて初めて知った。クロサワちゃん自身もわりとびっくりしてたから、ありゃあマジで急だったんだろうな」

 ミアが月面調査隊員になったことは学校の会報でも少し話題になったりした。通常であれば大学を出てその道のコースに進んでなれるような道筋だから、十代の高校生にして抜擢されるのは異例中の異例だ。けれど周囲の反応は意外なほどにあっさりしたものだった(あるいは――今にして考えれば、不自然なまでに扱いが軽かった、と言ってもいい)。成績優秀ではあったが、飛び抜けて才女という感じでもなく、まして元から目立った行動をする人間でもなかったから、そもそも誰のことだか知らない生徒も多かったようだ。

 けれど、彼女はヤスヒト達の友人でもあった。高校に入ってからはいつも五人でいた。いつもの席で昼食をとり、たまに放課後に遊びに出掛け……こんな風に、地元の祭りに言ったこともある。


 そういう記憶がある。


 記憶だけが残っている。


「……なにボーッとしてんの」

「悪ィ」


―――


「で、お前は僕に何が言いたくて残ったんだよ」

「ちょっと、なんか言い方にトゲない? せっかく祭りまで来ておいてさ」

「いつものことだっつーの」

「ま、ウチが言いたいのはさ」

 一拍おいて、チヒロが呟く。

「ミアだけじゃない。いつまでも四人で、同じようにはいられないよね、ってこと」

 一拍おいて、ヤスヒトも返す。

「んなこた、分かってるよ」


「言いたいことあるうちに、言っておいたほうがいいよ。……お互いにね」


 そんなことはわかっている、とヤスヒトは言いかけて飲み込んだ。

 いつまでも、自分達は“地元の高校生”ではいられないし“仲良し幼馴染みグループ”でもいられない。だから――。


「よし」

「うん」

「僕たちも行こうぜ、出店」

「オッケー」


 元より、この冬空祭に行くと自分から言ったのには、そんな目的もあったからではなかったか。

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ミア、未だ帰らず 黒周ダイスケ @xrossing

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