平和の架け橋


※その頃ラルフは……。古くからのラルフの部下、ルグラン視点です

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 洋上を、リオン号は、滑るように航行していた。

 ユートパクス西海岸を出てからずっと、ラルフは甲板で海を見つめていた。白く砕ける波頭に目を据えたまま、身じろぎもしない。


 見かねて、ルグランが声をかけた。


「いいんですかい、親分。このまま赴任地へ向かってしまって」

「いい」


 ラルフが答える。心ここにあらずのうわの空だ。ルグランはぼやいた。


「諦めが良すぎるんですよ、親分は! フェリシン大佐は話が分かる人だ。お人好しな上に、もある。前世の話ですけどね。あの人なら、親分を絶対に捨てたりなんかしませんって。親分がしっかり食い下がっていれば、ですけどね」


「エドゥ・ヒュバート」

「は?」

「ロロが教えてくれた。エドゥ・ヒュバートだ」

「ロロが? おう、あの坊主、元気でしたかい?」


 小舟を操り、ユートパクスに上陸したのは、ラルフと乗客だけだった。ルグランは船に残っていた。


「元気だった」

ぼんやりとラルフが答える。

「ロロが密航してユートパクスに上陸したとシャルキュ太守が伝えてきた時には、どうなることかと思いやしたぜ。でもまあ、無事でよかった」

「そうだな」


 心ここにあらずと言う様子だ。ロロがいなくなった時にはあんなにうろたえていたくせに、とルグランは思う。無事な姿を確認できたのだから、もっと嬉しそうにしていてもいいのに。


「兄さんには会えたんですか?」

「ああ。二人して、海岸まで迎えに来てくれたよ」


 苦り切っている兄の傍らで、ロロはけろっとしていた。ラルフの言いつけを破り、ユートパクスに来たことを謝らせようとしたフランが、強引にロロの頭を下げさせようとする。そのフランの手を止め、ラルフはロロの頭をくしゃくしゃにかきまわした……。


「お仕置きはしなかったんですか?」

ラルフの話を聞き、呆れたようにルグランが言う。

「エドガルドのそばにいたいという、ロロの気持ちはよくわかるからな」

「フェリシン大佐には会ったんですか?」

「会えなかった」

 恨みがましい口調だった。

「フランが言うには、ゲリラ戦を繰り返す蜂起軍は、多人数で動き回るわけにはいかないのだそうだ。だから彼はフランに同行できず、前線基地に残った」


 ……あらら。

 素早くルグランは頭を切り替えた。強引に話を元に戻す。


「で、そのエドゥ・ナントカってのは、誰の名前です?」

「誰でもないさ。俺はな、ルグラン。世の無常をはかなんでいるのだ」

「よくわかります」

「こういう結果になるのはわかっていたんだ。俺は……、生きていてくれさえすれば、彼が生きててくれれば、それでいいんだ」


 もう何度も、呪文のように聞かされている愚痴だ。思わずルグランはため息をついた。


 この少し前、亡命貴族のラビックやビスコらは、ユートパクスに帰国を果たしていた。クーデターで政権を握ったオーディン・マークスから、恩赦の布告が出されたからだ。

 エドガルドに続いて彼の仲間たちまでいなくなり、ラルフの身の回りは一気に寂しくなった。


 そんな折のユートパクス上陸だった。ラルフは、とある女性を王党派蜂起軍陣営まで送り届けに行ったのだ。


 物資不足・人不足の中、死に物狂いで戦い続ける蜂起軍の一縷の希望は、王の帰還だ。けれど、ブルコンデ18世に帰国の意志はない。ラルフが直接会って、亡命王の意志を確かめた。女性関係にだらしがなく、快楽を好む亡命王ブルコンデ18世は、革命を起こした自国の民に怯えていた。帰国ができたとしても、いつまた暴動が起き、命が脅かされるかわからない。


 その女性……コラールは、ブルコンデ15世の娘だ。18世の異母妹に当たる。


 コラールの母親エルザは、庶民だった。その美貌がブルコンデ15世の目に留まり、寵姫となった。しかし、15世の第一の寵姫、ヴァンセンヌ侯爵夫人の不興を買い、エルザは王宮を追い出された。


 その時には既に、彼女の腹には、コラールがいた。

 胎内にコラールを宿したまま、彼女は、シャルワーヌの父と結婚した。いわば、王の臣下である田舎貴族に「払下げ」られたわけだ。

 やがてエルザが亡くなり、この夫が再婚した後に生まれたのが、シャルワーヌ兄弟だ。


 父王の落胤であるコラールを、亡命王ブルコンデ18世は、摂政に任じた。便宜上、自分が「帰国」するまでの間、ユートパクスを治めよ、というのだ。半分は庶民の血が流れているのだから、今こそ、彼女の真価が発揮される時だと、18世は、はっきりと言ってのけた。


 彼女を亡命王に引き合わせたのはラルフと「弟」のシャルワーヌだ。亡命王に帰国の意志がないと知っていたからだ。二人の狙い通り、亡命王は、父の落胤コラールに、国の統治を一任した。

 その後、捕虜交換でシャルワーヌが帰国すると、ラルフはコラールを王党派蜂起軍に送り届けるべく、ユートパクスに密入国したのだった。

 ……。


 コラールの送致もさることながら、ラルフが、エドガルド・フェリシンに会えることを期待して上陸したことくらい、ルグランにはお見通しだった。


 だったら最初から、彼を手放なさければよかったのに。


 シャルワーヌがエドガルドにしていることも、知っていた。しかしエドガルドは、自分が愛しているのはラルフだと、はっきりと言ってのけたものだ。


 エドガルドは優しいから、よほどのことがない限り、自分の方からラルフを振ったりしないはずだ。それとも、彼に嫌われるような致命的な何かを、自分の上官ラルフはやらかしてしまったのだろうか。


 ラルフは、ひどく落ち込んで帰艦した。長年、彼の下で働いているルグランは、見てはいられない気持ちになった。

 なんとか上官を元気づけようと、彼はポケットを探った。


「これ。アップトック提督からのお手紙です」


 もう何度目になるか。

 汚い字で書きなぐられた、けれど、一文字一文字、よくよく考えて書かれたらしきその手紙を、ルグランは朗読した。


「……オーディン・マークスの軍を打ち負かした貴殿を、私は、深く尊敬しています。貴殿の勇気と胆力を讃えます。この私に貴殿の友情をお与え下さったことに感謝し、願わくば、なお一層の交誼を賜りたく……」


 わずかに、ラルフの顔が持ち上がった。

「この友情は相互だ! 俺だって、アップトック提督を敬愛しているからな!」

「その割には、今回提督に内密で行動していますがね」

 ルグランがぼやいた。


 コラールをユートパクスに密入国させることについては、アップトックの了解はもちろん、取っていない。それどころか、この件はアンゲルにも提督にも極秘だ。


「いいんですかい? アップトック提督に知られたら、懲戒モノですぜ? ユートパクスの亡命王ブルコンデ18世に会ったり、王族を密入国させたり……」

「大丈夫。提督はクルス半島の南の海だ。バレたりなんかしないさ」

「それにしても……。ここまできたら、いっそのこと、ユベール将軍の悪巧みに一枚、噛んだらいいじゃないですか」


 ここから先は、捕虜交換で先に帰国したシャルワーヌの領域だ。ラルフの使命は、コラール嬢のユートパクス上陸までだった。


「ユベール将軍だって? 誰があんなやつの!」

鼻息荒く、ラルフが吐き捨てる。


 仲が悪いようで、いざとなったら共闘するんだよな、とラビックは思う。エドガルドを間に挟み、三人が力を合わせれば、もしかしたら、ラルフの理想は果たせるかもしれない。


 ユートパクスとの平和の架け橋になりたいという……。アンゲルとユートパクスの関係を修復し、真の平和をウアロジア大陸に齎すことが、できるかもしれない。


 そんな風に、ラビックは夢想した。










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※ラルフの平和への橋渡しになりたいという希望は、Ⅱ章「向けられた剣」他で語られています

https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654/episodes/16817330667287617253



※お読み頂いて本当にありがとうございます。もうすぐ完結です!







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