落下傘


※オーディン視点です

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 敵の主力軍と対面したオーディン軍は、親衛隊と予備隊だけの編成だった。頼みの綱の精鋭軍は、はるか彼方へ敵を探しにやってしまっていた。まさかここに、自分たちのすぐ目の前に、ウィスタリアの大隊がいたとは思いもせずに。


 霧が、すべてを覆い隠していたのだ。


 戦闘が始まった。

 予備軍の歩兵隊はみるみる切り崩され、オーディン軍はじりじりと後退を始めた。


 ついには、山奥の要塞に逃げ込んだ。クルス半島に到着してすぐ、オーディンが奪還した要塞だ。

 その頃には、兵士の数は、1/3ほどに減っていた。


 要塞を、ウィスタリア軍が包囲した。

 長い籠城が始まった。



 激しい戦闘と、それに続く籠城が長引き、兵士らは疲弊しきっていた。包囲されているので、武器はおろか、食料や水の補給さえできない。木の根を掘り、水たまりの水を嘗めるありさまだ。

 もちろん、体調を崩す者は大勢いた。しかし、医薬の補給も望めない。


 「皇帝陛下! どうか、撤退のご決断を!」

参謀長が迫る。

「だめだ。俺は決して撤退はしない!」

にべもなく、オーディンがはねのける。


 やせ衰えた部下たちに比し、彼の肉は少しも落ちてはいなかった。要塞内に僅かに残っていた食料は、総司令官である彼と、彼の側近へと回されたからだ。


「しかし、この状態ではもはや戦えません! 兵士達は疲れ切っています!」

「ユートパクスの兵士は、勇敢だ。彼らの血はいつだって燃え盛っている。疲れていても戦えるはずだ」

「お言葉ですが、陛下。兵士らの不満は、日増しに高まるばかりです」


 オーディンは唇を噛んだ。

 また、麾下の兵士らから突き上げを食らうのか。エイクレ要塞を砲撃していたあの頃のように。


「それでも撤退はならぬ」


 戦争に負けた自分を、いったい誰が支持するというのか。

 民の人気の衰えたオーディンは、坂を転げ落ちるように皇帝の座を追われ、無防備な姿で放り出されるだろう。


 彼は今まで、いろんな人間の恨みを買ってきた。

 亡命王ブルコンデ18世ら王族。

 未だに帰国を許されない「反抗的な」王党派の輩。

 ウィスタリアやタルキア、ツアルーシなど、今まで戦ってきた敵国の、庶民から指導者に至るまでの人々。

 そこへ、自国ユートパクスの人民も加わるのだ。


 そもそもオーディンは、ユートパクスの属州、クルス人だ。ユートパクス人ではない。そのオーディンの采配の元、大勢の兵士たちが死んでいった。彼らは、徴兵されたユートパクスの民だ。本来なら、畑を耕し、工場で働いていた人たちだ。

 オーディンは、自分が治める民の恨みさえも買っていた。


 首席大臣の座を降ろされた彼には、各国から、一斉に刺客が差し向けられるだろう。軍さえ追われたら、いったい誰が、守ってくれるというのか。


 「撤退はしない」


 オーディンは繰り返した。

 たったひとつだけ、オーディンには成算があった。

 シャルワーヌ・ユベール。

 シュール港に到着したあの男は、もうこちらへ向かっているはずだ。

 自分に忠実なあの男が、召喚命令を拒否するわけがない。

 

 ……それにしては時間が掛かりすぎている。


 もしや、手紙が行き違ってしまったのではあるまいか、首都シテ経由なら、遅れているのも頷ける。味方が包囲されていることが伝わったら、援軍を用意する時間も必要だ。


 「もはや限界です!」


 参謀長が叫んだ時だった。

 砲撃の音が聞こえた。思わず、オーディンは身構えた。身をもって彼を庇うべき立場の参謀長は、自分だけ机の下に逃げ込んだ。


 砲撃の音は、3回、続いた。

 不思議なことに、こちらへ向かって撃ったはずなのに、着弾音は全くない。被弾の衝撃で要塞が揺れることもなかった。


 しばらく沈黙が続いた。要塞は、閉じ込められた兵士らの不安を飲み込んだように、静まり返っている。


 不意に、歓声が聞こえた。

 オーディンは指令室から走り出た。


 兵士らは、中庭に集まっていた。彼らの足元には、布で包まれたパンや、水の詰まった瓶が転がっている。


「これはどうしたことだ?」

すぐ側にいた兵士に、オーディンは詰問した。


「皇帝陛下」

 兵士は直立した。

 だが、敬意の表明はそれだけだった。堰を切ったように、彼は話し始めた。

「要塞に向けて発射された砲弾が、我々の頭上で爆発したのです。そうしたら、中からこれが……」

嬉しそうに、散らばった食べ物をさし示す。


「馬鹿な。空から落ちたら、瓶など割れてしまうだろうに!」


 兵士は嘘を言っているのだと、オーディンは思った。総司令官に嘘をつくとは、由々しき事態だ。

 兵士には、少しも悪びれたところがなかった。


「それが、ほら、食べ物を詰めた籠の上に、このような丈夫な布が屋根のように広がって……ふわりふわりと着地したんです!」

「そのようなことがあるものか」


 兵士の嘘をオーディンが叱りつけようとしたその時、再び、砲撃の音がした。

 ひゅるひゅると空気を引き裂いて近づいてくる。


 思わず見上げた上空で、何かがぱっと割れた。


 砲弾だ。

 いや、砲弾のような何か……。


 兵士たちの間から歓声が上がった。

 中から籠が現れた。大きな布が、まるで傘のように、その上を覆っている。


 布は空気を孕み、大きく膨らんだ。その浮力を利用し、籠がゆっくりと降りてくる。

 風に飛ばされ、それは、オーディンの足元に着地した。


 待ちかねた兵士たちが飛びつく。

 籠の中には、パンやビスケットが詰められていた。笑い声と、食べ物を奪い合う声。


 はからずも、オーディンは思い出した。

 大砲を利用して、補給不足に苦しむ部隊に物資を送ろうと研究していた学友のことを。


 砲撃は、その後も続いた。

 ただし、要塞に食料や物資が投下されたのは、最初の3発だけだった。


 ウィスタリア軍、オーディン達が立て籠っている要塞を包囲している敵軍に向けて、本物の砲撃が始まった。


 周囲に煙が立ち込め、硝煙の匂いが立ち込める。

 物御台から見下ろすと、包囲していた敵軍が、みるみる崩れていくのがわかる。

 崩れた隙を狙って、騎馬兵が切り込んでいった。青色のフロックコート、側面にコカルド(円形章)をつけた二角帽。


 ユートパクスの騎兵だった。

 援軍が駆けつけたのだ。


 騎馬隊の後から、歩兵が続いた。強力な横隊を組み、ウィスタリア軍を押し戻していく。

 ついに、敵が敗走を始めた。逃げていく後方を、騎馬軍精鋭部隊が追っていく……。


 見事な戦法だった。

 短時間にこれだけの采配を取れる者が、自分のほかにユートパクス軍にいたとは。それがシャルワーヌ・ユベールであることを、オーディンは疑わなかった。彼の仕事は完璧だった。つけ入る隙がない。


 そこへ、降って湧いたようなどす黒い疑惑が頭を擡げた。


 ……はユートパクスに帰ってきたのか? 恩赦を利用し、俺の捕縛命令を掻い潜って。


 砲撃を利用して援助物資を送り込もうとするような男を、オーディンは他に知らない。

 ……。


 「停戦! 停戦!」


 旗を持った騎兵が、戦場を駆け回っている。

 要塞の中からどよめきが上がった。


「開門!」


 大きな声がする。

 籠城していた兵士たちが、目に涙を浮かべ、寄ってたかって、かんぬきを外している。

 誰一人として、オーディンの指示を仰ごうとする者はいなかった。兵士たちは、自分の意志で、重い門を開けた。


 静かに、オーディンは、通眼鏡を下に置いた。物見台から降り、司令官室へ向かう。

 威厳を持って、使者の訪れを待った。


 間もなく秘書官に案内され、その男が入ってきた。


「随分遅かったじゃないか」

 入口に背中を向け、窓から外を見つめながらオーディンは言う。


「先にやることがあったものですから」

悪びれもせずに男は答えた。


「前にも言った。俺の命令が、第一義だ。今までいったい、何をしていたのだ、……」


 振り返ったそこに、愛しい顔があった。

 傷のある頬、焦げたように日に焼けた肌、背後で一つに結んだ癖のない、濃い色の髪……。


「……シャルワーヌ」


 彼に最後に会ったのは、マワジだった。あの時自分は彼に口移しで、自分が毒と信じていたものを飲ませた……。

 名を呼ばれ、シャルワーヌは胸に手を当て、体を傾けた。


「まずは、東の国境の仲間と連絡を取りました。ご存じのように、あそこは私の古巣ですので。東から攻めてくるウィスタリア・ツアルーシ連合軍に対し、戦友たちは勝利目前でした。そして昨日の朝、私は、戦友たちの全面勝利の一報を受け取りました」


 何を勝手な真似を……。

 だが、不思議と怒りは沸いてこなかった。


「続けよ」

「次に私は、フル島に留め置かれていたワイズ将軍の元へ向かいました」


 アンゲル海軍のお節介のおかげで、オーディンがザイードに置き去りにした軍はタルキア軍の襲撃を斥け、無事、帰国を果たした。


 しかし、自分の後任であるワイズ総司令官はじめ、一個師団ほどの軍を、オーディンは、フル島の軍事基地に留め置き、ユートパクスへの上陸を許可しなかった。

 建前上は、伝染病を持ち込まない為の検疫ということになっている。


「ワイズは、俺の政府へ忠誠を誓うことを拒んだのだ。ロットルやベリル、市民ペリエルクも。彼らを入国させるわけにはいかなかった」


 なぜ、という顔を、シャルワーヌはしていた。彼には理解できないようだった。自分に逆らう者でさえ受け容れてしまうのが、この男だ。


「気がつかれたでしょうか、マークス将軍。貴方の危機を救ったのは、ザイードから帰国した遠征軍です。フル島にいた彼らが、敵を追い払ったのだ。総指揮を執ったのはワイズ将軍です。騎馬隊長は私の参謀のロットル、歩兵隊長はベリルが務めました」

「君は何をしていたのだ、シャルワーヌ」

「私は、砲兵を」


オーディンは憮然とした。信じられなかったのだ。

「砲兵? 一兵卒として参戦したというのか?」


 くすりとシャルワーヌは笑った。

「私には、砲撃の知識がございませんので。ただ、わが指揮官の命令に従い、勝利を得ました」

 笑みを含んだ声は、しかし、ひどく誇らしげだった。


「砲兵隊の指揮は誰が執った?」


 自分でした質問の答えに、オーディンは怯えた。

 シャルワーヌは胸を張った。


「経験豊富な、尊敬すべき指揮官です」


 その時、軽い足音が聞こえた。

 現れたほっそりとした人影を見て、思わずオーディンは叫んだ。


「お前は……ジウ王子!」







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