暖かく大きな掌


※ジウ目線に変わります

 途中、……。から最後の ……。までは、エドガルドの回想です

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 「お前は……ジウ王子!」

 非難めいた眼差しが、シャルワーヌへ向けられる。

「やっぱり……やっぱり、この少年だったのか。シャルワーヌ、お前が執心なのは。おかしいと思ったのだ。女に関心のないお前が、マワジへ来たとき、色美しいカシミヤなんぞ買うから」


 ぐう、という変な声が、シャルワーヌの喉から洩れた。


「ご、ご存じだったんですか、マークス将軍。首都マワジでは、彼のことは、誰にも話さなかったのに」

「知らないわけがない。脇が甘いのだ、お前は!」


 聞いていて、安堵のあまり涙が出そうだった。


 春色のカシミヤは、最終的に、彼のハーレムにいた少女マーラの物になった。けれどシャルワーヌがそれを買った時には、既に俺とジウは入れ替わっていた。受け取ってはやらなかったけど、カシミヤは、シャルワーヌから俺への贈り物だ。


 シャルワーヌはそれを、一人で買いに行った。彼の傍らに、オーディンがいたわけじゃない……。


 それにしても「脇が甘い」って、オーディンのやつ、シャルワーヌの身辺を探らせてでもいたのだろうか。


 猜疑深いまなざしが、注がれた。

「なぜ、ウテナの王子がここに?」

 それで、俺は言った。

「ジウの姿をしているが、俺はエドガルドだ。君の学友、エドガルド・フェリシンだ」


「……エドガルド?」

「エイクレ要塞で君に砲撃され、俺は死んだ。そして、上ザイードにいたジウ王子に転移した」


 戸惑ったように、オーディンはシャルワーヌへ目線を送った。

 無言でシャルワーヌは頷いた。

 すうーっと、オーディンの顔から血の気が引いた。


「ザイードから帰国する戦艦の中で君に会った時、似ていると思ったのだ。外見は全く違う。しかし……」


 最初からオーディンは感じていたのだ。ジウ王子の中に、俺がいることを。


 イスケンデルから出港したフリゲート艦の中で、彼は言った。

 ……「君は、あの男によく似ている。私の質問にすぐに答えようとしないところといい、反抗的なその態度といい……恋敵であるところまで、そっくり相似形を保っている」


 オーディンがじっと俺を見つめている。 


 「食料や飲料を砲弾に仕込んで要塞に送り込んできたのは君だな、エドガルド。学生時代、君は、そういう研究をしていた」

「覚えていてくれて光栄だ。だが、成功の栄誉は、上ザイードにいた手工芸者シトワイヤンに帰すべきだ。彼は、高い所から割らずに卵を落とす研究をしていた」


 残忍な笑みを、オーディンが浮かべた。


「なぜここにいる、エドガルド。シャルワーヌと一緒に? 俺は言ったはずだ。お前に渡すくらいなら殺す、と」

「だが、お前は失敗した」

「失敗したのは、ペリエルクだ」


 この期に及んでまでも、オーディンは自分の失点を認めようとしない。


「そうだな。ジウの魂が彼を護ったのだ」


 彼が、シャルワーヌの代わりに第一の毒を飲み干したおかげで、オーディンの与えた第二の毒は、効果を失った。その代償として、ジウは昏睡状態に陥り、俺と入れ替わった……。


 オーディンの目が、不敵に瞬いた。


「シャルワーヌ。お前はどうなのだ? お前は俺に、忠誠を誓ったのではなかったか」


 きっとシャルワーヌが顔を上げた。


「誓いました。けれど、将軍。貴方は変わってしまわれた。貴方にとって大切なのは、民の幸せではない。ご自分の野望だ」

「その野望に賛同して、お前はソンブル大陸までついてきたのではないのか。それとも、あれか? 単にエドガルドと戦いたくなかったから、違う大陸まで出かけて行ったに過ぎないのか」


 シャルワーヌの肩が震えた。


「正直に申し上げます。そうした気持ちも確かにありました。戦場でエドガルドと出会うことが、心底、恐ろしかった。敵味方に分かれ、殺し合いたくなかった。でも、」


きっとオーディンを見据えた。


「私は、失敗するとわかっている遠征についていったりはしません。貴方の野望への共感は、確かにあった。ソンブル大陸からタルキアを通り、我らがウアロジア大陸へ、陸続きで移動する。古代の英雄たちと同じように。そして、敵国ウィスタリアに背後から襲いかかる。……貴方ならできると思ったのだ!」


 最後の一言は、絶叫に近かった。抑えられた低い叫びだ。

 ほろ苦くオーディンは微笑んだ。


「青春の夢というわけか」


 オーディンとシャルワーヌ。確かに二人は、同じ夢を見ていた。けれど現実の厳しさの前に、美しい夢は変質してしまった……。


「タルキアでの貴方の行いについて、もっと早くに知っていたら、この身を呈してでも、お諫め申し上げたでしょう」


 行軍に連れて行くのが負担だという理由で、オーディンは、タルキア兵の捕虜を大量に殺戮した。また、疫病に罹った味方の兵士に毒を渡し、自死を促した……。


「クーデターはまだ容認できました。革命政府の軍への対応はひどいものでした。補給は殆どなく、それどころか戦争に負ければ、勇敢で高潔な司令官たちを次々と処刑していった。スパイ容疑や、わざと軍の士気を低下させたなど、派遣議員たちのでっち上げた、ありもしない罪状によって」


 貴族であるシャルワーヌ自身、常に派遣議員の疑惑の眼差しに苦しめられてきた。軍で生き残るには、常に一番危険な場所で、死と隣り合わせにありながら、勇敢に戦うしかなかった。


「ただ……。なぜ即位など考えたのですか? ユートパクスに王は必要ない。世襲の皇帝なら、なおさらだ」


 オーディンの顔色が変わった。


「では、どうせよと? 革命から逃げ出した王ブルコンデ18世を呼び戻すのか? 即位は絶対に必要だ。ウアロジア大陸の国々は、ほぼ全てが世襲の王を頂いている。共和制を敷く政体ユートパクスには、諸外国の信頼が得られないのだ」


 シャルワーヌは大きく息を吸った。


「亡命王ブルコンデ18世は、摂政権を、とある女性に授けました」

「何!?」

「王の血を引く娘です。けれど、彼女の母親は、全くの民間人だ」

「……」

「彼女なら、王党派も、革命側も、納得するでしょう。事実、王党派蜂起軍は、彼女を受け容れました」


 ……。

 あの日、フランたちの前でシャルワーヌは、コラールがブルコンデ18世から摂政権を授けられたと語った。


 「でも、そんな。貴女はいいのですか、コラール嬢マドモアゼル・コラール


 驚き、そして義憤に駆られ、俺はシャルワーヌの姉に詰め寄った。

 この計画は、ラルフとシャルワーヌの間で練られたものだ。コラールにユートパクスの政権を委譲してもらおうという計画は。


 けれど、コラールは、ユートパクスで危うく処刑されそうになった。そして、亡命貴族軍俺の仲間の働きで、処刑寸前で、アンゲルへ渡る逃げることに成功した。その後、オーディン・マークスが恩赦を出したが、王族と一部「反抗的な」王党派は、依然として、帰国を許されていない。

 帰国が叶わずとも、彼女にはこのまま、アンゲルで穏やかに暮らす道だってあるのだ。


「私は、一度死んだ身です。自分ではそう、思っています」


 濃い色の瞳が俺を見据えた。血が繋がっていないにもかかわらず、弟とよく似た瞳だ。


「そもそも私がここまで生きて来られたのだって、シャルワーヌの活躍があってこそです。戦場でこの子が、自分の身を顧みずに活躍してくれたから」

「姉さん……」

「貴方は黙って、シャルワーヌ」


何か言いかけた弟を、コラールは制した。


「貴方が無事で、本当に良かった。いつだって私は貴方が心配で……」

声が涙で詰まる。


「俺は平気だよ。敵にやられて、もし動けない体にでもなったら、姉さんが面倒見てくれると信じていたからね」


 からっとした声でシャルワーヌが言う。場の雰囲気を和ませようとしているのだ。


「まあ、この子は!」

コラールが笑い出す。不意にまじめな顔になった。

「私は貴方に勇気をもらったわ。今度は私の番よ。王の血と庶民の血と。二つながらを受け継いだからには、ユートパクスの分断をなくし、この国をひとつにするよう、精一杯、頑張ってみる」


「でも、危険かもしれない」

俺にはなおも危惧があった。シャルワーヌの姉を、危険に晒すわけにはいかない。

「ブルコンデ18世周りが首席大臣オーディン・マークスの暗殺を目論んだように、共和派は、貴女を殺そうと付け狙うかもしれない!」


「ユートパクスの人に殺されるなら本望です」

静かな声だった。

「その場合は、願わくば私の死が、同じ民族の争いに反省を促しますように。ユートパクスの分断は、終わらせねばなりません」


まっすぐにシャルワーヌを見た。


「それは、あなたの願いでしょ?」

「はい、姉さん」


 ……「『俺が終わらせる』。エドガルド、君と共に生きていくために」


「だから貴方は何ものをも恐れなかったのね?」

「はい」


シャルワーヌの目が俺を射竦める。

「王党派の亡命貴族と革命軍の将校。敵対する者同士が、ともに生きる為に」


 その時感じた安堵を、俺は生涯、忘れないだろう。もう俺は、シャルワーヌと敵味方になって戦うことはない。彼と殺し合わなくて済むのだ。

 東の国境で誓った通り、シャルワーヌは、王党派と革命軍の戦い……この国の分断を終わらせようとしている。

 ……。








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