野望の表明/オーディン暗殺

 上ザイード遠征前、オーディン・マークスは、ユートパクスの西側にあるクルス半島北部を征服した。

 豊かなこの地方は、元は、東の帝国、ウィスタリアの支配下にあった。


 そのクルス半島が再び、ユートパクスから奪われようとしている。


 南では、怒れる民衆の蜂起が起こり、ユートパクス軍を北へ押し戻した。蜂起軍に武器を供与したのは、アンゲルだ。(*1)

 そして、半島北部では、ウィスタリア帝国が奪還を開始した。オーディンが陥落させた要塞を次々と奪い返している。


 クルスは、オーディンの故郷である。この半島の西寄りのユートパクス領で、オーディンは生まれた。

 クルスの一部は、ユートパクスの属州だ。したがって、今のままでは、オーディンはクルス人だ。クルス半島全域をユートパクスの領土とし、正式に国土としない限り、彼は、ユートパクス人ではない。

 もちろん、首席大臣となり、強大な権力を握った彼に対し、を口にする者はいないのだが。


 クルスを手に入れることが、是非とも、オーディンには必要だった。



 「半島との境の山脈を超えて、進軍を開始する」

 諸将を集め、オーディンは宣言した。


 戦争大臣が眉を顰める。

「国境の山脈は、先史時代に隆起した高山が連なっています。軍の山越えは困難です」

「二年前、それを成し遂げたのは誰かね?」

「貴方です、オーディン・マークス閣下。けれど今回は、時期が悪い。山頂には、雪が大量に残っています」

「不可能だとでも?」


オーディンの眉間に、不快そうな皺が寄った。


「いえ、そのような……」

 戦争大臣は、慌てて首を横に振る。


 オーディンが立ち上がった。

「敵もまさか、雪山を超えて我々が現れるとは思っていまい。機動力で意表を突くのだ。それが、俺の戦法だ」


「だが、兵が疲弊するのでは?」

「それに、険しい雪道を大砲を運ぶのは困難極まる。馬も怯えるだろう」


 次々と反論が出てくる。

 この将軍たちは、前回のオーディンのクルス攻略に参加していない。したがって、オーディンの齎した勝利の美酒に酔い痴れたこともない。

 クルスで勝利の味を知った兵士たちは、ザイードに置き去りにしてきた。


 部下を犠牲にして成り上がってきた自分に対し、確かに存在する反対勢力を、オーディンは、突き刺すように肌に感じた。

 このままにしてはおけない。


「諸君」

 集まった諸将の顔を、オーディンは見渡した。

「この戦いが終わったら、結果にふさわしい処遇を、諸君に与える」

「ふさわしい処遇?」


 顔と名前しか知らない師団長が、眉を吊り上げる。ずっと、オーディンとは違う場所で戦ってきた将軍だ。

 傲然と、オーディンは顎を上げた。


「特に勇敢な者には、元帥杖を与えよう」

「元帥杖ですと? しかし、あれは、国王にしか、与えることができない栄誉だ。それも、代々に亘って、この国を統べる国王にしか」


 オーディンは頷いた。


「そうだ。今、この国ユートパクスは諸外国から包囲され、崩壊の危機にある。滅亡の瀬戸際にある混乱期に、高貴な血筋が何だというのか。王家の伝統がこの国を守ってくれると? よく聞け。国を救う者こそが、王なのだ。ブルコンデ一族は、長きに亘って既得権を独占していたにすぎない。ユートパクスが今、必要としているものは、強い力を以って民を導く、新しいリーダーなのだ」


 一瞬の静寂の後、オーディンは続けた。


「俺は、既成の権力を打ち破って、首席大臣の座に就いた。俺についてこい。必ず、諸君を勝利に導く」


 息をのむ音がした。


「それは、貴方がこの国の王になるということか?」

 低い声が尋ねた。年老いた将校だった。


「王?」

オーディンは嘲った。

「ユートパクスの王に意味などない。必要なのは、ウアロジア大陸に広がる帝国の皇帝だ」


 驚愕が、集まった人々の上に広がっていった。

 抜け目なく、オーディンは付け加えた。

「ただしそれは、民が俺を選んだなら、の話だ」


「ユートパクスは共和制ではなくなると?」

 別の将校が尋ねる。


 噛みつくようにオーディンは言い返した。

「革命政府が何をしてくれた? 軍への補給さえ滞っていたではないか」


 集まった人々は考え込んでしまった。

 特に軍人たちは、食料や医薬の不足により、死んでいった戦友たちに思いを馳せた。


 オーディンは時計を確かめた。

「以上だ。進軍の前に、諸君に粗餐を供したい。後ほど大広間で会おう」


 高級な酒と、豪華なご馳走。それらは、泥の中を這うようにして戦ってきた軍人たちが、今まであずかったこともないような饗応であるはずだ。

 シテ首都には、革命前の贅沢を知る料理人やソムリエがたくさんいる。まずは諸将の度肝を抜くことが肝心だと、オーディンは思った。


 皆が移動していくと、宰相がすり寄ってきた。


「見事な演説でした。次に必要なのは、皇妃殿下ですな。戴冠式では、皇帝の隣に皇妃が並ぶものです」

「皇妃だと?」

「はい。閣下は、ウアロジアの皇帝となられるのです。皇帝には跡取りが必要です。妃を娶られねばなりません」


 早くも皇妃を娶れと進めてきた宰相に、オーディンは不快を感じた。

 ……女など。


「お前に任せる」

「は?」

「適当な妃を見繕っておけ」


 ……見繕っておけって、大根じゃないんだから。

 あっけにとられて立ちつくす宰相を後に、オーディンは、広間の外へ出て行った。


 着替えのために、控えの間に入った時だった。


 一度部屋に入った彼は、誰かに呼ばれた気がして、再び廊下に出た。長い廊下を、今来た方に向かって少しだけ、歩いてみる。

 開けたばかりのドアを、恭しく侍従が閉めた。


 その時だった。


 部屋の中から爆音が聞こえた。少し遅れて、廊下に面したドアが、その前にいた侍従ごと吹っ飛んだ。



 爆音は、大広間に集まった人々の耳にも届いた。

 広間が震えるほどの凄まじい音と振動だった。

 首席大臣オーディン・マークスの部屋の方角から聞こえた。


「爆弾だ! 爆弾が爆発した!」

衛兵たちの叫び声が聞こえる。

「大変だ! マークス閣下のお部屋が!」


 人々は顔を見合わせた。気の早い者達が、様子を見に飛び出していく。

 戻ってきた彼らは、オーディンの部屋に火薬の入った樽が仕掛けられていたという一報を齎した。その樽が爆発し、オーディン・マークスの部屋は瓦礫と化した、と。


「室内にいた事務官が数名、犠牲になったようだ。それと、ドア付近にいた侍従が」

「では、閣下は?」

「詳しいことはまだ、わかっていない」


 不安が人々の上を覆った。首席大臣オーディン・マークスは、爆殺されてしまったのか……?


 人々の不安が最高潮に達した時だった。


 オーディン・マークスその人が姿を現した。先ほどと同じ軍服姿のままの彼は、平然としていた。


「マークス閣下……ご無事で」


 感極まって問いかける参謀に、オーディンは顔色一つ変えずに頷き返した。


 そのまま自分の席に着き、ワイングラスを持ち上げる。グラスの中のピンク色のワインは静かに凪いでいた。自分の命を狙われたばかりの彼は、普段と全く同じだった。ほんの僅かも震えてはいなかった。


「諸君。食事の前に騒がせてしまって、申し訳なかった。さあ、馳走を楽しんでくれたまえ」


「オーディン・マークス、万歳!」

 真っ先に叫んだのは、年若い軍曹だった。革命前、工場で一日16時間働いていた彼は、今では胸に勲章をつけていた。

「皇帝陛下、万歳!」


 はっと、人々は息をのんだ。

 次の瞬間、人々は我先にとグラスを掴んだ。


「オーディン・マークス皇帝、万歳!」

「ウアロジア帝国、万歳!」


 先ほど聞こえた爆風に勝るとも劣らぬ大きな声で、人々は唱和した。





 火薬を仕込んだ樽を仕掛けたのが誰か。それは、とうとうわからずじまいだった。

 ただ、数日前に、王党派の亡命貴族が数名、ユートパクスに上陸したという情報が入った。彼らは、ブルコンデ18世の腹心だと言われている。


 これを聞いたオーディンは、亡命貴族などの王党派に恩赦を与えると公布した。いつまでも争い合うより、同じ民族同士、和解しようと語りかけたのだ。

 また、武器を捨て、投降すれば蜂起軍も赦すと公言した。


 自分を害そうとした敵をも許すオーディンの度量の広さに、人々は感心した。兵士らだけでなく、民衆の人気もうなぎ上りに上がっていった。


 ついに、上院議員が、今すぐ皇帝に即位してくれるよう、彼に頼みに行った。

 これに対しオーディンは、公平な選挙を経て選ばれたのなら、帝位に就くことを引き受けようと答えた。


 民衆の熱狂はいや増した。

 今すぐ帝位に就くよう、議員は日参し、オーディンの家の前には、群衆がひしめきあった。彼らはオーディンの名を呼び、帝位に就くよう、懇願した。


 慌ただしく「選挙」が行われた。

 圧倒的多数で、オーディンは、ユートパクスの皇帝に選ばれた。


 その選挙が公正だったかどうかは、知る由もない。


 彼の次なる使命は、公約通り、ウアロジア大陸全土に版図を広げることだ。手始めに、クルスを奪還しなければならない。


 ただ、人々は気がつかなかった。

 オーディン即位の布告文には、いつの間にか、「世襲の皇帝」と書き加えられていた。





 「皇帝陛下。シュールから伝令です」


 クルス出陣の数日前。

 執務室へ戻ると、秘書官が駆け寄ってきた。


「シュールから?」


 オーディンが眉を上げる。シュールは、南の軍港だ。かつてオーディンが砲兵隊長として活躍した軍事都市でもある。(*2)


「はい。シャルワーヌ・ユベール将軍からの報告です。アンゲルから無事、シュールへ入港した、とのことです」

「……そうか」


 ようやくか。

 オーディンは思った。


 去年、クーデターが終わるとすぐ、オーディンはシャルワーヌを召喚した。

 召喚命令に応じる為、シャルワーヌは、ザイードの港町、イスケンデルへ向かった。はからずも彼は、オーディンの命令には絶対服従することを証明したわけだ。


 ひとたびオーディンが命じれば、無条件でシャルワーヌは従う。たとえそれが、かつてオーディンがしたようにワイズ将軍はじめ、遠征軍の仲間たちをザイードに置き去りにせよとの命令であったとしても。


 そう、それが、部下や同輩の期待を裏切る行為であったとしてもだ。

 この事実が、どれほどオーディンを安堵させたことか。


 やっぱりシャルワーヌは、オーディンのものなのだ。なくてはならない、忠実なしもべだ。


 その人気、兵士たちからの信頼ゆえ、一度はシャルワーヌを殺そうと、真剣に考えた。しかし計画に失敗して、はっきりわかった。

 自分はシャルワーヌを愛している。宰相は皇妃を娶れと言っていたが、妃など、お飾りに過ぎない。シャルワーヌを手放すつもりなど、毛頭ない。


 ところがシャルワーヌは、船を待つ港町イスケンデルで銃撃され、アンゲルへ拉致されてしまったという。

 詳細は伝わっていない。


 ……アンゲル?

 ……拉致。

 ……まさか。


 一人の男の顔が、目の前に浮かぶ。

 オーディンの「初めて」の男。彼を組み敷き、永遠の屈辱を与えた……。


 あの男……エドガルドは、アンゲルの戦艦に乗り込んでいた。まさか、彼がシャルワーヌと一緒に?


 ……エドガルドは生きているのだろうか。


 エイクレの要塞で、確かに彼を見た気がした。要塞は崩れ落ち、その中にいたはずのエドガルドは……、しかしオーディンは、彼の遺体をみていない。

 王党派への恩赦は、エドガルドを燻りだす為の罠でもあった。

 生きていても、死んでいても。


 シャルワーヌが、アンゲルに拉致されたと聞き、即座にオーディンは捕虜交換を申し出た。

 シャルワーヌに代わってユートパクス側が釈放するのは年寄りの将軍で、到底釣り合いが取れない。アンゲル側としては不服だろうが、それでも了承を伝えてきた。


 オーディンは急いでいた。


 一刻も早く、シャルワーヌを召喚したかった。彼の無事を確かめ、その腕に抱かれ、そして……。

 彼に埋めてもらわなければならない。彼が穿ったオーディンの欲望を。彼の形に変わってしまった内奥の間隙を。


 皇帝となった自分を、あの男はどのように抱くだろう。今まで通り、切羽詰まった乱暴な抱き方をするのだろうか。


 秘書官が何か言っている。生真面目な報告を、オーディンは遮った。


「もう間もなく我々は、クルス半島へ向けて、山越えを開始する。シュールから首都シテへ来たのでは時間がかかりすぎる。直接、クルスへ来いと伝えろ」

「ユベール将軍を参戦させるのですか?」

「もちろんだ。軍の将軍に、他に存在意味があるのかね?」


 もちろん、ある。

 だがそれは、この秘書官が知らなくてもいいことだ。

 シャルワーヌの魅力は。








________________

*1 蜂起軍に武器を供与したのは、アンゲルだ

 つまり、ラルフの上官・アップトック提督のアンゲル艦隊です

 2話前の「アップトック提督の称賛」参照下さい



*2

ちなみにシュールは、Ⅰ章「砲兵隊長」で、王党派に対し、オーディンが残虐な処刑を行っていた場所です

https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654/episodes/16817330666194542505

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