別れ 2
「俺はもう二度と、彼とは会わない」
「なんだって?」
驚愕と、僅かに希望の色が、濃い青の瞳に灯った。大急ぎでその希望の光を消す必要があった。
「シャルワーヌの為だ。彼をオーディンの保護の下に入れなければならない。それしか、彼が生き残れる道はない」
「エドガルド……。自分を犠牲にしてまで君は、あんな男の為に……」
「愛しているんだ、シャルワーヌのことを。だからもう二度と、彼と会わない」
ラルフは絶句した。
その彼に、最後の一撃を与えた。
「君はいい男だ、ラルフ。君を愛してくれるひとはたくさんいる。少しだけ外を見てごらん。すぐに幸せになれるから」
「馬鹿なことを!」
「俺じゃ、ダメなんだ。君を幸せにできるのは、俺じゃない」
「エドガルド……」
彫りの深い顔に絶望が浮かんだ。何かに縋るように、彼は叫んだ。
「だが、君は仲間だ。俺達は同じ陣営にいる」
対オーディンという点では、王党派蜂起軍とアンゲルは、確かに仲間だ。けれどそれは、決して対等な関係ではない。ユートパクスの亡命貴族たちは、身一つで国を離れた。俺を含め、彼らにはなにもない。蜂起した民衆もまた、同じだ。武器弾薬や医薬、食料に至るまで、王党派軍はアンゲルに依存している。
そして俺もまた、ラルフに依存している。俺の彼への気持ちは、愛ではない。
けれどそれを言ってどうなるのだろう。ラルフの最後の希望まで打ち砕く気には、到底なれない。
「俺は、いつだってラルフ、君の味方だ。それだけは忘れないでほしい」
絶望に沈んでいたラルフの顔が、ぱっと明るくなった。
「実はな。西の王党派軍には伝手があるんだ」
そんなことを言い出す。
「伝手? だって?」
驚いて問い返すと、嬉しそうにラルフは頷いた。彼が犬だったら、尻尾を振って見せたろう。
「うん。俺が昔、あの辺りで、ユートパクス貴族が亡命する手助けをしていたのは知っているよな」
知っているも何も、その活動の最中に、彼はユートパクス軍に捕まってしまったのだ。シテ塔の牢獄に閉じ込められた彼を脱獄させたのが俺だ。
「ところで君は、
不意に話が飛ぶ。
「ああ、いつも君の甥と一緒にいる子だよな」
「そうだ。出航前、士官学校から、
士官学校の校長がこっそり俺に耳打ちしてくれたところによると、わんぱくが過ぎて、学校には置いておけないのだとのことだった。
さすがに叔父のラルフには言えず、彼の右腕であった俺に苦情を伝えたということらしい。
船上で一緒に暮らしてみて、校長の気持ちもなんとなくわかった。でも、彼らはいい子達だ。いたずらは本能のようなものだろう。それに、いたずらを仕掛けていい人と悪い人をきちんと弁えているし。ちなみに俺は、一度もいたずらを仕掛けられたことがない。
「ところが、
その話なら、ぼんやりと覚えている。確か、
「それでオスカーの代わりに、当時、俺が預かっていた子を連れてきたんだ」
「預かっていた子?」
「変な意味じゃないぞ。両親が面倒をみていたんだ。頼んだのは俺だが」
薔薇の花の美しい館を思い浮かべた。ラルフのご両親は、今でもそこで、穏やかに暮らしているという。
「ロロは、フランス人だ。年の離れた彼の兄フランは、ユートパクスの西海岸で、王党派蜂起軍を指揮している。俺は、フランを亡命させたかったのだが、彼は、
つまり、俺が今から行く蜂起軍の指揮官は、ラルフの
「その弟……ロロはまだ、子どもだろ?」
10歳に満たない子どもだ。
「もちろん預かった手前、ロロをユートパクスに上陸させることはできない。ただ、彼に一筆書かせよう。そうすれば、
イサク・ベルの保護が最後のお願いだと言いながら、その舌の根も乾かぬうちに、俺はまたラルフを頼ろうとしている。
「ラルフ……俺は今、君を振ったばかりなのだが。そんな俺を、君は援護してくれようというのか?」
ラルフの顔に、深い悲しみが浮かんだ。いつもの呑気そうな声が、震えている。
「水臭いことを言うなあ。俺達は仲間じゃないか。王党派の勝利は、アンゲルの勝利でもあるんだ。それに……」
今まで見たこともないほど、瞳の青が濃くなった。
「俺は君を決して諦めない。君が
「それじゃダメなんだよ、ラルフ!」
思わず俺は叫んだ。だって俺の心は……。
ラルフが首を横に振る。
「もう一度巡り会って、君の心を虜にする。ジウになった君に、初めから恋をし直す。それもダメか?」
「ダメだ」
……俺の心は、永遠にシャルワーヌに繋ぎ留められてしまっているから。
「お願いだ、エドガルド。それくらい許してほしい。どんなに幽かでもいい。希望をくれ」
「幸せになるんだ、ラルフ。君の幸せを掴むんだ」
もうこれ以上、ここにはいられないと思った。ここ……ラルフの側には。
立ち竦む彼を置きざりに、砂浜を歩き始める。
「おい、エドガルド!」
後ろから呼び止める声がする。構わず歩き続けた。後ろに広がるきれいな砂浜に足跡を残し、どこまでもどこまでも……。
「エドガルド……いや、ジウ!」
思わず立ち止まった。けれど、決して振り返ることはしない。してはいけないんだ。ラルフの為に。
「18歳の誕生日おめでとう!」
「……え?」
虚を衝かれた。
砂を踏みしめ、ラルフが近づいてきた。
「これ。プレゼント」
胸の隠しから何かを取り出す。
赤い石をはめ込んだペンダントだった。シャルワーヌから預かったものだ。ティオンへ行く前に、ヴィレルに渡した。
無意識のうちに受け取ろうとする。ところがプレゼントと言いながら、ラルフはなかなか手を離そうとしない。二人の間で、赤い石が揺れて、鈍い光を放った。
「今はこれしかない。船にはたくさん贈り物を用意してあるのだが。でも、君はリオン号には戻らないのだよな?」
「ごめん、ラルフ」
最後まで鎖の端を掴んでいたラルフの指が滑り落ちた。
すぐに俺は、ペンダントを彼に押し戻した。
「ありがとう、ラルフ。だがこれは、君から彼へ返しておいてくれ」
「な……」
「もう彼には会うことはないだろう。そう決めたから。だがこれは、人類の大切な文化遺産だ。俺が持っているわけにはいかない」
ペンダントを押し返され、ラルフは複雑な顔をした。少しだけ、嬉しそうにも見える。
すぐにまじめな顔になった。
「わかった。あの男か、少なくともユートパクス軍の誰かに必ず返却する」
「恩に着る」
「どういたしまして。いいか、エドガルド。自分を大切にしろよ。好きでもない男に身を任せるな。本当に寝たい奴と寝るんだ」
素直に俺は頷いた。
「それから……」
ラルフが言い澱んだ。
「何?」
「いや、いい」
「何だよ。言えよ。気になるじゃないか」
「いいから、早く行け。俺が襲い掛からないうちに」
思わず俺は噴き出した。
ラルフも笑った。
こんな風に二人で大笑いをするなんて、いかにもラルフらしい別れ方だと思う。
彼との別れが、悲しいだけで終わらなくて本当に良かった。
笑いながら俺は、涙を流した。
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まだほんの子どもだと思っていたのに……。オスカー君の進路変更は意味深です。詳細は、Ⅱ章とⅢ章の間のSS「嫌われる理由」中の「士官学校の生徒たち」にございます
https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654/episodes/16817330667903284650
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