女優宅への来客

 イスケンデル近郊に駐屯してたタルキア軍が首都マワジを襲ったのは、それからしばらくしてからのことだった。


 マワジに引き籠っていたユートパクス軍は、案に相違して強かった。総司令官ワイズが吠え、麾下の兵士達、特に上ザイードから引き上げてきた部隊が奮戦した。ロットル、ベリルら、シャルワーヌ軍の将軍たちの師団である。


 同盟に基づき、アンゲル政府は、海軍にタルキアへの援軍を命じた。しかし、当地の指揮官リール代将はこの命令に従わなかった。


 マワジは陥落することなく、タルキア軍は退けられた。

 ワイズ将軍麾下、ユートパクス軍の、完全勝利だった。


 早々にユートパクス軍は、祖国への撤退を開始した。エ=アリュ条約に基づき、タルキア側に船と費用を負担させて。


 タルキア敗北は、同盟国の援助がなかったことがその一因だといわれた。タルキアの大宰相、及びキャプテン・アガは、同盟不履行をアンゲル政府に抗議した。


 アンゲル政府は、リール代将の任を解いた。

 だが、処分は保留した。


 一説には、リール代将の処分を取り消してくれるよう、海軍大臣の妻が泣いて夫に頼み込んだからだという。彼は、海軍大臣夫人の甥である。





 アンゲルの首都、ランデル。ラルフは、瀟洒なアパートメントを訪れた。

 アンゲルへ亡命中の国王、グザヴィの部屋だ。


 兄のブルコンデ16世が処刑され、その息子である王子は死んだといわれている。それで、故16世の弟、グザヴィが、亡命先のここ、アンゲルで、ブルコンデ18世として即位した。

 17世は、亡くなった甥、16世の王子の為の空位である。


 部屋の主は留守だった。従僕によると、亡命王ブルコンデ18世は、ソホル街のとある部屋へ向かったばかりだという。


 名だたる女優の部屋だった。

 帰宅を待つかと聞く従僕に、急ぎの用だと告げて、ラルフは、ソホル街へ向かう。


 ドアベルに応じて出てきた女優は、何かに怯えているような青白い顔をしていた。ところが、そこにいるのがラルフであることを確認すると、全く知らない男であるにもかかわらず、なぜか、安堵の気配を漂わせた。


「誰、貴方」

つっけんどんに尋ねる。

「ラルフ・リール、海軍将校です。こちらに、ユートパクスの国王陛下がいらっしゃるとか?」

「いいえ、今日はいらっしゃらないわよ」

「おかしいなあ。彼の従僕は、貴女の部屋へ向かったと言っていたんだが」


女優の顔色が変わった。


「知らないったら知らないわよ。忙しいの。帰ってよ!」


 鼻先でぴしゃりとドアが閉められた。


 玄関先で途方に暮れていると、階段を上ってくる者があった。

 黒っぽいマント、ふさふさの眉毛、鷲鼻……ユートパクス亡命王、ブルコンデ18世だ。


「陛下」

ラルフが呼びかけると、王は振り返った。

「君は?」


 初対面のラルフに対しても、亡命王は泰然としていた。警戒心というものが、まるで感じられない。王侯の貫禄なのかもしれないと、ラルフは思った。

 過酷な亡命生活ゆえだろうか。

 以前は、一人では立っていられないほど太っていると噂された彼は、幾分、スリムになっていた。


「ラルフ・リール。エドワード・アップトック提督麾下、アンゲルの海軍将校です」


 女優に対してもそうだったが、亡命王に対してもラルフは、現在身分が保留中であることは言わなかった。

 まだクビになったわけではない。余計なことは言わない主義である。


 亡命王が、ぽんと手を打った。


「ほう。革命政府軍をクルス半島南部から追い払ったアップトック提督のか」

「御意」

「君もそこにいたのか?」

「その頃わたくしは、タルキアでオーディン軍を相手にしておりました」

「それはそれは」


 亡命王はドアを開けた。彼は、合い鍵を持っていた。

 暗い部屋の奥から、女優が走ってきた。


「陛下!」


 甘えた声で言って、腕に縋りつく。

 当たり前かもしれないが、さっきとは大違いのコケティッシュな振舞いだった。


「ああ、麗しのダフネ。今日も一段と、きれいだね」

 さすがユートパクスの王だけあって、女性の扱いにそつがない。息を吸うように、賛辞を述べ立てる。

「まあ、嬉しいわ」

 ダフネの顔が、ぱっと輝いた。


 ブルコンデ18世は、自分のことを忘れてしまったのではないかと、ラルフは少し、不安になった。

 ちらりと、亡命王がラルフを見た。


「この人と話があるんだ。少しだけ待っててくれるかい?」

「なら、あたし、お茶の用意をしてくるわ」

「どうぞおかまいなく」


 一応、ラルフは遠慮したが、女優はあでやかな笑みまんべんなくを振りまきつつ、廊下の奥に消えていった。

 さっきとはえらい違いだと、ラルフは思った。


 応接室へ通された。テーブル周りには椅子が幾つかおいてあり、そのうちのひとつに、ラルフは腰を下ろした。

 客が自分より先に座ったことで、亡命王は戸惑ったようだった。だが、金銭的な援助をはじめ、さまざまな保護を受けている国の軍人とあっては、特に咎めることもなかった。何も言わず、ラルフの対面に座る。王の体重を受け、ぎしぎしと椅子が悲鳴をあげた。


 しばらくは、アンゲル国王の日常や、ユートパクスの現状などについて語り合った。


「全く、あのオーディン・マークスという軍人は失礼な奴だ。てっきり朕の為にクーデターを起こし、革命政府を倒したとばかり思っていたのに。……実は、公爵夫人を使者に遣わしたのだ。卑しい身分の将軍に褒美を与える為にな。ところが彼女は、大変な侮辱を受けて戻ってきた」

 憤懣やるかたないと言った風に、亡命王は鼻を鳴らした。

「女性に興味のない支配者など! そのようながわが国の民を支配するなど、諸外国に対して、恥さらしもいいところだ!」


「そうですね」

 うわの空でラルフは相槌を打った。この王は、自分の置かれている立場がまるでわかっていない。また、オーディンの恐ろしさも野望も、全く理解していないと思った。


 話題が尽きたころ、亡命王が尋ねた。

「ところで、君の用向きは?」


 しきりに、女優の消えた奥の部屋を気にしている。亡命王は、早く彼女と二人きりになりたいのだろう。

 王の意を汲み、端的にラルフは尋ねた。


「国王陛下。近々、ユートパクスへ行かれるご予定は?」

「何を言うか」

亡命王は笑い出した。

「オーディン・マークスが王族の命を狙っているのだぞ。特に、朕の首には高額の懸賞金がかかっておる。うかうか帰れるものではない」

「帰られない? しかし、西海岸の王党派蜂起軍は、陛下のお越しを待っているようですが」

「君は、蜂起軍からの遣いか?」


 亡命王の肉のついた面に、警戒が浮かんだ。ラルフは首を横に振った。


「私は、完璧に個人の権限でここに来ました。私が殿下を訪れたことは、上官であるアップトック提督も存じません」

「そうか」


 緊張した表情が緩んだ。すかさずラルフは詰め寄る。


「ですが、もし陛下が、ユートパクスへ渡られるとあらば、我々アンゲル海軍がバックアップ致します」


「実は、計画があるのだ」

 亡命王は身をかがめた。太った体が窮屈そうだ。

「だがこの計画について、部外者に話すわけにはいかない。もし機会があったら、蜂起軍のリーダー、フランに伝えてくれ。朕は、献身を尽くしてくれた王党派の面々に深く感謝している、と」



 会見は短時間で終わった。

 玄関先に見送りに出たのは、女優だった。ブルコンデ18世は応接間に残り、女優が供した茶を啜っていた。


「ほら、これ」

 コートの内側から取り出したものを、ラルフは女優に渡した。

 男物の靴下だった。

「陛下に見られたらまずいものだろ?」

 女優は目を丸くした。

「まあ! どこにあったの?」

「応接間の椅子の上」


 応接間の椅子の上に、男物の靴下が放り出してあるのを目ざとく見つけたラルフは、亡命王に気づかれる前に、その椅子に腰を下ろした。

 王族に先駆けて腰を下ろすなど、大変な無礼なのだが、もともとラルフは、そんなことは気にも留めていない。

 亡命王であるブルコンデ18世も怒りを露わにすることなく、ラルフの対面に座った。


 「ありがとう。恩に着るわ」


 女優の目が、ぱっと輝いた。

 靴下は、彼女の恋人の物だった。亡命王が来る予定がなかったので、女優の部屋を訪れていたのだ。

 来ないと思っていた王がこちらへ向かっているとラルフから聞いた女優は、急ぎ恋人を裏口から帰らせた。だが慌てた男は、靴下を忘れていってしまった。


「応接室に靴下ってのは意味深だよなあ。寝室へ行くのが待ちきれなかったのかい?」

「行ったわよ。寝室で服を着ようとしたら、彼の靴下の片方だけがどうしても見つからなかったの」


 脱いだ衣類をごっそりと持ち去ったはずなのに、靴下だけが、椅子の上に残ってしまったのだという。


「ところで、君、ダフネ嬢。俺に恩を感じてないかい?」

「感じてるわ。ありがとう、リールさん」

 棒読みのような言い方だった。だが、ラルフは一向に平気だった。

「なら、ちょっとだけ教えてくれないか? ブルコンデ18世は、何を企んでいるんだ?」


 女優はためらった。だが、長くは続かなかった。彼女自身、誰かに話したくてたまらなかったのだろう。

 ラルフの耳に口を寄せ、早口で囁いた。


「オーディン・マークスの暗殺よ」

「暗殺……」


ラルフは息をのんだ。


「……で、めでたくオーディンが死んだら、陛下はユートパクスへ戻るのか?」

「あのね、リールさん。オーディン暗殺を企んでいるのは、陛下の側近たちなのよ」

「王党派の仲間だな?」

「そう。陛下ご自身は、ユートパクスなんかうんざりだって言ってるわ。兄上ブルコンデ16世と王妃の首は斬るし、自分たちの命は狙われるし。彼が即位したのだって、側近からやいのやいの急かされて、しぶしぶなのよ? 王になるなんてまっぴらだったんですって。いつ、国民の気が変わって首を斬られるかわかったもんじゃないからよ! 陛下には子どもがいないから、御代は一代限り。よく考えたら割に合わないわよね。陛下は、国へ帰る意味がわからないって言ってたわ」


 かわいそうに、ブルコンデ18世には、愛する人がいないのだな、と、ラルフは思った。







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