バーンでの休養 1


 「なぜ! くそっ、なぜアンゲル政府はラルフ・リールの処分を見送ったのだ!」


 風光明媚なアンゲルの保養地バーン。ユートパクス将軍シャルワーヌ・ユベールは、手にした新聞をくしゃくしゃに丸めて投げ捨てた。


 ……「大宰相軍がユートパクス軍に負けたのは、同盟国であるアンゲル海軍の援助が得られなかったせいである」


 大宰相とその息子であるキャプテン・アガから、アンゲル政府に抗議があった。慌てた政府は、責任者であるラルフ・リール代将を叱責したのだが、それだけだった。彼は無事、元の職位に復職したと、新聞は報じていた。


「おとなの事情、ってやつでしょ」


 副官のサリが、丸まった新聞を拾い上げる。

 新聞の解説によると、タルキア皇帝の裁量が、間接的にリール代将の助けになったらしい。


 そもそもマワジへの進軍は、皇帝の意に反していた。皇帝は大宰相とその息子であるキャプテン・アガを都に呼び寄せ、強い叱責を加えた。(但し、二人が罰せられることはなかった)


 翻って、もしアンゲル海軍の指揮官が大宰相軍に加勢していれば、国としてアンゲルは、同盟国の皇帝に逆らったことになる。リール代将が大宰相軍に援軍を出さなかったことは、逆説的に、アンゲルとタルキアの仲を取り持ったことになったのだと、新聞は述べていた。


 「そんなことより、ワイズ将軍の勝利を素直に喜んだらどうですか?」

 サリが諭すと、シャルワーヌは鼻を鳴らした。

「ユートパクス軍が負けるわけがない。ワイズ将軍はわが国最強の将軍だからな」

「イサク・ベルのムメール族も、無事に上ザイードに帰還したとか。本当に良かったですね」

「うむ。彼には世話になったからな」


 イサク・ベルの身の回りにきな臭い雰囲気があったことは、シャルワーヌやサリもなんとなく感じていた。なにしろ彼は、ユートパクスとタルキアの間の、いわゆる二重スパイだったわけだから。

 それにシャルワーヌ個人としては、大宰相軍のテントから、エドガルドを連れてきてくれた恩を、決して忘れてはいなかった。


「確かにユートパクスが勝ってよかった。アンゲルがタルキアに加勢してたら、負けるわけはないが、ややこしいことになっていたからな」


 実際は、ラルフはタルキアが戦争を起こさないように、祖国へ進言に行っていたのだが、そこは、シャルワーヌは無視した。


「だが、それとこれとは別問題だ。ユートパクスでは、政府の命令に逆らったらギロチンだぞ。俺の上官は、何人も首を切られた」


「順当にいったら、次は貴方の番でしたものね。危ない所でした」

 副官が、丸められた新聞を拾い上げる。

「オーディン総司令官……今は首席大臣ですよね!……のザイード遠征に参加して正解でした」


 東の国境では、冤罪で斬首された将軍もいる。あることないこと派遣議員に密告され、スパイ容疑を着せられて殺されるのだ。あのまま、本国ユートパクス東の国境に残っていたら、今頃、シャルワーヌも首を切られていたかもしれない。なにしろ彼は、貴族出身なのだから。ただでさえ、疑われやすい。


 シャルワーヌの傷は、順調に回復しつつあった。穏やかな気候と近代的なアンゲル人医師の治療、サリの目配りによる清潔な環境などにより、敗血症や後遺症も免れることができた。


 けれど、シャルワーヌは不満だった。毎日毎日、同じ愚痴をこぼす。


「なぜここにエドゥがいないんだ? 彼は俺と一緒にバーンへ来ると誓ったじゃないか」

「誓ってはいませんでしたね」

冷静にサリが指摘する。

「同じことだ。俺はエドゥを信じた。だから、アンゲルへ来ることを承諾したのだ。それなのに、目が覚めてみると彼はいない。これはどうしたことか? 決まってる。悪いアンゲル人将校の陰謀に違いない!」

「そうそう。全ては彼の仕業です」


 めんどくさいことは全て、ラルフ・リールのせいにしてしまえとばかり、サリが答える。


「やっぱりな! そうすると……」

シャルワーヌの肩が震えた。

「つまり、エドゥは今、やつと一緒に!?」

「何を今さら。上ザイードを出てから、フェリシン大佐はずっと、リール代将と一緒だったじゃないですか。それ以前、前世から数えたら、代将がシテ塔を脱獄してからずっと」

「今回は少し、意味が違うのだ。いいか、サリ。エドゥは18歳になったのだよ」

「18歳! なんと! そりゃ、アレですよね……」


 サリは言葉を濁した。これ以上、上官を刺激するのはまずいと判断したのだ。

 だが少し遅すぎたようだ。シャルワーヌの眉間に皺が寄った。こめかみに青筋を立て、彼は喚き散らした。


「何が紳士同盟だ! 俺が気を失っている隙に、またしても、エドゥをかすめ取りやがって。……くっ、卑劣な真似を! ……許さん! 銃殺だ! 絞首刑だ! アンゲルはなぜ、彼をギロチンに掛けないのか!」


 「ギロチンはお国ユートパクスのお家芸でしょ? アンゲルはそんな野蛮なことはしません」

 皮肉な声がした。開いたままのドアから入ってきた者がいる。


「げっ。リール代将!」


 思わずサリが声を漏らした。

 無理もない。シャルワーヌはさんざんに罵っているが、狭く不潔な捕虜収容所ではなく、穏やかな保養地で傷を癒すことができるのは、ラルフ・リールの尽力によるものだ。おまけに、高度な技術を持つ医者まで、彼は手配してくれた。


 「それから、は、私のところにはいません。気に病んでいるようだから、特別に教えてあげます」

 朗らかに、ラルフは続けた。


「いない? 嘘だ。信じられるか!」

 興奮のあまり、普段は色の悪いシャルワーヌの顔が、赤らんで見える。


 立ち止まり、ラルフはじっくりとシャルワーヌの顔を眺めた

「血色はいい。やっぱり本国の医者は優秀だな。あのまま、オハラ医師せんせいに任せておかなくてよかったです」


「やっぱりあの医者、ヤブだったんですね……」

小さな声でサリがつぶやいた。


「すみませんねえ。医者は、彼で精いっぱいだったんです」

「わかってます」


 謝罪するラルフに、サリが頷きを返した。

 何やら通じ合った二人に、シャルワーヌの怒りは募るばかりだ。


「俺の副官と、なにをごちゃごちゃしゃべってる! こんなところに閉じ込めやがって。エドガルドが18歳になったんだぞ!」

「ああ、気がついていましたか」

僅かに笑みを含んで、ラルフが応じる。

「当たり前だ! 俺だって楽しみにしてた!」

「それはそれは」

「何が紳士同盟だ。このペテン師が!」

「独創性のない罵りですね。ああそうだ」


 胸の隠しから、ラルフはきらきら光る小さな物を取り出した。

 赤いペンダントだ。


「なっ! なぜそれを君が!」

ぎょっとしたようにシャルワーヌが叫ぶ。


「エドガルドから預かりました。大切な文化遺産だから、私から将軍にお返ししてほしいと」

「君が持っていたのか?」

「ええ、まあ、途中からは」

「どうりで!」

シャルワーヌがわめいた。

「どうりで、何も映し出さなかったわけだ!」

「? どういうことです?」

「◇×△*×××……」


 興奮のあまり、ユートパクスの将軍は、言葉にならない。

 見かねて副官のサリが口を出した。


「それは、わが軍の学者の発明なんです」


 ユートパクス軍は、大勢の学者や民間人を同行していた。ザイードでの自活の道を探り、また、文化研究の為に連れてきたという。


「イスケンデルに置いてきてしまいましたが、シャルワーヌ将軍は、大きな板のような石を持っていたんです。そこに、赤い石が情景が映し出されるとか」


「赤い石が見た……って!?」

怪訝な顔をしたラルフだが、一瞬で理解したようだ。

「それはつまり……」


「君の想像通りだ、リール代将」

しゃらりとシャルワーヌが言ってのける。


「このっ! なんて破廉恥な男なんだ!」


ほの白いラルフの顔がみるみる赤くなる。それを見ながら、シャルワーヌはうそぶいた。


「同類だろ、君だって!」

「違う、愛だ。痴情ではない!」

即座にラルフが言い返す。シャルワーヌだって負けてはいない。

「底にあるのはスケベ心じゃないか」

「スケベでない男なんかいるものか!」

「そこは同意する」

「君になんか、同意されたくない!」

「ふん!」

「全く、君が同じ男だと思うとぞっとするね」

「なんだと!?」


 「お二人とも!」

掴みあいそうになった二人の間に、サリが割って入った。

「特にシャルワーヌ将軍はまだ全快したわけじゃないんですから。自重してください!」


「赤い石が見るって、どういうことだ? 詳しく話せ」

怖い顔でラルフが詰め寄る。副官は肩を竦めた。

「古代の上ザイードの王墓で見つけた石板を、学者たちが解読したのです。その解読に基づいて、学者たちは、あの赤い石を作りました」


「ほらみろ。あの石は、新しく作られた物じゃないか。古代の遺物なんかじゃない」

「現物は盗掘されていたんだよ!」


 ラルフの抗議に、シャルワーヌが反論した。

 サリが続ける。


「学者が言うには、空気中には細かな粒が飛んでいるそうです。その粒は、遠くの形を運ぶことができるそうで……」

「細かい粒が、か?」

「私に聞かないでください。学者がそう言ったんです。だから、赤い石が集めた形が、粒に乗せられて、それをシャルワーヌ将軍が持っていた透明な板に伝える……と」


 どんどん自信なさげになっていく。


「形? 遠くが見えるってことか? エドガルドはそれを、肌に密着させてつけていた。服の下に! つまり……なんてこった! モロ見えじゃないか! 純情にも彼はそれを、人類の大切な文化遺産だと信じていたんだぞ!」

「俺のとこには、何も伝わってこなかったし、何も見えなかった! くそっ、実験は失敗だ!」


「この人でなし! 破廉恥野郎!」

「人のことが言えるか。君は卑怯だ」

「卑怯?」

「エドゥをザイードに留まらせたのは、君だろう?」

「それはちが……」


ラルフが答え終わる前に、シャルワーヌが決壊した。


「18歳になった彼を、君は弄んだのだ。あの華奢な体を! 白く美しい肌を!」


 ラルフは、憐れむような目でシャルワーヌを見下ろした。

「療養生活が続いて欲求不満なんだな。かわいそうに」


「うるさい! 返せ! エドゥを俺に返せ!」


 ラルフはため息をついた。







【後書き】

シャルワーヌがエドガルドに赤い石を託す場面は、Ⅱ章「大型犬の舌と赤い石」にあります。シャルワーヌの下心がほの見えていたら嬉しいです。








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