矛盾



 アンゲル海軍将校ラルフ・リールの元、ユートパクスとタルキアの和平交渉は、一応の成果を上げた。

 ユートパクスは、ソンブル大陸から名誉ある撤退をすることになった。

 撤退の費用は、タルキアが負担する。代わりにユートパクスは、ザイードをタルキアに返還することを承諾した。また、武器は置いていくことが条件とされた。どうやらタルキア軍は、ユートパクスの最新の武器を取り入れたいらしい。



 大使達は、各々の陣営に帰っていった。もちろん、シャルワーヌも。

 彼は最後まで船に残ろうとしたのだが、ラルフが許さなかった。


 あれからシャルワーヌには会っていない。


 ……「俺が愛したのは、愛しているのはお前ひとりだ、エドガルド。前世の君からずっと、お前を、お前だけを、愛し続けてきた」


 最後にシャルワーヌが放った、不可解な言葉。

 俺は、信じない。


 あの軽薄で多情な男の言うことなど信じるわけにはいかない。あいつは、オーディン・マークスの愛人じゃないか。忠誠とか献身とかで飾り立てていたが、やっていることは同じだ。信じられるものか。

 第一、俺には、ラルフがいる。ずっと一緒に戦ってきた彼を裏切ることはできない。あいつは、俺とラルフの固い絆を引き千切ろうとでもしたのだろうか。

 その意味でも、シャルワーヌの言ったことは、悪魔の囁きのように、俺には聞こえた。


 俺はシャルワーヌを信じない。なぜあんなことを言い出したのか、本当に不思議だ。


 考えられる可能性としては、シャルワーヌは、ジウ王子のことが好きだったのだ、ということだ。だがその一方で、彼は、オーディンと体の関係を持っていた。

 全く、なんて男だ。

 魂が消えてしまったことは、ジウ王子にとって、幸いだったと思う。




 ユートパクス側の大使が船を降りる時、俺はラルフの私室に保護されていた。ラルフの腹心・ルグランと、亡命貴族時代の俺の仲間・ラビックとビスコの3人の見張りまでつけられて。


 「大将もおとなげない」

ルグランがぶつぶつ言っている。

「大人げないって、ラルフ・リール代将は、ユートパクスの悪い将軍にエドガルド・フェリシン大佐が連れていかれないよう、配慮してくださったんじゃないんですか?」

 ラビックが目を丸くする。

「違うぞ。これは、ラルフのエゴだ。彼自身が、大事なエドガルドを攫われたくなかったんだ」


国際スパイのビスコが言うから、俺はむっとした。


「俺を誰だと思ってるんだ? さらわれたりなんかするもんか」

「横恋慕を甘く見てはいけないぞ。特にユートパクス人にとっては、愛は飯より大切なんだろ」

「少なくとも俺は違う。俺にとって一番大切なのは国王陛下への献身だ。……? 横恋慕だって?」

「リール代将がそう言っていた」

「……」


 黙り込むしかない。俺自身にも、シャルワーヌの言動は理解しかねる。


「それに今の君は、ジウだ。力の弱い、ウテナの王子以外のなにものでもない」

「体力なら、徐々についている」


 本当に、ラルフの船に来てから、俺はめきめき丈夫になっていた。だが、正直な所、前世の体には程遠い。ジウの虚弱体質は生まれながらのもので、鍛えればどうこうという話ではないらしい。

 案の定、ビスコは渋い顔をした。


「シャルワーヌ・ユベール? 革命軍のあの将軍は、危険だ。エドガルド、君は彼に目をつけられている。気をつけた方がいい」


 横恋慕はさておき、目をつけられているのは確かだと思う。上ザイードで、俺はさんざん、彼に逆らってきたわけだし。


「けど彼は、亡命貴族だとわかると通行証を発行してくれたんだよ? 前世の俺もそれに救われたクチだ、多分」

 一応俺は、シャルワーヌを庇った。かつて彼が東の国境で、多くの亡命貴族を救ったのは事実だ。

「おっ、とうとう君も、……」

 ビスコがビスコが妙な声を出して何か言いかけたのを、ルグランが抑えた。彼は、海賊時代からのラルフの部下だ。

「頼むよ、エドガルド。うちの大将を捨てないでやってくれ。ここで君に捨てられたら、大将、何をしでかすかわかったもんじゃない」


 力いっぱい、むっとした。それでは、シャルワーヌの意のままではないか。彼は、俺とラルフを引き裂こうとしているのだ。


「何を言う。俺はラルフ一筋だ。転生する前も、後もだ!」


 三人は、一斉に俺を見た。

 こほん、とラビックが咳ばらいをした。彼は俺の副官だ。


「それにしても、なぜ大佐は、シャルワーヌ将軍のことを覚えていらっしゃらないんでしょう?」


「転生のショックかな?」

元国際スパイらしく、ビスコが推測する。ルグランが首を横に振った。


「いいや。だってエドガルドは、うちの大将のことは覚えているぞ」

そうだな。あの将軍に東の国境で捕まった時に、きっと》をされたのに違いない」


「俺の上官に……シャルワーヌ・ユベール、許すまじ」

ラビックが目を怒らせている。


「エドガルドだった頃、シャルワーヌとは、会ったこともないぞ。つか、彼のことはなにも覚えていない」

俺は言ってみたが、怒りに燃える副官ラビックには、伝わりそうもない。


「君には、他にも覚えていないことがあるようだな」

ビスコが言い、俺は首を傾げた。

「ええと……」


全く心当たりがない。


「エドガルドだった頃のことはよく覚えているぞ。ビスコ、君が、女性に振られた日のことも、昨日のことのように思い出せる」

「忘れろ」

「むしろ最近では、エドガルドとしての記憶より、ジウの残留思念の方が消えかかっているような気がしてならない」

「その割に、ユベール将軍に抱きしめられた時はうっとりしていたんだな、君は。リール代将が嘆いていたぞ」


 ビスコの突っ込みに、思わず俺は、真っ赤になった。


「それは、ジウの思念だ!」

「ジウの心は消えかけているのでは?」

ルグランが突っ込んでくる。俺は慌てた。

「シャルワーヌへの思いは消えていないんだ。それほど強い気持ちを、ジウ王子は彼に対して持ち続けていたわけで……」


 言いかけて止めた。誰も聞いていない。三人とも、無表情で俺を見ている。


 「思い出したくないでしょうが、フェリシン大佐。エイクレ要塞陥落の直前のことを話してもいいでしょうか」

 元副官のラビックがおずおずと切り出した。

「エイクレ陥落の直前……」


 不意に、ラルフとの情事が鮮やかによみがえった。再び俺は赤面した。

 俺としたことが、シャルキュ太守の心配りだったとはいえ、ベッドサイドに潤滑油まで用意しておいたなんて。

 でも、実質、あの晩が最後のチャンスだった。あの後すぐに、俺は死んだのだから。シャルキュ太守には感謝しかない。


「……この話は止めた方がいいでしょうか?」

控えめな副官の声がとめどなく流れる妄想を遮った。

「あ? いや、そんなことはない」

「でも、大佐、何か急にぼんやりしてしまわれて……やはり、お辛いのでしょう?」

「こいつがそんなデリケートなタマか」

ビスコが割って入った。

「あのな、エドガルド。俺達は、不思議に思ってたんだ。少年の姿でこの船に戻ってきた時、君は言った」


 ……「そういえばラルフ。君は言っていたな。オーディンに祖国ユートパクスの窮状を教えたのは自分だから、オーディンが祖国へ帰ることはわかってた、って。そこまで周到な罠を仕掛けておきながら、オーディンを逃がすなんて」


 そうだ。ラルフは、戦艦の火薬庫を爆破すべきだったのだ。それなのに、俺なんかにかかずらわっていて、オーディンの乗った戦艦を逃がしてしまった……。(*1)


「うん、言ったけど?」

俺が答えると、3人は顔を見合わせた。

「本当に覚えてない?」

ルグランが問う。

「何を?」


 再び、3人は無言で顔を見合わせた。

 そういえば、あの時も、ラルフが首を傾げたような気がした。ほんの一瞬だったけど。


「リール代将の大使として、オーディン・マークスにユートパクスの窮状を伝えたのは、貴方なんですよ、フェリシン大佐」

「なんだって!?」

「つまり君は、オーディンに会ったのだ。エイクレのユートパクス陣営で」

「それなのに、まるで何も知らないような言い方をしたから、俺達はずっと気になっていた」


 オーディンに会った?

 この俺が、あの混沌とした戦場で? ラルフの大使として?

 初耳だった。いっそ衝撃だった。だってエドガルドとして俺が、最後にオーディン・マークスに会ったのは、士官学校時代だと今まで思っていた。学校を卒業してからは、全く接点がなかった……はずだ。

 俺は王の為に亡命し、オーディンは革命軍に残った。敵味方に別れたのだ。向こうも会いたくなかったろう。


「いったい君たちに何があったというんだ? なぜ君は、そんなにもオーディン・マークスを嫌うのだ。君だけじゃない。オーディン・マークスもなぜ、殺したいほど君を憎むのだ?」

ビスコが問うた。


 その問いは、一気に俺を、士官学校時代まで連れ戻した……。








________________

*1

Ⅱ章「亡命貴族の仲間達」

https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654/episodes/16817330666947547290

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