告白
※ジウ視点に戻ります
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「君は、エドガルドだな」
シャルワーヌが口にした名に驚いた。
「なぜその名を知っている?」
反射的に問い返した。
上ザイードにいた頃、俺はエドガルドの転生を、慎重に隠してきたはずだ。
「エドガルドなんだろう?」
縋り付くような眼差しを向けてくる。
舌打ちしたい気分だった。
ジウによれば、シャルワーヌ自身もオーディン・マークスを憎からず思っていた筈だ。さもなければ、内気な王子があそこまで嫉妬したりしなかったろう。
それなのにシャルワーヌのやつ、裏切られた上に、あまつさえ殺されかけたなんて。それも、オーディン自身の手で。
さすがに気の毒に思えた。ラルフは止めたが、シャルワーヌが心配だった。まさか海に飛び込んだりはしまいが、様子を見に行くべきではないか?
同じ大使のペリエルクは、シャルワーヌの所へ行くのをいやがった。オーディン・マークスの片棒を担いで、彼はシャルワーヌに毒を盛ろうとしたのだから、それは頷ける。もっとも首謀者というか、毒の性質上、最終的にシャルワーヌを殺せたのは、オーディン・マークスしかいなかったわけだが。
ペリエルクが拒否したので、しかたがないから、俺自身が様子を見に来たのだ。
それなのに、なぜ、このようなことに……。
「ウテナの王族が
今にも泣きそうだ。
俺は絶句した。
この男、いつの間に……。
用心深く、返事を避けた。
「だからどうして、貴方がエドガルドを知っているかと聞いているんです」
そこが一番、疑問だった。
だって俺には、シャルワーヌの記憶が残っていない。前世の俺は、シャルワーヌには会っていないはずだ。
黒い瞳が真ん丸になった。気のせいか、その頬がどす黒くなった気がする。なぜかどもりながら、彼は答えた。
「た、たとえば、だ。俺は君に、通行証を書いただろう? 東の国境の山岳地帯で」
そうだった。
革命軍のシャルワーヌ・ユベールという将軍の兄弟・親族は、亡命貴族のデギャン元帥軍にいる。だから彼は、国境を越えようとする元貴族らを捕まえると通行証を発行するのだと、それより以前に聞いたことがあった。恐らく俺にも、機械的に発行してくれたのだろうと、思っていた。
実際に顔を合わせていたとは思ってもみなかった。だって俺は、彼のことを、何も覚えていない……。
「覚えていないのか? 俺のことも? 洞窟のことはどうだ?」
俺の様子を窺っていたシャルワーヌが尋ねた。おずおずと心配そうな顔をしている。
「洞窟? 何?」
「本当に覚えていないのだな」
シャルワーヌはショックを受けているようだった。
ショックなのは俺も同じだった。なんだ、この、自信なさげな情けない顔は! まるで雨に濡れた大型犬のようだ。今までの彼とは、まるで違う。
「だが、君はエドガルドなのだろう?」
シャルワーヌの変化に気を取られてしまった。だから改めて問い直された時、頭を働かせる余裕がなかった。相手を欺こうとか、自分を守ろうとかいう考えは、全く思い浮かばなかった。
事実のままに、俺は素直に頷いた。
痛恨のミスだ。取り返しのつかない失敗だった。
効果は、激烈だった。
「エドガルド! ああ、やっぱり君だったのか、エドゥ!」
……エドゥ?
頭の隅に電流が流れたような気がした。だが、一瞬のことだった。
いきなり抱き寄せられ、思考は吹っ飛んだ。まるで密閉されるように、胸に封じ込められてしまった。
「ちょ、総督!」
「エドゥ……俺のエドゥ……」
うわ言のように繰り返しながら、頭のてっぺんにごりごりと顎をこすりつけてくる。ちょうどそのくらいの身長差なのだ。
尖った顎の先が頭頂部にぶつかり、不穏なこと、この上もない。
「痛い! 何すんだよ! 顎の骨を人の頭に打ち付けるんじゃない!」
「ああ、その言い方! ぶっきらぼうでつっけんどんで。エドガルドだ。君はまさしくエドガルド……俺のエドゥ……」
いったい俺は、どんな接し方をシャルワーヌにしていたというのだ? いや、本当に彼と接点があったのか。シャルワーヌの妄想じゃないのか? そもそも俺自身は何も覚えていないし。
ぎゅうぎゅうとシャルワーヌは俺を抱きしめる。まるで自分の胸の中へ取り込んでしまおうとでもいうように。
彼の抱擁から逃れようとする俺の鼻孔に、刺すような海風の隙間から、柔らかい日向の匂いが忍び込んできた。
……シャルワーヌの匂いだ。
どんなに海風が激しくなっても、もう大丈夫……。
体中の力が抜けた。久しぶりで嗅いだ香りを胸いっぱいに吸い込み、幸せに恍惚となった。吸って、また、吸って。貪欲なまでに身内に取り込もうとする。吸い込むばかりの息で、肺が破裂しそうになった。
懐かしい、暖かい日向の匂い。
優しい男の、素朴な抱擁。
「そこまでだ!」
強い力が間に入った。大きな胸から引き離され、俺はよろめいた。すぐに腕を掴まれた。痛いほどの勢いで、誰かに引き寄せられる。
ラルフだった。見たこともないような恐ろしい形相をしている。
「ユベール将軍、貴方は知らないようだから教えてあげよう。ジウ王子の誕生日は、」
「霜置く月の10日、過ぎたばかりだ」
すかさずシャルワーヌが答える。話の腰を折られ、ラルフが鼻白んだ。
「ならわかってるだろ? この子は未成年だ」
「だから?」
「そもそも捕虜に手を出すんじゃない!」
だが、シャルワーヌも負けてはいなかった。
「彼はもう、俺の捕虜じゃない。君の保護下に入ったのではなかったか」
恨みがましい口調だった。
「そうだ。俺には彼を守る義務がある」
「守る? 何から?」
「君からだ!」
ぴしゃりと言い渡し、ラルフは俺を背後に押し隠した。くるりと後ろを向き、そのまま俺を追い立てるようにして立ち去ろうとする。
「だが、彼はジウじゃないぞ」
歩き出そうとしたラルフは、ぎょっとして足を止めた。
「この子は、エドガルドだ」
シャルワーヌの声には迷いがない。
「エドガルド! 君はこの男に、正体を明かしてしまったのか!?」
強い声でラルフがなじった。
シャルワーヌの胸から引き離され、俺はまだ呆然としていた。自分の失敗をどうカバーすべきかわからない。
素早い身のこなしで、ラルフは、シャルワーヌに向き直る。
「わかっているだろう? エドガルドは俺を選んだ。前世でも今生でも」
シャルワーヌが腕を伸ばし、俺の肘を掴んだ。焼け付くような熱が、指の一本一本の存在を熱く感じるほどの熱が伝わってくる。
「エドガルド、本当に? 本当にこの男を選んだのか? よりによって、アンゲル人を! 君は俺を理解してくれたのではなかったか? 王党派と革命軍の間で揺れる俺の気持ちを!」
ゆるゆると俺は首を横に振った。
生まれ変わった俺は、ただひたすら、彼を殺すことだけを考えていた……。
「なあ、エドガルド。前世で君は、この男を知っていたのか?」
俺の腕からシャルワーヌの手をはたき落とし、ラルフが問う。妙に優しい声だ。
再び俺は、首を横に振った。だって本当のことなのだから、仕方がない。決してラルフに乗せられたわけじゃない。
「ほらみろ。いいか、シャルワーヌ将軍。彼は俺のことは覚えていた。二人の間の出来事は、細部にいたるまで記憶が一致した。けれども将軍、エドガルドは貴方のことなんか、なにひとつ、覚えちゃいない。その程度なんだよ、あんたとのことは!」
残酷な指摘だと思った。
もともと色の悪いシャルワーヌの顔色が、どんどん青ざめていく。
「その上あんたは、オーディン・マークスなんかにうつつを抜かして! エドガルドを殺した男だぞ、オーディンは!」
吐き捨てるように言い放つと、俺を押すようにして、今度こそラルフは歩き始めた。
「待ってくれ!」
後ろから血を吐くような声が呼び止めた。
何かに命じられたように、俺は足を止めた。すぐ後ろから来たラルフが背中にぶつかる。
俺とラルフの背後から、血を吐くような叫びが聞こえた。
「俺が愛したのは、愛しているのはお前ひとりだ、エドガルド。前世の君からずっと、お前を、お前だけを、愛し続けてきた」
「行こう」
立ち止まってしまった俺の肩を押し、有無を言わさず、ラルフは歩き始めた。
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