回想:ワイズ将軍の怒り/覚えていない


 上ザイードをイサクに任せ、シャルワーヌは、首都マワジへ向かった。その彼に、新総司令官、ワイズは、アンゲル将校及びタルキア大使との交渉を命じた。

 ワイズ将軍は、一刻も早い帰国を望んでいた。



「くっそーーー、オーディンの奴、俺に、特大のクソを押し付けやがって。くそ、帰国したら、是非とも、負けないくらいでかいクソをお見舞いしてやる」

 シャルワーヌが司令部に出頭すると、ワイズ将軍は怒り狂っていた。

「しかも、総司令官任命は直接会ってではない。手紙で、だぞ?」

「それはまだ、君が戦場にいたからだろう?」


 シャルワーヌは指摘した。

 彼とワイズは、かつて東の国境で共に戦った戦友同士だった。


「いいや。俺が絶対断るって知ってたからだ。くそっ、断ったさ。当たり前だろ? だれがこんな、クソのような大陸の総司令官なんか引き受けるものか!」

「東の国境にいた時も、君は、司令官を断ったよな」

「君だって断っただろう、シャルワーヌ。お陰で前任者は、俺と君の間を行き来し過ぎて、落馬して骨折する始末さ」


 低い声で、二人の戦友は笑った。

 ワイズの方は、すぐに笑いを引っ込めた。


「いずれにしろ、オーディン・マークスは裏切り者だ。黙って現場を離れるなんて、軍法会議モノの犯罪だ。俺はあいつの罪を、本国の裁判所に訴えてやる」

「いやまあ、彼には彼の考えがあったと思うぞ?」


 控えめに、シャルワーヌは口にした。

 果たして、ワイズは噛みついてきた。


「考えって何だ? 君も置いてけぼりを喰らったクチだろうが」

「何か、偉大な計画が、きっとあったはずだ」


馬鹿にしきったように、ワイズが鼻を鳴らす。


「ふん。どうしてそう、オーディン・マークスのことを信じられるのか。いいか、シャルワーヌ。やつが帰国してから随分経つが、物資の補給どころか、指示のひとつも届いてはいない。俺達はやつに捨てられたんだよ」

「……それは違うと思うよ」


 ワイズはともかく、自分がオーディンから捨てられたと考えるのは、シャルワーヌには耐えられなかった。だって二人の間には特別な関係がある。自分のこの腕の中で、彼は、あんなにも乱れていたではないか……。


「いずれにしろ、俺は、この大陸に長くいるつもりはない。軍もだ」

「だが、ザイードをタルキアから守れというのが、オーディン・マークス前総司令官が君に託した任務なのだろう?」

「馬鹿な! できるものか!」


ワイズは吐き捨てた。


「あいつは、自分にだってできない任務を俺に押し付けた。俺が失敗することをわかっていてな。君は、帰国は命令違反だから処罰されると言いたいのだろうが、タルキア防衛に失敗しても、どのみち軍法会議で裁かれる。どっちに転んでも、裁かれるんだ。俺にとって、あいつの命令なんざ、屁でもないね」

「確かに、本国からの補給のない状態で、ザイードに駐屯し続けるのは難しいが……」

「あのな。オーディンの無謀な遠征のせいで、病人がたくさん出ているんだ。君は、エイクレ要塞に行かなくて運が良かったんだぞ、シャルワーヌ」

「……」


 シャルワーヌの胸がじくりと痛んだ。

 エイクレ要塞。そこで、エドガルドは死んだ。

 オーディンに殺されたのだと、憎いアンゲル海軍将校ラルフ・リールは言う。


 ワイズが何か言っている。


「オーディンの始めた対タルキア戦はまだ終わっていない。このまま、オーディンの命令に従ってザイードに駐屯し続ければ、いずれまた、タルキア軍と戦わざるを得ないだろう。麾下の兵士たちのこれ以上の無駄な死を、俺は容認することができない」


 それを言われたら、シャルワーヌとしても、ワイズに賛同せざるを得なかった。

 砂漠での過酷な行軍で、彼の軍も疲弊している。これ以上の無駄な戦いは避けるべきだ。


「タルキアと講話を結ぼう。専門的な話は、政治財務担当のペリエルクがする。君は彼の護衛と軍事面の交渉を担当してくれ」

「わかった」


 溜息をつき、シャルワーヌは承諾した。

 ここにオーディン・マークスがいない以上、現在の司令官ワイズの命令に逆らうことはできない。それが、兵士と言うものだ。


「タルキアとの交渉は、アンゲルの海軍将校が間に入ってくれる。話し合いは、アンゲル艦の中で行われるから、安心だ」

「アンゲルの海軍将校だって!?」


 嫌な予感がした。


「ああ、彼のことは信じられる。遠征では、タルキア兵の虐殺から、わが軍の負傷兵を守ってくれたこともある。たいした人道主義者だよ、あの、ラルフ・リールは!」

「………………」


 シャルワーヌは絶句した。

 よりによって、ラルフ・リール、最期までエドガルドが行動を共にした、あの男とは。

 わざわざ上ザイードまでやって来た彼は、エドガルドとの関係を匂わせた。はっきりと。

 それは、シャルワーヌに対する恣意行動に外ならなかった。


「ワイズ将軍、やっぱりこの件は、辞退する」

ワイズは驚いたようだった。

「何を言うか、シャルワーヌ。もう先方には、フランスの全権大使として君の名を出してある。今更変えられんよ」

「それで、向こうはなんて?」

「ん? リール代将コモドール・リールに何か言って欲しいのか?」

「別に!」

 ぴしゃりとシャルワーヌは相手の問いを封じた。


「命令だ、シャルワーヌ将軍。リオン号へ行きたまえ」

 勝ち誇った口調で、ワイズ総司令官が命じた。




 限られた人数で帰国したオーディンの真意は、どこにあるのか。

 彼の側近に選ばれなかった胸の痛みを堪えつつ、シャルワーヌは、ラルフ・リールの「リオン号」に乗船した。

 政治財務担当のペリエルクも一緒だ。


 嵐で岸に近寄れなかったのだと言い訳していたが、ラルフ・リールは、約束の日より3日も遅れた。これは、エドガルドの最後の日々を独占した余裕の表れだろうかと、シャルワーヌは勘ぐった。

 意識しない方が無理だ。

 だってラルフは、シャルワーヌから大切な人を奪った。エドガルドと再会できなかったのは、ラルフのせいだ……。


 そして、

 …… 「シャルワーヌ将軍! それを飲んではダメだ!」


 なぜここにジウが?

 ラルフの船に?


 答えは明らかだった。

 ラルフがジウをさらったのだ。


 考えてみれば、ラルフが上ザイードを訪れた時、明らかにジウは、様子がおかしかった。

 彼の前で剣舞を舞ったり。おまけに、肌脱ぎをしようとさえした。(*)

 ラルフの方も変だった。

 どうやら彼も、ジウとエドガルドの間に何らかの関係があると気がついたようだ。

 全く油断も隙もない男だ。


 上ザイードからいなくなったジウが、そんな男のそばにいたことが、シャルワーヌには衝撃だった。しかも、自分から彼の元へ来たと言い張っている。

 エドガルドだけではなく、ジウまで!

 本当にこの男は、自分からどこまで奪えば気が済むのか。


 というか、そもそもこの少年は、誰なのだ? ラルフがここまで執着するからには、あるいは……。

 だとすると、今回もまた彼は、シャルワーヌを捨てて、ラルフを選ぼうとしているのか。

 怒りと絶望で、目の前が真っ黒になりそうだった。


 疑心に満たされたシャルワーヌを第二の衝撃が襲った。


 同じくユートパクスの大使としてリオン号に乗船していたペリエルクが言ったのだ。

 ……「君は、兵士達に絶大な人気がある。オーディンの首都統治は失敗したが、上ザイードの民は君を信頼している。オーディンにとって君は、危険人物だった」


 危険人物?

 オーディン・マークスにとって自分が?

 ありえない。

 そもそもシャルワーヌは、自分が兵士達に人気があるとは思っていない。上ザイードの統治だって、それを運営していたのは部下や民間人たちだ。シャルワーヌ自身ではない。


 むしろ彼は、いつも何かに心を悩ませ、心配事に眠れない思いをしながら、上ザイード総督に君臨していた。

 軍人にはそぐなわない厄介な統治をイサク・ベルに押し付けた時には、むしろほっとしたくらいで……。


 ……「君の忠誠に免じ、。」


 オーディンが、シャルワーヌの死を望んだと……毒を盛ろうとしていたのだと、ペリエルクは告げた。

 それは、オーディン自身の手でなされることを、彼は望んだ。


 この期に及んで、オーディンの「特別」を望んでいる自分に気がつき、シャルワーヌは苦笑した。今回の「特別」は、自分へ与えられる死だ。それで終わり、行き止まりではないか。


 心当たりは、確かにあった。

 情事の後、オーディンが口移しで飲ませた水。

 かつてなく優しい、そのくちづけ。

 だがそれは、文字通り、死のくちづけだった。




 「ここにいた」

 誰かが側へやってきた。シャルワーヌと並んで、舷側の手すりに寄りかかる。鼻孔を膨らませ、潮風を胸いっぱいに吸い込んでいる。

「なるほど、ここは気持ちがいいですね」


 長い間、彼がジウ王子と呼んできた少年だ。


「すまなかった。ずっと君の具合が悪かったのは、俺を庇ってくれたせいだったんだな」


 これだけは言わなければならないと思っていたことを、シャルワーヌは口にした。ジウ王子に対する複雑な感情は、謝罪の形になっていた。

 ジウは肩を竦めた。


「オーディン・マークスの毒のせいです。貴方が気にすることではない」

「だが……」

「彼のことは忘れた方がいい。オーディン・マークスは非道な男なのだから」


 灰白色の瞳でシャルワーヌを見つめ、囁いた。どこか心配そうな気配が感じられる。

 深い思いやりを感じた。


「オーディンだけが軍人じゃない。もっと立派な将校はたくさんいる。たとえば、貴方は、彼よりずっと格上じゃないか」


 シャルワーヌは戸惑った。だってジウはシャルワーヌに対してこんな口の利き方はしない。内気で、ひどく控えめで……。

 僅かに頬を赤らめ、彼は付け加えた。


「軍人としても、人間としても。だがもし、貴方が彼を愛していたと言うのなら……」

「愛していた? 俺が愛した男は、一人だけだ」

「ん。オーディンでしょ?」

「違う」


 ジウは首を傾げた。今まで、ジウ王子が問い返してきたことなど一度もなかった。彼はいつも、言われたことを唯々諾々と受け容れる。


「マークス将軍のことは、尊敬している。だが、俺が愛しているのは、彼ではない」

「尊敬は、愛とは違うの? 忠誠は? あなたは彼と寝たんでしょ?」

「知っていたのか……」


 シャルワーヌは唖然とした。オーディンに呼ばれ、マワジに行く直前、妙に頑なだったジウの態度から、彼は、自分とオーディンとの関係を知っているのだと推測していた。だが、おとなしく恥ずかしがり屋のジウ王子が、まさか正面切って問い質してくるとは思ってもみなかった。

 しかも、「寝る」などと。


「軍で、特別な関係を結ぶにはこれしかなかった。彼には俺を、特別だと認めて欲しかった。それだけだ」

「信じられない。貴方は軽薄で、移り気な人だ。そして、情にほだされやすい。だから、オーディンからの愛情を受け容れたに決まっている」


 断定的な言い方だった。むきになったその態度が可愛らしく、そしておかしかった。


「愛情? 君は間違っている。だって彼は俺を殺そうとした」

「だから、慰めてやってるんだろ!」


 口調ががらりと変わる。

 まるで薄皮を一枚剥いたように、今の彼は活発で、生き生きとしていた。同じ空気を漂わせた男を、シャルワーヌは知っていた。


「君は、ジウではないな。君は、エドガルドだ」


 相手は、大きく目を見開いた。

「なぜその名を知っている?」







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Ⅰ章「拉致?」

https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654/episodes/16817330666195359467


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ややこしい話をお読み頂き、ありがとうございます。やっとここまで戻ってまいりました。次回よりエドガルド視点に戻ります







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