同窓生/憎しみのきっかけ

 「弾道の飛距離は砲弾の重さに大きく依存する。各々の重さの砲弾を、縦軸に高さ、横軸に距離を置くと、このような放物線を描く」


 教師が黒板に向かって、なにやら図を書き始めた。

 生徒らは神妙な顔をして、じっとしている。神妙になり過ぎて、居眠りをしている者もいた。

 彼らは退屈だった。

 まさか、砲兵科で、数学や物理の授業を受けさせられるとは!


「初速度と角度がわかれば、放物運動、すなわち、滞空時間、到達高度、到達距離が計算できる」


 ごそごそと、後ろの方で動く気配がする。


「おい、君、はみ出てるぞ」

「うるさい。はみ出てるのはお前だろ」

「ペンを貸してやったんだろ」

「誰がお前のペンなんか借りるか!」

「古いペンの音が、耳障りなんだよ。きこきこうるさいったらありゃしない」

「俺のペンに文句つける気か?」

「うるさいもんはうるさい。人に迷惑をかけるな」


「なにを!?」

「やるか!?」


 3人掛けの机で、真ん中に座っていた生徒がうめき声を上げた。

 左端と右端で激しく小競り合いが始まり、巻き添えを喰らって、左端の生徒から足を蹴られたのだ。


「なにかね、舎監君」


 黒板から振り向いて、教師が尋ねる。

 真ん中の少年は、学生寮の舎監を任せられていた。


「いっ、いえ、先生、なんでもありません」


 痛みを堪え、舎監が首を横に振る。彼は成績上位者だ。出来の悪い学友たちは庇ってやらねばならない。

 くるりと教師は黒板に向き直った。


「まあいいだろう。で、この放物線だが……」


 再び、激しいひそひそ声が始まる。


「よくもやったな」

「お前こそ」

「だいたい気に食わねえんだよ。人の親切は素直に受け入れろ、このチビが」

「お前こそ何だよ。余計なちょっかい出すな」


「なにを!」

「やるか!」


「痛っ!」


 教室中の目が後方に向けられた。

 両方から足を蹴られ、舎監が悲鳴を上げて飛び上がったところだった。





 放課後の校庭。日の暮れかけた並木道を、二人の少年が歩いてくる。

 一人は10歳くらい。ひどくみすぼらしい格好をしている。もう一人は、2つくらい年上に見える。最初の少年よりは、幾分ましな服装だ。


 「寄るなよ、おい。俺に触ったら承知しねえからな!」

年少の方がいきがっている。

「誰が君になんか触るか」

すかさずもう一人が返す。

「近ぇんだよ、距離が」

「君のほうから寄って来たんじゃないか」


 昼間、教室で喧嘩をしていた少年たちだ。相変わらず、小競り合いというか、言い争いをしている。

 ふん、と、年上の方が鼻を鳴らした。


「だいたいなんだよ、そのシャツは。穴が開いてるじゃないか。身だしなみは大切だぞ」

「身だしなみなら完璧だ。このシャツは洗ったばかりだ」

「ほつれたシャツを着ているくせに。後で俺の部屋へ来い。小さくなったシャツをくれてやる」

「くれてやる? 小さくなったシャツだぁ?」

年少の方が激怒した。

「お前のお下がりなんか、死んでも受け取らないぞ!」

「ふん。ジョルジュだっけ? 君の兄に聞いたぞ? 貧乏なんだろ? だったら、素直に貰っとけ、このチビ」

「チビだと? つか、ビンボー? お前にだけは言われたくない!」

「なんだと!?」


「やるか?」

「やる」


 前後して歩いていた二人は立ち止まった。

 向かい合い、暫く睨み合った後、ほぼ同時に、相手に飛び掛かった。


 とはいえ、この年代の2歳差は大きい。年長の方が頭一つ、身長が高かった。有利な対格差を利用して、あっという間に、彼がチビと呼んでいたところの少年を、押し倒し、体の上にのしかかった。


「ほうら見ろ。人の親切を素直に受け取れないやつは、ろくな目に遭わねえんだよ」

「俺の上に乗るな!」

「悔しかった落としてみろ」

「くそう。兄さんにだって乗られたことなんかないのに!」


 年少の少年は真っ赤になって怒っている。悔しさの余り、涙目になっていた。

 余裕で、上の少年は馬乗りの体勢になった。


「ジョルジュは軟弱だからな」

「兄さんの悪口を言うな!」


 めくらめっぽう暴れ出す。

 出鱈目に蹴り上げた足が、上の少年の背中を蹴り上げた。


「痛っ!」

「俺の上から降りろ!」

「やだね!」


劣勢をすぐに立て直し、お返しとばかり、肩を抑えつけた。

「うう、う……」

赤い顔がますます赤くなる。


「じゃ、謝るか? 俺の好意を素直に受け取れ」

「死んでも謝るもんか!」

「強情だなあ。そんなボロいシャツじゃ寒いだろうに。ほら。こんなところにも穴が……」


 言いながら、左胸に空いた穴に指を突っ込む。


「あ……」

「?」


 下の少年の声が変わった。反射的に、上の少年の指が動いた。

 怒った顔のまま、下の少年の顔の赤みが、どんどん増していく。


 頬を紅潮させ、潤んだ瞳の少年を、年上の少年は、かわいいと思った。

 思った時には、もう、口づけていた。


 意外なことに、下の少年も同じ気持ちだったようだ。もたげた顔が勢いよくぶつかり、歯と歯が触れ合った。


 幼いキスは、お世辞にも上出来とは言えなかった。

 気持ちを伝えあうには、あまりに稚拙で、不器用だった。ただ、情熱だけがぶつかり合ったに過ぎない。


 その上、興奮と体を動かした影響で、二人とも息が上がってしまっていた。すぐに苦しくなり、舌を絡め合う暇もなく、口を離してしまった。

 どちらにとっても、初めてのキスだったのだ。


「こんな風にしていたら、シャツの穴が大きくなる一方だ」

 上の少年が、下の少年の耳元で囁いた。

「脱がしていいか?」

「や……やだ」

 そう答える声は上擦り、目は涙ぐんでいた。

「本当に?」

優しい声で問いかける。

「やだ……」

どちらかというとそれは、肯定の合図だった。


 上の少年は、すっかり穴の広がったシャツを脱がし……

 ……。



「……」

「……」

「……」


 3人の海軍将校は黙り込んでしまった。


 「控えめに言って、エドガルド、お前、クズだな」

最初にずけずけと言い放ったのは、国際スパイ出身のビスコだった。

「いや、完全に合意の上だったぞ」

大変な名誉棄損だ。俺は即座に言い返す。

「だって、2つ違いだろう? 体格差が大きすぎる。押さえつけられたら抗えまいよ」


 ルグランが参戦する。

 だがこれは名誉の問題だ、こっちだって、負けるわけにはいかない。


「そんなことないさ。力は加減していた。君らはあの場にいなかったからそんなことを言うが、ルグラン、あれは完全に、誘う目だったぞ。熱っぽく潤んでいて……。第一、俺は、合意もないのに同窓生を襲うほど色情狂じゃない。君にはわかるだろ、ラビック」


唯一の味方と思われる副官に、俺は助けを求めた。


「ええ。大佐は、相手が嫌がるような真似は、決してしません。それは信じます」

 いついかなる時も忠実なラビックは、頼もしく頷いた。

「けれど、貴方の下半身は大層緩いですから……」

「ひどいなあ」


 俺は憤慨したが、ビスコとルグランは、揃って頷きやがった。


 「それにしても、なぜエドガルドは、オーディン・マークスと再会したことを忘れてしまったんだろう」


 ルグランが首を傾げる。

 三人の話では、オーディン・マークスに会いに行った俺は、時間通りにユートパクス陣営から帰ってきたそうだ。その時の様子は、ごく普通だったという。心配して待っていたラルフへも、伝言は伝えた、と簡潔に報告しただけだったらしい。


「戦場での再会がショックだったとか?」

ビスコが推測する。

「元彼? と、敵味方になってしまったわけですしね。」

ヘンな所で自信なさげに語尾を上げ、ラビックが続けた。

「まさか」


 オーディン・マークスが敵方の総司令官であることは、最初から分かっていたことだ。

 第一その頃俺には、ラルフがいたのだし。未だ体の関係はなかったが。

 ビスコが首を傾げた。


「君は、ユートパクスが不利な状況にあることを、オーディンに知らせに行ったんだよな」

「うん」


 そのはずだ。

 当時、ウィスタリア帝国が、勢力を持ち直していた。軍を立て直し、ウィスタリアは、再びユートパクスに宣戦布告した。


 それだけではない。ユートパクスの侵略を警戒した北の大陸ツアルーシと、それから、オーディンのザイード遠征で警戒感を高めたタルキア帝国までもが同盟を結び、ユートパクスに敵対した。

 戦争が始まると、ユートパクスは負けが続いた。ソンブル大陸への遠征前にオーディン・マークスが勝ち取った領土のほぼ全てを失いかねない勢いだった。


 そうした事実を、ラルフはオーディンに伝えたかったはずだ。

 祖国の危機を知れば、きっとオーディンは、帰国の途につく。海を渡って、ユートパクスに帰ろうとするだろう。


 それは、ラルフの罠だった。

 武器も戦艦も手薄な状態での渡航は、アンゲル艦の敵ではない。そして元海賊のラルフにとって、海上での敵船拿捕は、お手のものだ。


 けれど、オーディンを拿捕する計画は失敗した。

 俺のせいで。

 ラルフのやつ、俺を、ユートパクス艦から救ったりしたからだ。


 「士官学校の話だけど、」

国際スパイのビスコが首を傾げている。

「君とオーディン少年の間には、憎しみが生まれる素地はなかった気がするが。君の話を信じれば、だがな、エドガルド」

「嘘は吐いていない」


俺は、亡命貴族時代の友人と、リオン号の仲間は、決して欺かない。


「君は、ペンを貸したり、お古のシャツを上げたり、なにくれとなく、オーディン少年の世話をしてあげたんだろ?」

「うん。あいつは学年で一番幼くて、その上、兄のジョルジュが一足違いで卒業しちまったからな。クルスの地方貴族の息子だから、あいつ、方言がきつくて、それをネタによくいじめられていた。体が小さいのに、見ていられなかった」

「昔から優しかったんですね、大佐」


と、ラビックが口を挟む。さすがに照れ臭い。


「そうでもないさ」

「それなのに、なぜ、今の君は、そんなにオーディンを憎んでいるんだ?」

「……え?」


 ビスコに指摘され、初めて気がついた。

 そうだ。

 俺はオーディンを憎んでいる。

 その残虐さ。冷酷さ。

 ジウに転生してからは、オーディン・マークスを殺すことが、俺の目標だった。


「だって、憎まれて当然の男だろう? あいつは降伏したタルキア兵を無情にも皆殺しにし、味方に対しても、傷ついた者を置き去りにした挙句、病気の兵士に毒を渡し……」

「アンゲル軍がその事実を知ったのは、エイクレ戦が収束してからだ。前世の君は知らなかったはずだ、エドガルド」


 オーディンの非道を、俺は、オットル族の長老の息子から聞いたんだった……。(*1)

 けれどそれ以前、ジウとして意識が回復した瞬間から、俺はオーディンを憎んでいた……。


「思い出せ、エドガルド。君がオーディンを憎み始めたそのきっかけは何なんだ?」

「きっかけ?」

「君は、オーディン少年を憎からず思っていたはずだ。だからゲスい手段を使って、彼を手に入れた。違うか?」

「ゲスいはあんまりだと思うが……」


 あの時の本心はどうだったろう。

 自信はないが、ビスコの言うことは、間違っていない気がする。


「士官学校を卒業してからは、君とオーディンは、会うことがなかったと君は言った」

「俺は王党派で、あいつは革命軍に残ったからな」

「じゃ、君は、いつから彼を憎むようになった?」

「……」


 考えたこともなかった。


 。《初めて会った士官学校時代から、ずっと》……。


 今、ビスコに指摘され、初めて気がついた。士官学校で俺は、幼いオーディンに惹かれていたのだ。だから、しきりと彼にちょっかいを出し、ウザがられていた。

 そしてとうとう、彼を手に入れた。多少強引なやり方だったかもしれないが。


 だが、ある時点を境に、彼を憎み始めたはずだ。

 だから、ジウの体に転生した時、真っ先にオーディンへの憎しみを蘇らせた。オーディンが信頼しているという理由だけで、彼の部下シャルワーヌを殺そうと思いたった……。


 それは、いつからなのだ?

 何がきっかけで、そこまでオーディンを憎み始めたのか。


 士官学校時代ではないとしたら、卒業後は、彼との接点は一回しかない。

 ラルフの大使として、ユートパクス軍陣営を訪れた時だ。エイクレ戦の最中、総司令官オーディン・マークスに会いに行った時。

 そして俺は、その時のことを何も覚えていない。


「オーディンが君を憎むのならわかる」

ルグランが言い、ビスコも頷いた。

「?」


 俺にはさっぱりわからない。

 今まで俺は、単純に、自分がオーディンを憎むのと同じ理由で、オーディンも俺を憎んでいるのだと、思っていた。

 けれど言われてみれば、自分が彼を憎み始めたきっかけがわからないのと同じように、彼が俺を憎む理由もわからなくなってしまった。


「ルグラン、ビスコ。君らにはわかるのか? あいつが俺を憎む理由が?」

「……」

「……」


 ビスコとルビックは黙り込んでしまった。

 二人の傍らで、ラビックが考え深げに首を横に振っている。


「それにしても、衝撃ですよね。あのオーディン・マークスが、常勝将軍、今では独裁者でもある彼が、……だったとは」


「まさにそれだよ。彼がエドガルドを憎む理由は」

ビスコが言った。







________________

*1

Ⅰ章「キャラバン隊の到着」

https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654/episodes/16817330666092153379


*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*


※うぐぐ。危ないところだった。オーディンもエドガルドも未成年でした。コンプラ重視!

 エドガルドとオーディンの、士官学校時代のあれこれです。


(今はどうしても、カクヨムさんに載せ直す時間が取れません。アルファポリスさん、なろうさんに上がっていますので、とりあえず、そちらのリンクを貼っておきます。もしよろしかったら)



「俺の上に乗るな! 兄さんにさえ許したことはないんだぞ」


 https://ncode.syosetu.com/n4966id/


 https://www.alphapolis.co.jp/novel/268109487/745728667






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