恋人たちの毒


 シャルワーヌは、懸命に自分を落ち着かせようとしていた。


 「ひとつずつ、片付けよう。まずは君だ、ペリエルク」

 やがて彼は、傍らの同僚に顔を向けた。断固とした口調だったが、どこか納得していないトーンを含んでいる。

「上ザイードに来た時、君は俺のワインに毒を入れたのか? そしてそれを、ジウ王子が飲んだと?」


「毒ではないと言ったろ。まだその時点では!」


 再び不可解なことをペリエルクが口走る。

 彼は細かく震えていた。その様子は自分の罪を認めたことを雄弁に物語っていた。


「なぜそんなことを!」

「オーディン・マークスの命令だったのだ」

「どういうことだ!」

 我を忘れたような大きな声で問い詰める。

「俺にもわからん。だが、シャルワーヌ、君は、オーディンの召喚に応じなかったろう?」


 意外なことをペリエルクが蒸し返す。確かに、シャルワーヌはオーディン・マークスから来るように言われた戦争に参戦しなかったことがある。

 むっとしたようにシャルワーヌが言い返す。


「ダミヤン戦は、召喚命令が遅れたのだ。俺は戦場に行った。だが戦いは終わっていた。オーディン総司令官の完璧な勝利で!」

「その前だよ」

「その前……ああ、首都騒乱の時か。だがあれは、わずか2日かで鎮圧されたではないか。いずれにしろ俺はその時、ルビン河の上流にいた。とんでもない未開の地で、伝令は到達することができなかった」

「だが君は、首都へ来なかった。何があろうと、上官の命令は絶対だ」

「俺は、敬愛するマークス将軍の命令に逆らったことは一度もない!」


 激した声が抗議した。

 ペリエルクの目に感情が宿ったような気がした。不可解な、あえていうなら、憐みの色だ。


「だが、オーディン・マークスはそうは思わなかった。その上君は、兵士達に絶大な人気がある。オーディンの首都統治は失敗したが、上ザイードの民は君を信頼している。彼にとって君は危険人物だった」

「……」


 シャルワーヌの顔が引き攣れたように見えた。俺とラルフも、息をするのも忘れそうだ。

 オーディンは、シャルワーヌの人気が自分より高く、その統治が成功していることを危険視していた? シャルワーヌを自分への脅威だと見做していたと? 

 信じられない。彼は総司令官への忠誠厚い、忠実な部下ではないか。その上才能があり、頼もしい……。


 「君の忠誠に免じ、オーディンは。だが、とてもできそうにないと俺に告白した。目の前で君が、血の気を失い、冷たいむくろとなっていくことが耐えられないのだ、と」


 やっぱりオーディンはシャルワーヌを愛していたのだと、俺は苦い気持ちで考えた。苦い気持ち……つまり、恋敵だと名指しされて不愉快だったからだ。オーディンの恋敵は、ジウ王子だったのだけれど。

 愛しているにもかかわらず、オーディンはシャルワーヌを殺そうとした? 総司令官というものは、そうまでして軍を掌握したいのか。

 ゆっくりと、ペリエルクは続けた。


「それで俺は、首都マワジの後宮に伝わる『恋人たちの毒』を使うことを提案した」


「恋人たちの毒だって!?」

ラルフが素っ頓狂な声を上げた。

「幻の毒と言われている、あれか?」


 ペリエルクが頷く。

「そうだ。『恋人たちの毒』は、ふたつある。一つは白い粉末で、もうひとつは無味無臭の、水のような液体だ。このふたつは、どちらか片方摂取しただけでは、害をなさない。液体だけを先に飲んだ場合も無害だ。だがもし、先に粉末を服用し、その後、液体を飲んだのなら、その者は死に至る」


「粉末は、体外に排出されるまでに数ヶ月かかると聞いた」

せかせかとラルフが付け加える。

「そうだ。粉末を服用した者が、期限内に液体を飲んだ場合、数日後にその者は死ぬ」

「数日後? 第2の毒を飲んでから効果が出るまでに、時間がかかるのだな」

「『恋人たちの毒』は、遅効性の毒だからな。恋とは、じわじわ効いてくるものだ」


ペリエルクが答えると、ラルフは鼻で笑った。


「きれいごとを言う。どうせ、誰の仕業かわからないように隠蔽するためだろう? 死ぬまでに何日かかかったら、犯人はとっくに逃げおおせているだろうし、第一、いつどこで毒を盛られたか、おいそれとわかりゃしない」


 ペリエルクは肩を竦めた。

「そういうことだ。大切なのは、粉末と液体、両方が揃わないと効力を発揮しないということだ。ただし、先に粉末、後から液体。服用の順番は守られなければならない」

「粉末の毒を、君は私に飲ませに、上ザイードまで来たのか?」


 シャルワーヌが問い、無言でペリエルクは頷いた。


「そういえば、首都マワジへ来いという、マークス将軍の言付けを伝えたのも、ペリエルク、君だった」

「そういう計画だったのだ。上ザイードで私が粉末を飲ませ、マワジへ呼び寄せた君に、オーディンが液体を飲ませる。あの男は、自らの手で君を殺したがっていた。だが君が死ぬのは、マワジを出、上ザイードに戻る途中であろうから、彼は君の屍に対面することはない」

「全ては周到に仕組まれた罠だったというのか?」


 シャルワーヌはいまひとつ、信じているようではなかった。彼は、オーディンに疑惑を抱くことができないでいる。

 そんな彼を、ペリエルクが憐れむような眼差しで見つめている。


「まずは、私が君に粉末を飲ませねばならない。上ザイードの司令部で、私は、君のグラスに粉末を混入した。総司令官オーディンからのである、血のように赤いワインに。しかしそのグラスを、この少年、ジウ王子に奪われてしまった」


 ……「総司令官とユートパクス軍の繁栄を祈って」

 ジウは一気にそれを飲みほした……。


 シャルワーヌ、ペリエルク、そしてラルフの三人が、一斉に俺を見た。


「滅多に物をねだらない君が、……変だと思ったのだ。君は毒入りと知っていて、ワインをねだったのか?」


 シャルワーヌが尋ねる。その声は掠れていた。ペリエルクが視線をそらせた。横から鋭い視線を感じる。ラルフがまっすぐに俺を見ている。ジウが自分の命を懸けて、シャルワーヌを庇ったことが気に入らないのだ。


「いいえ」


 ジウが何を考えていたのかわからない。だが、毒入りとわかっていて飲み干したりはしないだろう。少なくともエドガルドなら、そんな無茶はしない。

 俺の気持ちは伝わったようだ。ラルフの全身から力が抜けた。

 すぐに、憤懣やるかたないといった風に尋ねる。


「それならなぜジウ王子は意識を失い、長期間に亙って回復しなかったのだ? 彼は粉末しか摂取していなかったのだろう?」

「結果的にこの子は回復した。死んだわけじゃない。長期間意識が戻らなかった件については、さっきも言ったろ? 恐らく体質が虚弱だからだ。たとえ毒性はなくても、異物の摂取に、体が耐えられなかったのだろう」


 耐えられなかったのは、ジウの体ではない。彼の魂だ。

 そのことに気がつき、俺の身内が震えた。

 なんてことだ。

 エドガルドと同じように。


 深いため息を、ペリエルクはついた。

「計画は失敗したと、早急に総司令官に報告する必要があった。けれど、途中、河の増水で首都へ帰るのが遅れた。ようやくマワジに辿り着いてみると、俺の後から上ザイードを立った筈の君は、既に帰路についた後だった」


 オーディン・マークスの召喚で首都に向かったシャルワーヌは、水路を取らなかった。馬で出かけた彼は、河の増水で足止めされたペリエルクより、遥かに早く首都に到着したのだ。※


「シャルワーヌ将軍をマワジに呼び出し、オーディン・マークスは、液体毒を飲ませたのか?」


 尋ねたのはラルフだった。

 シャルワーヌは粉末毒を摂取していない。しかし、オーディンはまだ、そのことを知らない。もしオーディンが液体毒を飲ませたのだとしたら、彼はシャルワーヌを殺すつもりだったということになる。


 そもそもシャルワーヌの毒殺は、オーディンの立てた計画だ。彼は、ペリエルクが粉末を飲ませたと信じ込んでいる。だがこの時点で、オーディンにはまだ、という救済措置が残されている。


 自分は彼の死を見守れないと言ったというオーディン・マークス。彼は自らの手で、シャルワーヌに第二の毒薬を与えたのだろうか。


 シャルワーヌが身をこわばらせ、ペリエルクが答えるのを待っている。


「これが君の慰めになるかどうかわからないが……」

 石のように固まっている彼を見つめ、ペリエルクは続けた。

「ようやくマワジに到着すると、オーディン・マークスは、半狂乱になっていた。しかし私の報告を聞くと、みるみる落ち着いていった」


 つまり、オーディンはシャルワーヌに毒を飲ませた、ということだ。


 がたんと大きな音がした。

 椅子を倒し、シャルワーヌが立ち上がった。

 蒼白な顔のまま、彼は部屋を出て行った。








________________


※オーディンのシャルワーヌ召喚は、Ⅰ章「砂漠のランデブー」の頃です

https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654/episodes/16817330665836265108

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