重い緞帳
*ジウ(エドガルド)視点に戻ります。
途中までは、上ザイードで彼が倒れる直前の回想です
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……。
「いかがです、将軍。上ザイードは裕福だと聞いていますが、このような極上のワインはないでしょう? これは、ユートパクスから運んできたワインです。総司令官が特別に下賜されたのです」
ジウは目を瞠った。
真っ赤なワインをグラスに注ぐ手。その長い指と指の間から、白い粉末がはらはらとグラスに落ちていく。
ジウにしか、見えなかった。
テーブルには、もう一人いた。上ザイード総督のシャルワーヌ・ユベールだ。ワインは彼に供されようとしていた。グラスに白い粉末が落とされる様子は、シャルワーヌからは死角になっていた。
……このペリエルクという人は、軍人ではない。オーディン・マークスの信頼の厚い民間人だ。ことを荒立ててはいけない。シャルワーヌ総督は総司令官に絶対服従を誓っている。
「そのワインは僕が頂きましょう」
ジウは言った。
「プリンス、貴方が?」
ペリエルクは眉を寄せた。
「ええ。いけませんか?」
「しかし……」
「いいではないか」
シャルワーヌが口を出す。
「ジウ王子は大切な預かり人だ。彼には随分不自由な思いをさせている。ワインの一杯や二杯、喜んで差し上げよう。それでなくても、彼が自分から何かを欲しがるのは珍しいのだ」
「だがこれは、
「そういう贅沢品は、たいてい、軍の病院へ回すことにしている。ただでさえワインは、病人や怪我人には励みになる。ましてや総司令官からの贈り物とあらば、なおさらだ」
「貴方への贈り物です、」
「総司令官とユートパクス軍の繁栄を祈って」
二人の言い争いに終止符を打つべく、ジウはグラスを高々と持ち上げた。喉をくいと傾け、一息に飲み干す。
彼が突然の病に倒れたのは、数日後のことだった。
……。
突然蘇ったジウの記憶。
それの意味するところは紛れもなかった。
マワジから突然やって来たペリエルクは、上ザイードの総督シャルワーヌに、毒を飲ませようとした……。
「シャルワーヌ将軍! それを飲んではダメだ!」
ペリエルクがシャルワーヌの前に紅茶茶碗を置く。その仕草にぞっとした俺は、咄嗟に重い緞帳を持ち上げ、続きの間から飛び出してしまった。奥でじっとしていると、ラルフと約束したにも関わらず。
「ジウ王子!」
緞帳を割って現れた俺に、シャルワーヌは、ぽかんとした。
その手から、紅茶茶碗を叩き落とした。
「ああ、それ……。高かったんだぞ」
粉々になった茶器を見て、ラルフが嘆く。
はっと、我に返った。
……ここはリオン号の中。
……今回は、ペリエルクは毒を入れてなんかいない。
それどころか、今、シャルワーヌにもしものことがあれば、彼は敵の中でたった一人になってしまう。
あれは、過去の幻影。ジウ王子が見た情景だ。
「ペリエルク。上ザイードで貴方はワインに毒を入れた。オーディン・マークスが贈ったという血のように赤いワインに。そしてそれをシャルワーヌ将軍に勧めた。だが、ワインを飲んだのは僕だ。その後、僕は意識を失った」
「君が意識を失ったことは知っている。だがあれは毒ではなかった。少なくともあの時点では」
「どういうことだ?」
鋭い質疑が入る。シャルワーヌだ。だが、ペリエルクは首を横に振るばかりだ。
「知らない。この子の体質が虚弱だからだろう」
わけがわからない。
「ペリエルクに関する記憶を思い出したのか?」
ラルフの問い掛けに、俺は大きく頷いた。
シャルワーヌの目がラルフに向けられた。その表情が険悪に歪む。凄い勢いで俺に向き直り、彼は堰を切ったように喚き始めた。
「ジウ王子、なぜここに? 君は突然、上ザイードからいなくなって……イサク・ベルとの戦いで俺は勝利したというのに! 君に報告しようと急いで帰って来た。なのに君はいなかった。いったいどうして……さては!」
濃い色の髪に覆われた頭を振り立てる。燃えるような怒りを滾らせて、アンゲル海軍将校を睨みつけた。
「貴殿がさらったのだな?」
「ち、ちがうよ……」
慌てて否定したが、シャルワーヌの耳には全く届いていないようだ。
「
「いや、私は何も奪ってはいませんが」
落ち着き払ってラルフが答える。どちらかというと、彼は面白がっているように見えた。口の端に余裕の笑みを浮かべている。
「私は、あなたのハーレムの女性達にも手をつけませんでしたからね」
「え、そうなの?」
ラルフのことだから、そこは仕方がないと思っていたのだが。
負けじとシャルワーヌが叫ぶ。
「俺だって彼女らには手を出していない!」
「うそ……」
こんな時だが、唖然とするしかない。言うに事欠いて、この男……。
「嘘なものか。あのな。ソンブル大陸では、ハーレムは身寄りのない女性たちの避難所なんだ。男はいい。軍に入れば砂漠の敵から保護され、相応の生活ができる。だが、女性はそうはいかない。だから俺はハーレムを作った」
ラルフが鼻を鳴らした。
「でも彼女たちの前で裸になるんでしょ? ハーレムの召使から聞きましたよ」
「入浴を手伝ってもらっていただけだ!」
「……」
あまりのことに絶句した。
俺の今までの怒りや苛立ちはどうなるんだ? この男、散々人を苦しめて……。
ん? 何だ、この感情は。ジウのものではないようだが。
ああ、そうだった。女性を貶める革命軍の将軍に対する怒りだ。
「とにかく私は、貴方のジウ王子をさらってなんかいませんから」
相変わらず冷静に、しかし僅かに笑いを含ませ、ラルフが言い渡している。
「ではなぜ、彼がここにいるのだ!?」
シャルワーヌは譲らない。
「自分で来たんだ。ルビン河を下って」
ラルフが答える前に俺は伝えた。だって、本当のことだ。
「ジウ! この期に及んで、君は、この男を庇おうと……」
呼び捨てにされた。
シャルワーヌの目に険悪な光が宿っている。思わず身の危険を感じた。俺だけじゃない。ラルフも危ないかもしれない。
「なんだなんだ。仲間割れか?」
揶揄するような声が割って入った。タルキアの大使だ。
紅茶茶碗を手に持ったまま、にやにや笑っている。
「内輪の話だ。済まないが、席を外してくれないか」
吐き捨てるようにシャルワーヌが告げると、タルキアの二人は顔を見合わせた。
「麗人には相応の敬意を払うべきでは?」
ラルフが俺を指し示す。
麗人はさておき、形の上では、俺はウテナの王子だ。しぶしぶと、二人は部屋を出ていった。
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