エ=アリュ講和条約


 リオン号に、タルキアの大使達がやってきた。

 翌日、タルキア国境に接したザイードの軍港、エ=アリュ港で、リオン号は、ユートパクス側の2名の大使を乗船させた。

 洋上のリオン号で話し合いが始まった。



 交渉のテーブルについているのは、タルキア側からは2名の大使、外務大臣フェンデと経済担当のターダ。

 ユートパクス側からは、市民ペリエルクとシャルワーヌ・ユベール将軍。

 そして、仲介役のアンゲル海軍将校、ラルフ・リールの5名だ。


 「ウテナ島の封鎖を解除して欲しい」


 開口一番、シャルワーヌが要求した。断固とした口調だ。

 ザイードへ来る前、ユートパクス軍はこの小さな島に上陸し、ここを占領、王子を人質にした。


 しかしウテナが浮かぶメドレオン海は、アンゲル国海軍の支配下にある。すぐにアップトック提督はウテナを封鎖した。例の、ラルフとそりの合わない上官だ。

 これにより、ウテナを占領していたユートパクス軍は、島から出ることも、補給物資を運びこむこともできなくなった。


「封鎖解除? それはできませんね」

 腕を組んで、ラルフは答えた。

「なぜ、」


 意気込むシャルワーヌの腕を、ペリエルクが抑えつけた。どうやら交渉は自分に任せろと言っているようだ。

 ペリエルク。

 その名を聞き、エドガルドというよりジウ王子が、激烈な反応を起こした男だ。小柄で俊敏そうだ。目は窪んでおり、計算高そうな印象を与える。


 軍人ではないこの男は、オーディン・マークスにつけられた、革命政府からの派遣議員だった。軍の内情を探り、叛意ありとあらば即、中央政府に報告するのが本来の仕事だ。しかし、長い間オーディン・マークスの下にいるうちに、今ではすっかり、彼に心酔してしまったと聞く。


 「アンゲル軍に海を封鎖されて、本国から物資が届かず、わが軍は、食べる物にも不自由している状況だ。ネズミを捕えて食べているとも伝わっている」

 シャルワーヌを黙らせ、ペリエルクは訴えた。

「ウテナ王や民も、飢えておられる筈だ」

 腕から同僚の手を跳ねのけ、シャルワーヌが主張する。


 ……おや。シャルワーヌ将軍は、ウテナのことを心配しているぞ?

 さてはジウ王子に同情しているのかと、ラルフは考えた。あくまでジウ王子だ。エドガルドではない。


「その点はご心配ありませんよ」


 彼は、余裕で答えた。

 実は、タルキア皇帝の許可を得て、アンゲル軍はウテナへ向けて、密かに気球を飛ばしていた。気球は、地元の住民しか行かない密林に、食べ物他、必要物資を落とす。

 エドガルドの発案だった。元砲兵にふさわしい、大胆な案だ。同時に、ウテナ王子ジウらしい、心のこもった配慮だった。


 「ウテナ王と、民の安全は保障するのだな」

シャルワーヌはしつこかった。仕方なくラルフは頷く。

「そこはお任せください。アンゲル国王は人道支援に最大限配慮する偉大な君主です。陛下の僕としてわがアンゲル軍は、ウテナ王やその民を危険に晒すような真似は決して致しません」


 エイクレ要塞の攻防戦を初め、ユートパクス軍との戦いで、ラルフは、敵味方を問わず、負傷者の保護に尽力してきた。このことは、ユートパクス軍のワイズ総司令官も高く評価している。

 どうやらシャルワーヌも、ワイズ総司令官からその話を聞かされていたらしい。しぶしぶ、彼は頷いた。


 さらにラルフは続けた。

「私は代将コモドールです。メドレオン海域の封鎖については、何の権限もありません。ここでウテナの封鎖について話し合うのは、時間の無駄です」


 小さな舌打ちが聞こえた。ペリエルクかシャルワーヌか、あるいは両方か。

 タルキアの大使がほくそ笑んでいる。アンゲルは、同盟国だ。彼らは、ラルフが自分たちの味方になってくれることを信じて疑わなかった。


 ラルフは、ユートパクス軍の名誉ある撤退を提案した。既に総司令官のワイズ将軍からは、賛成の書簡が届いている。彼は一刻も早いソンブル大陸からの撤退を望んでいた。

 ユートパクス軍の「名誉ある撤退」について、ラルフは事前にタルキアの大宰相に根回ししていた。


 ユートパクスの大使……主としてペリエルクだ。シャルワーヌは腕を組んで黙り込んでいた……とタルキアの大使の間で、幾つかの確認がなされた。間もなくリオン号の船上において、両国の講和と、ユートパクス軍の「名誉ある撤退」についての合意がなされた。


 ほっと、ラルフは安堵のため息を吐いた。



 「あんなに急いで帰国して、オーディン・マークスは一体、どうするつもりだろう」

 大枠が決まり、余談が始まると、タルキアの大使が首を傾げた。

「いずれにしろ、ろくなことではないな」

もう一人の大使が煙管から丸い煙を噴き出す。

「もちろん、政権を握るのが目的でしょう」

 ラルフが口を出す。彼は、ユートパクスの最新の新聞を手に入れていた。

「首都のシテで、彼はクーデターを起こしました。政府が、自らを守る『剣の楯』として雇った男が、その政府に取って代わったのです」


 しん、と全員が静まり返った。


 「彼は、独裁者になるだろう」

 沈黙を破ったのは、ユートパクスのペリエルクだった。


 おや。

 ラルフは首を傾げた。

 ペリエルクというこの男は、戦争で勝ち続けるオーディン・マークスを、殆ど崇拝していると聞いていた。だが、そういうわけでもなさそうだ。


「クーデターを起こす為に、彼は、軍を置き去りにして帰国してしまった」

 憤懣やるかたないといった風にペリエルクは吐き出した。


 なるほど、ペリエルクは、オーディンに置いてけぼりを喰らい、腹を立てているのだな、と、ラルフは理解した。この分では、ワイズ新司令官を始め、軍の大半は、オーディンに怒りを抱いているだろう。

 これは、使える。


 「オーディンの軍は、降伏したわが軍を皆殺しにしたことを忘れて貰っては困る」

断固とした調子でタルキア大使が捻じ込む。


 事実だ。エイクレ要塞に進軍する前、ジャファ要塞で、オーディンはタルキア人兵士を皆殺しにした。人数が多すぎて監視することも、連れて行くこともできないという理由で。


「あれは非道な行いだった」

 タルキア大使に認めてから、ペリエルクは、シャルワーヌに向き直った。会談冒頭でウテナ王と民の安全を要求して以来、彼は全く、口をきいていない。気配を消し、まるで存在していないかのようだった。

「タルキア兵に対してだけじゃない。オーディンは、味方の兵士に対しても、信じられない暴挙を働いた。シャルワーヌ将軍、君は上ザイードにいたから、直接は知らないだろう、だが、疫病に罹った兵士らに、毒薬を渡した件は、ワイズ将軍や戦友たちから、話を聞いているだろう?」


「私の将軍の悪口を言うな!」

 静かだったシャルワーヌが突然、激しい反応を起こした。色の悪い顔がさらに青ざめている。

「彼には、何か事情があったはずだ」


「どのような事情があろうと、麾下の兵士に毒を渡すなど、犯罪も同然、」

「降伏した軍を皆殺しというのも、許しがたい犯罪だ!」

ペリエルクとトルコ大使が同時に反論する。


 敵味方、双方から突っ込まれ、ぐっと、シャルワーヌは感情を呑みこんだ。必死で冷静な声を出そうと努力している。


 「君はマークス将軍が独裁者になると言ったが、ペリエルク。俺はそうは思わない。それから、リール代将コモドール・リール、彼が起こしたのはクーデターなどではない」

「じゃ、何だというんです?」

落ち着き払ってラルフは問う。

「何か、偉大なことだよ。凡人にはわからない、とんでもなく偉大な事業だ」


 あくまでシャルワーヌは、前総司令官に忠誠を誓おうとしている。思わずラルフは、続き部屋に目をやった。部屋との堺にはタルキアの豪華な緞帳が掛けられている。

 重い織物が、幽かに揺れた気がした。


「少し落ち着きませんか?」

 船のホストとしてラルフは、場を治める必要を感じた。


 ただでさえ、タルキアの大使達は、講和の決裂を望んでいる。たった今、講和とユートパクスの名誉ある撤退を認めたばかりだが、それはあくまで上からの指示に従っただけのことだ。本当は彼らは戦いたいのだ。豊かなザイードを奪い、タルキアの領土に攻め入ったユートパクス軍に、制裁を加えたがっている。それには、エイクレ要塞で勝利し、さらにオーディン・マークスが勝手に帰国してしまった今が、絶好のチャンスなのだ。


 この会談でタルキアの大使らがおとなしくしているのは、タルキア皇帝を通し、大使らの上司である大宰相にラルフが根回ししておいたからにすぎない。


「どうです、みなさん、紅茶でもお飲みになったら」


 アンゲル人は紅茶が好きだ。たとえ激戦の町でも、戦車の中であっても紅茶を飲む。

 テーブルの上には、茶器が用意してあった。


 既にタルキア大使達の前には、彼らの好みで、牛乳で煮出し、シナモンスティックを添えた紅茶が出されている。二人の大使は砂糖壺を引き寄せ、濃い熱々のミルクティーに大量の砂糖を加え始めた。

 その様子を横目で見ながら、ラルフは、ユートパクスの大使達の前に置かれたティーポットに手を伸ばした。ホストらしく注いでやろうとする。


「私が」

彼を制し、ペリエルクがポットを持ち上げた。


 紅茶を淹れるという行為は、精神を落ち着かせるのに効果がある。ユートパクスの大使二人を落ち着かせようと、ラルフは手を引っ込めた。


 ペリエルクはゆっくりとポットから3つのカップへ紅茶を注ぎ、そのうちのひとつをラルフに渡した。さらにもうひとつを、シャルワーヌの前に置く。

 軽く目礼し、シャルワーヌはソーサーからカップを持ち上げた。繊細な縁取りにを施したカップに口をつけようとした、その時。


「飲んだらだめだ!」

 重厚な緞帳が開き、誰かが部屋に駆け込んできた。








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