埋もれ木に花咲く

三鹿ショート

埋もれ木に花咲く

 隣人の呼吸まで聞こえてきそうなほどに古い集合住宅に存在する私の部屋を訪れてきたのは、見知らぬ女性だった。

 相手が発した言葉を、私は信ずることができなかった。

 何故なら、眼前の女性がこれまで手がけてきた作品たちは、いずれも高い評価を得ているために、私のような人間がかつて生み出したものを原作として使いたいと頭を下げてくるわけがないと考えたからだ。

 私の作品を使ったところで恥をかくだけだと告げると、女性は首を横に振った。

「私の目に、狂いはありません。必ず、成功させてみせましょう」

 女性の目は、何の疑いも抱いていなかった。

 そのような自信を抱き続けていれば、私は燻っていなかったかもしれない。


***


 女性が発表した作品は、その言葉通り、成功を収めた。

 それと同時に、私には再び陽の光が当たるようになった。

 その状況は、学生時代に名誉のある賞を手にしたときと同じようなものだった。

 だが、私が浮かれることはなかった。

 この騒ぎが、やがて静かになることを知っているからだ。

 そして、再び私は世間に忘却されてしまうのである。

 だからこそ、なるべく目立つことがないような行動を心がけていたのだが、それすらも庶民的などといったように、好意的に捉えられてしまった。

 そのような評価をされていくうちに、私は怒りを抱くようになった。

 まるで、私は玩具のようではないか。

 話題となるうちは持ち上げるだけ持ち上げ、やがて飽きると、視線を向けることもなくなる。

 かつて経験したものを、何故再び経験しなければならないのか。

 しかし、私がどのような感情を抱いたとしても、他者の行動を止めることはできない。

 何らかの悪事を働けば、己の手によって評価を覆すこともできるだろう。

 だが、私の安息のために他者を傷つけることに対しては、抵抗を覚えた。

 ゆえに、私は自宅から出ることを止めた。

 幸いにも、女性の作品によって得られた金銭のおかげで、働く必要がなくなっていた。

 その点においては、女性に感謝するべきだろう。


***


 ある日、同僚が私の部屋を訪ねてきた。

 私が突然職場に現われなくなったことを心配したらしいが、彼女は私のことを知らないのだろうか。

 働く必要がなくなった理由を説明すると、彼女は苦笑した。

 いわく、彼女は娯楽に興味が無いらしい。

 ゆえに、私が職場に姿を見せることがなくなった理由について、精神的な不調なのではないかと考えてしまったようだ。

 彼女は納得したように頷くと、即座に私の前から姿を消した。

 説明したにも関わらず、私の作品について一言も触れなかったことを考えると、確かに彼女は娯楽に興味が無いということなのだろう。

 私は、初めて彼女に興味を抱いた。

 これまでは単なる同僚だったが、今では一人の人間として、彼女のことを知りたいと思ったのだ。


***


 意外にも、彼女は私の呼びかけに応えてくれた。

 自宅で看病していた妹が入院したために、自宅でやることがないという理由だった。

 共に食事を進めながら、私は彼女の身の上について訊ねた。

 彼女は拒否を示すこともなく、淡々と話を進め始めた。

 病弱な妹を自宅で看病することもあるが、入院したとなると呼び出されることが多くなってしまうために、その度に職場を抜け出さなければならなかった。

 事情も事情だが、会社にしてみれば仕事にならないために、やがて彼女は解雇されてしまった。

 それは、一度や二度では無い。

 妹の看病と転職活動ばかりの日々に、彼女は疲れてしまっていた。

 そんな中、病院で知り合った男性に雑談の話題の一つとしてそのことを話すと、苦労している彼女に同情したのか、現在の職場を紹介してくれたらしい。

 後で知ったことだが、その男性とは、現在の職場の社長だった。

 社長は、病弱ながらも自分のことを育て上げてくれた母親と彼女が重なって見えていたようだ。

 だからこそ、彼女のような人間が安心して働くことができるような社風を作り上げたということだった。

 その話を聞いて、私は自分が恥ずかしくなり、同時に、世の不条理を呪った。

 他者からの評価を気にして家の中に逃げている自分よりも彼女の方が素晴らしい人間であるというにも関わらず、金銭的な余裕は私の方が上である。

 彼女のような人間こそ、幸福を手に入れるべきであることに、何の疑いも無い。

 幸福とは個人によって異なるだろうが、何においても必要なものといえば、金銭であることは間違いないだろう。

 私は押し入れから束になった紙幣を取り出すと、それを彼女に差し出した。

 当然ながら、彼女は受け取ることができないと首を横に振った。

 しかし、私も退くつもりはなかった。

「私が手に入れた金銭をどのように使おうとも、それは私の勝手である。孤独な人間の生活費として消えるよりも、きみたち姉妹の生活の手助けと化すのならば、金銭も喜ぶだろう」

 その言葉と態度から、私が退くつもりがないことを察したのか、彼女は感謝の言葉を吐きながら私の金銭を受け取った。

 部屋を出るまで、彼女は頭を下げ続けていた。

 そのときの私は、満たされたような気分というものを初めて味わったような気がした。


***


 その後の彼女の様子が気になったが、姿を見せることがなくなったために、私は久方ぶりにかつての職場へと向かった。

 社長は私の評判について知っているのか、笑顔を浮かべながら肩を何度も叩いた。

 近況を報告した後、私は彼女について問うた。

 社長はそれまで浮かべていた明るい表情を一変させ、困ったように息を吐くと、

「厄介な人間たちから逃げるために、姿を消したのだ。どうやら、多額の借金が存在していたらしい」

 私は、その言葉を信ずることができなかった。

 借金についてではなく、彼女が病弱の妹を置いて逃げたということだ。

 私の言葉に、社長は目を丸くすると、

「彼女には、妹など存在していない。私が彼女を雇ったのも、ただ人手が不足していたからだ」

 つまり、私は騙されていたということだ。

 何故、彼女はそのような虚言を吐いたのだろうか。

 私のような人間ならば、簡単に騙すことができるとでも考えていたのだろうか。

 そのように考えたと同時に、私は嫌な予感がした。

 慌てて自宅へと戻ると、押し入れの中の金銭が、全て消えていた。

 誰の仕業であるのかなど、考えるまでもない。

 私は、ますます他者というものを信ずることができなくなってしまった。

 押し入れの中に置いていた縄を手にすると、私は近くの公園へと向かうことにした。

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