戻れない道

「何故死なない……」


 傷だらけになった体を見下ろし肩で息をしながらも、私は自身を襲う不気味な感覚に、体が震えるほどの恐怖を感じていた。


 共に学び、笑いあった仲なのに、目の前の人物は今や別人で、かつての雰囲気を少しも残していない。


 人を傷つけるどころか味方すらも傷つける彼は、本当に魔王なのだと思わせる。


 誰が傷つこうが誰が死のうが、どれだけ悲鳴が上がっても見向きもしないのだ。


(非情にも程があるでしょう)


 戦場であるこの地には、今や私と彼しか残っていない。


 他の者は武器や鎧を残していつの間にか遺体すら消えてしまっていた。


「全ての者の生命を力として取り込んだからな。君に俺は殺せない」


 何を取り込んだって? まさか死体が消えたのは全て魔王に喰われたの?


 味方すらも対象なのかと恐怖したが、それだけではない。


「あなたはそうなのでしょうが、何故私まで生きているの?」


 彼はともかく、私は普通の人間だ。


 人はこんなにも激しい戦いをしながら、三日三晩も動いてはいられないと思う。


 たとえ戦いによる緊張感、高揚感によるものだとしても、疲労も眠気も感じないのはおかしい。


 空腹も剰え尿意もないなんて、私の体は今一体どうなっているの?


「それは俺が君にも力を分け与えて、生かしているからだよ」


 そう言って彼は仮面を外した。


 彼は微笑みを浮かべている。


「もう他の者はいない。だから少し話をしよう」


 彼が剣から手を離す。


 黒剣はキンという音を立てて、地面の上を何度か跳ねて止まった。


「何を話すというのです」


 槍から手は離す事はしないが、意図を知りたくて穂先を下げる。


「もう、争いは止めないか?」


「はっ?」


 何を言っているの?


「これだけ殺して、これだけ壊して……今更何を!」


「そちらが仕掛けてきたから抗っただけだ。俺は悪くない」


 何という事を言うのか。


「元々はあなたが私の夫を、英雄を殺したからでしょ」


「あの男は俺の同胞を殺した。人に危害を加えるつもりもなく、山奥で大人しく過ごしていた竜を。彼女には幼き子どもがいたというのに」


「でも周辺の人達が竜の襲撃を受けているって……」


「竜の襲撃を受け、何故町は壊滅していない? あの程度の人的被害で何故済む? おかしくはないか?」


 それを聞いて私は凍りつく。


「根拠は、ないのでしょう」


「嘘とも言えまい」


 私は悩む。


 彼の言葉が正しいのなら、彼は魔王として同胞の無念を晴らしたに過ぎない。


 英雄というのは人間側から見た一面だが、彼らにとっては憎むべき敵なだけ。


「あの男は卑怯にも迷い込んだ者を装い竜に近づき、隙をついて殺めた。彼女は人を傷つけた事などないというに。本当は生きたまま子竜の元へと連れ帰って、復讐を遂げさせたいとも思ったのだがな」


「彼が強いから、その余裕がなかったの?」


「いや、君に触れたのが許せなかった」


 事態の何ともいえない展開に私は目眩を起こす。


 そもそもの発端は人が起こしたものだが、彼が英雄を殺したのは私に触れたことが、理由だという。


「何という、馬鹿げた理由なの……」


 人が竜を殺したから魔の者は怒り、魔王は私に触れた事を理由に英雄を殺し、人は怒りに満ちた。


 そうして戦となって、これだけの人と魔の者が死んだなんて。


 だがしかし理解できない事もある


「同胞の為にと怒ったあなたが、何故ここにいる仲間は見捨てたの?」


 私の言葉に彼はキョトンとした顔を見せる。


「仲間? ここには俺の仲間はいない」


「仲間じゃない? ではあんなにもいた軍勢は一体……」


「ここに居たのは全て元人間だ。君に仇なそうとした者や陰で利用していた者、それらをまとめて操り兵に仕立て上げただけだ」


 愕然となる言葉が彼の口から放たれる。


「あ、あなた。人を魔の者にしたの?」


「いらない者共を一掃出来て、手間が省けた」


 さらっと言った言葉に鳥肌が立つ。


 この男は人を何とも思っていないのだ。


 数年人間世界で暮らしてきたはずなのに、それでもだ。


 私は一気に気分が悪くなり、吐き気を催した。


 吐いても出てくるのは胃液ばかりだし、敵の前でそのような姿を見せるなんてとも思うが、気持ち悪さと不愉快さが止まらない。


「あなたは、やはり人間の敵ね」


 口元を拭い、槍を握る手に力を込める。


「……まだ戦うのか」


 悲しそうな声で私を見つめる緋色の目に動揺しながらも、私は槍を下ろす気はなかった。


 目の前にいるのは。人の形をした魔の者だ。


 黒い髪と緋色の目、黒い外套を羽織った男はともすれば普通の人間としか見えないが、それでも人ではない。


 およそ人とは分かり合えない思考をもった魔王。


 そして私は勇者の末裔だ、戦いを止めるわけにはいかない。


 死んでしまった者達の為にも。


「たとえ勝ち目がなくても諦めるわけにはいかないわ」


 そうして私は再び彼に向かって走り出した。




 ◇◇◇




「――幾月、幾年と流れても変わらないか」


 目を閉じ、横たわる彼女の側で俺は跪く。


 流れる血の量から致命傷であることは間違いない。


 このまま放っておけば確実に死を迎えるだろう。


「何度会っても、何度生まれ変わっても同じならば……いっそ俺の手で全て終わらせてしまおう」


 彼女の胸の上に手を翳し、力を注ぎ込み、魂と体を作り変えていく。


 出血は止まったが、それでも力を流すのは止めない。


(幸い沢山補充できたからな……)


 彼女に渡しても余りあるくらいの力を得る事が出来たのは僥倖であった。


 今まではこのような好機が訪れる事はなかったからな。


「終わった……」


 さすがにため息が零れる。


 これ程時間を掛けた事も、神経を張りつめた事もなかったから余計に。


 もう彼女は人ではない。


 見た目からでは分からないが、死ぬ事はないし、生まれ変わる事も出来ない。


(神のみもとになぞ行かせやしない、今度はずっと側にいてもらおうじゃないか)


 人の為に生き、人の為に死ぬ彼女には酷な事だろうが、これ以上彼女を殺すのは嫌だった。


 勇者である前世の彼女に殺された事も幾度とあるし、時に他の男に奪われたくなくて殺した事もある。


 俺が死ぬことはないから死んだ振りであったが、彼女が幸せになれるならばと首を晒させた事もあった。


「目撃者もいないし、隠居するにはいいだろう」


 魔王の地位に拘る事もないし、このまま隠遁してしまおう。


 そうすれば二人で静かに暮らせる。


 彼女の鎧を乱暴にちぎってそこらに捨ててから、抱き上げ歩き始める。


 傷は癒えているので、苦痛もなく今は安らかな寝息を立てている。


 ここにいる彼女は最早以前の彼女ではない。輪廻の輪から外れ、勇者の血脈ではなくなった。その身に流れるのは魔の者の血だ。


 閉じられた瞼の下には自分と同じ緋色の瞳が隠されている。


 人である事に、そして人として死ぬ事を矜持としていた彼女が、無理矢理魔の者にされたと知ったらどう思うだろう。


 泣くだろうか、絶望するだろうか。


 ……それとも自死を試みるだろうか。


「それでも手放す気はないが」


 もう人間ではない彼女は簡単には死なないし、死ねない。


 魔王である自分の力を分け与えたのもあり、首を切っても心臓を串刺しでも息絶えることはない。


 勇者の末裔であった彼女は魔王である俺の手で完全に死んでしまったのだ。



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【短編】わかたれた道 しろねこ。 @sironeko0704

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