第25話

「それなら私にちょうだい!」

 剣人と志通子は大通りへ振り向いた。深いベージュ色の髪全体に緩いパーマをかけた女性が大股で詰め寄ってきた。近くで見ると、黒縁眼鏡をかけた目はみなぎる自信と賢さで満ちていた。コットン製の白無地Tシャツとスキニージーンズ、紐無しスニーカーという出で立ちであっても、気高い足並みに宇留美は見とれてしまった。

「あなたが例の女の子ね。母と弟から聞いているわ。相当優秀なんだって?」

 剣人は制止しようとしたが、女性は剣人の頬を押し退けて宇留美を間近で凝視した。

「なんか雰囲気が聞いていたのと違うけど。何かあった?」

 志通子が咳払いしても、女性は宇留美から離れなかった。宇留美は女性から目を逸らさなかった。

「でもいい度胸ね。眉一つ動かさず、この私をずっと見ていられるんだもの。気に入った。私はつむぎ・オーマン。旧姓は佐野、って言えば大体のこと分かるよね」

「姉ちゃん! 今大事話ばしとるけん」

「私も大事な話があるんだけど? 剣人じゃなくて彼女にね」

「宇留美さんにも選択肢ってモンがあるとよあるんだからね

「へぇ、いつからそっちで呼ぶようになったの?」

 紬は実母である志通子の控えめな注意を聞かなかった。

「あんたは子どものときからそう。竹を割ったような性格と言や聞こえはよかけど、とにかく自分ってモンばいっちょん全然譲らん。割った竹で相手の気持ちをぶった切る。そいけんアメリカでも社長ばやってのけるとやろうけど。今あんたの目の前におる宇留美さんは生粋の日本人。海外生活の経験が無かとばい。旦那さんや向こうの人と同じ扱いばせんとしたらダメよ

「なら今から同じ扱いしたらいいじゃん。どのみち私が彼女を連れて帰るんだから。ね? 宇留美さん」

「話のいっちょん見えんとですが、オーマンさん」

「やぁだ、紬って呼んでよ。向こうアメリカでは、堅苦しい挨拶や呼び方は要らないんだから」

 紬は、オーマン家の用心棒として紬の娘を全面的にサポートしてほしいと言った。ミックスルーツの娘にとって適切な日本語環境を提供できる。それだけでなく忙しい両親に代わって、治安面で娘のビジネスサポートを宇留美に求めている。アメリカでは、どれほど裕福であっても、子どもの力で金を稼ぐ力を養わせることが一般的だからだ。

「宇留美さん、子どもから新しい世界を教えてもらうことが多いと思うんだ。ちょうど第二の世界へ飛び込むのに、これ以上の環境はないはずだよ。もちろん、その分お給料だって保証するし。来るでしょ?」

 宇留美はジャケットのポケットに手を突っ込んだ。拳を開くと、手中でシャリシャリという音が微かに響いた。

 宇留美の身代わりとなったビーズの指輪はゴム紐が切れたまま。解けたビーズはクンツァイト一粒、パール七粒。同じポケットに入れていたのは、円形を取り戻したブレスレット。クリスタルのビーズで繋ぎ、ワンポイントはルビーのビーズ一粒。このブレスレットは桃代の唯一の形見である。

 日光を浴びて、クリスタルの中で白い日差しが生まれた。

 紬への返事をよそに、桃代を思い出しながらビーズを指腹で弄んだ。顔の輪郭は覚えていても、このブレスレットを腕につけてくれたときの笑顔までは思い出せなかった。

 初めて自分で替えたゴム紐がプツッと切れた。瞬きをする前に、宇留美の手からビーズがこぼれそうになった。

 一粒が地面へ転がり落ちて、海に飛び込んだ。それまでの間、ルビーのビーズが日光に吸収されて色を失っていた。クンツァイトのビーズも水面の反射光に近い色になり、ヒビが深くなっていた。

「今までありがとう。私の側にいてくれて」

 宇留美の声が震えた。右手を頭上に掲げて、透明の虹が海中に繋がった。

「さようなら、お母さん……宇門」

 宇留美としての人生を取り戻した瞬間だった。

 紬と並んで大浦海岸を離れても、水面は強い輝きを放っていた。

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透明のビーズ 加藤ゆうき @Yuki-Kato

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