33.憧れ

「そっか」


短い沈黙の後の、それが理美ちゃんの返事だった。

また、沈黙。

耐えきれずに、先にうつむいたのは、わたしだった。


続けて発したい思いはあるのに、言葉にすることができない。

理美ちゃんに必要なのは、きっとこんな共犯者づくりのようなことじゃない。

もっとずっと確かな、沈んだ石を掬いあげるような言葉。

重い石を取り除いて、心を軽くする言葉。


たぶん、今の状況が逆なら。

わたしが理美ちゃんで、理美ちゃんがわたしだったら、もっとちゃんと言えたんだろう。たった1年の違いなのに、わたしは理美ちゃんに遠く及ばない。


じれったいを通り越して、情けなくなってくる。

こんなとき、先生たちなら、なんて声をかけられるんだろう。

大人になったわけでもないのに想像もつかない自分が、ただ無力で。


迷路に入り込みそうになったわたしの思いを切ったのは、理美ちゃんの含み笑いだった。あれ?


「琴音、今すんごい難しいこと考えてたでしょ?」


顔を上げると、いつも通りの理美ちゃんがいた。


「分かってるんだ。どうしようもなかったってさ。そう思いたいっていうのもあるけど、実際何回考えても、そうだった。どうしようもなかった」


頬杖をついて、テーブルの角を見ながら理美ちゃんは言った。


「けどね、わたしじゃなかったらもっと違う、マシなことになってたんじゃないかって、思っちゃうんだよね。理屈とか、関係ないの。もっと違う誰かがやってきて、わたしの代わりに全部解決しちゃう。そういう未来が、あったんじゃないかって」


「それは・・・・・・」


そうかもしれない。けれどそこに、理美ちゃんの責任を問うのは、残酷すぎる。

わたしたちは、まだ知らない。

人を助けることが、踏み入ることが、どういうことなのかを。

それはたぶん、理美ちゃんも一緒だ。一緒だったんだ。


「痛っ!」


考え込んでいたわたしは、理美ちゃんにデコピンされるまで、伸ばされていた手に気づかなかった。「ぼーっとしすぎ」と、本人はあっけらかんとしている。


「何よ、人がせっかく考え込んでたのに」


「そこまでしなくていいの。琴音の言葉がもらえれば、もう十分だから」


そう言う理美ちゃんの目は澄んでいて、さっきまで見えていた陰りのようなものがなくなっているようだった。


おかわり、いる?と訊かれて、手元のグラスが空になっていたことに気づく。


「ああ。わたしも行くよ」


「いいっていいって。お姉さんに、任せなさい。何がいい?」


「・・・・・・グレープフルーツ」


「健康的なことで。でも、飲みすぎ注意だよ、それ」


両手にグラスを持って、理美ちゃんはさっさと行ってしまった。

その背中を見送って、よせばいいのに、わたしはまた考え出す。


わたしは、理美ちゃんに助けてもらった。

理美ちゃんは、友田さんを助けられなかった。

わたしなら、誰かを助けられるのか。

助けられてばかりの、わたしでも。


別にいい人になりたいわけじゃない。

ただふと、そんなことを思っただけ。


「お待たせ」


目の前に、ジュースの入ったグラスが置かれる。

同時に席に座った理美ちゃんの前には、ウーロン茶の入ったグラスが置かれている。


「あれ、コーラじゃないの?」


「いやー、大盛りポテト、ほとんどわたしが食べちゃったし。そろそろダイエット、ダイエット」


確かこの後ピザを頼むとか言ってなかったっけと思ったけれど、あえてそこには触れないでおく。とはいっても、剣道をやっていた理美ちゃんの基礎代謝は相変わらず抜群なので、いくら食べても太るということはないのだろうけど。


グラスの中身を半分一気飲みしてから、理美ちゃんはベルを鳴らして、シーフードピザを注文した。


「あの、わたしそれでいいって、まだ言ってないんですけど」


「あ、ごめん。忘れてた! やば、オーダー変える?」


「いい、いい。そのまんまで」


たまにこういうことがある。慎重そうに見えて、理美ちゃんは食事のときにたまに猪突猛進になる。慣れっこになった今となっては何とも思わないけれど、知り合って最初の頃はびっくりした。もちろん、悪気はないし、初めてそうなったときは本人はひたすら謝っていて、なんか可愛かった。まあ、思い出話だ。


「ねえねえ、理美ちゃん」


「ん?」


「わたしはさ、理美ちゃんに助けられたと思ってるの」


そんな大げさなと、苦笑いする理美ちゃんを制して、続ける。


「誰でもを助けるなんて、きっと誰にもできないんだよ。専門家って言われる人だってそうだったんでしょ? わたしたちなんて、ただの高校生だし。だから、わたしが理美ちゃんに助けられた。それだけでも、十分理美ちゃんはすごいよ」


グラスに手をつけずに黙って聞いた理美ちゃん。

少しして、ふふ、と、おかしそうに笑った。


「琴音はいいキャラしてるよね。日ごろふわふわしてるのに、言うときは言うもんね」


「ちょっと、ふわふわって何よ」


「ぽわーんとしてる、っていうか」


悪びれもせずに言う理美ちゃん。心当たりがないわけでもないので、真正面から反撃もできず、わたしはふくれてみせることしかできない。


「だからわたしたち、うまくいってるのかもね。でこぼこコンビみたいな。わたしにないもの、琴音はいっぱい持ってる。たまにね、羨ましいよ」


「羨ましい? わたしが? え、どこが?」


実際、容姿、成績、運動神経、アルバイト歴とか、思いつくものすべてが理美ちゃんに届かない。そんなわたしのどこを、理美ちゃんは「羨ましい」なんて思うんだろう。訊かずにはいられなかったけれど、その前に「お待たせしました」と、目の前にピザが差しだされた。


「おー。ここ、パスタはいまいちだけど、ピザは美味いんだよね」


「理美ちゃん、それ、店内で言うセリフじゃないよ・・・・・・」


さっき後ろの席に座った女の人たちを意識して言うと、「いや、明太パスタは美味しいよ、美味しい!」と、フォローになっていないことを言い始めた。

ベタなんだけど、意外なところでぬけているのが、我らが理美ちゃんである。

その理美ちゃんは、完全には切れていないピザのピースを、「あちあち」と言いながら、ちぎっている。早くも手は、チーズでべとべとだ。


「冷めるの、待てばいいのに」


「琴音、分かってない。ピザは鮮度が命だよ」


ピザって「鮮度」だっけ?と思っていると、理美ちゃんがふと言った。


「あと今日から、『琴』って呼ぶから。OK?」


「は?」と訊き返すと、「だって呼びやすいじゃん」と、ようやく1ピースを取り分けた理美ちゃんが言った。


「いや、べつにいいんだけど、何で今?」


「友情深まった記念」


はいと、理美ちゃんがピザを取り皿に乗せて差しだしてくる。チーズが半分流れて、イカリングが飛び出していた。


「わたしさ、さっきみたいな話、誰にもしなかったの。それこそ、先生たちにもさ。琴になら、言えたの。何でだろって思ってたら、やっぱりこの子が友達で良かったななんて、今思ったわけ」


二枚目のピザを「あつ、あつ!」と言いながらちぎる理美ちゃん。ナイフを使えばいいのに。その顔に差す赤が、熱さのせいじゃないなら。


「ほら、貸して。お姉さんに、任せなさい」


反対側からナイフで切り分けていると、めずらしく理美ちゃんがいじけたような顔をした。「ねえ、なんかからかってない?」と言うので、「別に?」と流しておく。

「ぜんぜん釈然としない」とぶつぶつ言う理美ちゃんと私の前に、半分ずつ切り分けられたピザが並んだ。


なんていうか、幸せだなって思った。

家に帰っても、明日になっても、ずっと先になっても、今日のことを思い出す気がした。


あのとき、死ななくてよかった。


調べたことがある。日本の1年の自殺者の数は、今も2万人以上。

そのうち、小中高生の数は、500人以上。

1週間で、約10人が亡くなっている。


わたしは、運がいいだけなのかもしれない。そしてそれも、ずっとは続かないのかもしれない。けれど今は、何も考えずにそう思えた。

そのときだった。


「ほんっとあいつさぁ、生意気なんだよな!」














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