24.春風
「それじゃ、だいぶ慣れたんだね、仕事」
久しぶりに会った理美ちゃんと、展示場のテラスでおにぎりを食べながら、
そんな話をしていた。
自分で切って失敗したという理美ちゃんの前髪が、春風に吹かれて揺れる。
「基本、黙々とやってることだからね。それに入ってくる人も、単発バイトの人も多いし」
1カ月前に始めたピッキングのバイトは、まだ続いていた。
「初日のひとー! 集まってくださーい」
どこまで行ってもスチールの棚だらけで、どこを見渡しても段ボール。ずらりと並ぶ倉庫の光景は、小学校のときに職場体験で見た、巨大なパン工場の様子を思い起こさせた。
自分はもう高校生で、今いるのは工場ではなく倉庫なのに、まるであのときの工場よりも広い場所に放り込まれたような気がした。「説明始めまーす」という社員さんの呼び声に手を挙げながら、まるで間違ったことをしてしまったような気持ちで胸がいっぱいになった。
ピッキング作業の内容は、伝票に記された商品を、指定された量、取りに行って、運んでくること。
語源というか、「ピッキング」のそもそもの意味は、「摘み取る」の意味の「Pick Up(ピックアップ)」だという。その作業自体は、しごくあっさりとしている。けれど、例えば画用紙などの細かい品物は数え間違いや、最悪手を切って破損品になってしまうこともあるらしい。スピードと集中力が、ある程度要求されるというのは、事前に調べた情報通りだった(もっとも、初日のアナウンスでは「慌てて変なミスされるよりも、確実にしっかりやってくれたほうがいい」と言われたけれど)。
そうして一通りの説明を受けて渡されたねずみ色の機械、「ハンディ」は、見かけよりもずっしりと重く感じた。「ハンディ」は正確には「ハンディターミナル」という。伝票に記載されている品物と、実際に手元でスキャンした品物が異なっていないか、確認してくれる機械だ。見かけは、家にあるクーラーのリモコンに似ている。
「じゃあ、人間関係とかわりと楽な感じ? あれ、けっこう職場ガチャだって聞いたことあるけど」
「ああ、それは本当にガチャらしいよ。今回は、たまたま運が良かったみたい」
倉庫内で知り合った、
「着いた瞬間、『終わった・・・・・・』っていうところ」も、めずらしくないんだとか。大学2年だという赤坂さんは、手っ取り早く飲み代を稼ぎたいからとあちこちでこの仕事をしているうち、いつの間にかここ周辺の倉庫に落ち着いていたという。
最近やたら休憩時間とかに赤坂さんがやたら話かけてくるけれど、基本、一人職場に近い。
年齢層は、学生以外に主婦っぽい人が多い。赤坂さんもその一人で、よく顔を合わせるのは、主婦の
赤坂さん曰く、「必要ないんだし、いちいち覚えてるなんてマジメ」だというけれど、もしかしたらトラブルのときにお世話になるかもしれない人たちだ。実際、初めてのときは電源の入っていないハンディを片手に、操作の方法が分からないまま呆然としていたら、前田さんがさっと手助けしてくれた(ちなみに、後でメモを見返したら、隅っこに書いてあった)。前田さんはたぶん30代。一見冷たそうに見えるけど、それは集中しているからで、前田さんの仕事は、たぶんここのスタッフの中でもトップクラスに早いと思う。
「まあ、良かったんじゃない。一カ月いられるなら、そうそう変なことにはならないでしょ」
「まあね。シフトも細かいから、いろいろと・・・・・・」
普通高校の、通学時間帯のことだ。
理美ちゃんに、前の高校のことを話したのは、年越しそば目当てのお客さんでの、年末年始の大盛況を乗り越えた理美ちゃんと、久々に遊びに行った日。夕方だった。
国道沿いのどこにでもある、安いチェーンのファミレス。ポテトのケチャップは皿の端に絞り出すか(わたし)、真上かららせん状に絞り出すか(理美ちゃん)という死ぬほどくだらないことで真剣に言い合い、それに気がついて2人とも大笑いしてしまって、隣の席の家族連れに嫌な顔をされた。
さすがに反省したわたしたちは、味付けがきつい明太子パスタと、どろっとしたカルボナーラを間に、少しの間とりとめもない話をしていた。学校がどうとか、成績がどうとか。あの頃わたしはまだバイトが決まっていなくて、思えばずいぶん泣き言めいたことを言っていた気がする。理美ちゃんは、聞き役で、もっぱらわたしが話していたと思う。
だから隣の家族が席を立ったとき、わたしがその話をしたのは、たぶんずっと前から、理美ちゃんに聴いてもらいたかったのだと思う。
窓ガラス越しに流れていく無機質な自動車の明かりは、けれど星の流れにも似ていた。
軽口が好きな理美ちゃんは、けれどこのときは口を挟まなかった。ただ、黙って聴いていた。
過去のことなのに、終わったことなのに。一度あの頃のことを話すと、唇が、手が震えて、うまく呼吸ができなくなる。情けない。いつのまにか涙が出てきた。けれどそれが、悲しいのか、自分がみじめだからか、自分が情けないからか。どの理由で流れているのか分からない。ただ、手の甲に落ちるそれを見て、「まだ引きずってるんだ。わたし、ダメなやつだなぁ・・・・・・」なんて思いながら、それでも話した。そうして全部を話し終わったとき、顔を上げたわたしは、ぎょっとした。
後にも先にも、わたしはたぶん、理美ちゃんのあんな
しばらくの間、わたしは声をかけるのも、いや震えすらも忘れていた。
「そいつ、どこ?」
不意に放たれた言葉に寒気がはしり、慌ててわたしは笑顔を作る。
「や、でも前のことだし、今はこうして楽しんでるんだからいいよ! ていうか、理美ちゃん、落ち着いて? なんかちょっと・・・・・・」
こわいの三文字を飲み込んだのと、魔法がとけるように、理美ちゃんがいつもの表情に戻ったのは、ほぼ同時だった。
「ごめん、わたし、すごい顔してた?」
「あのときは正直、人でも殺しにいくんじゃないかと思ったよ」
「冗談。そんなくだらねーやつのことで、何でわたしが大損しないといけないわけ。割に合わないっての」
右手にコンビニの塩おにぎり、左手に桜ラテという、よく分からない組み合わせがなんだか理美ちゃんらしい。ストローの先を、風に飛ばされた花びらが横切った。
そういえば、もうすぐ桜がずいぶん綺麗に咲き誇っている。
季節は春で、花の香りを運んでくる5月の風は、ビロードのように柔らかい。
ふと。
ずっと、こんな時間が続けばいいと思った。
時間は過ぎていく。「ずっと」なんてものも、「ずっと」ない。
それでも。
「理美ちゃんは、今日もバイト? 頑張るね」
「それはお互い様でしょ。そういえば琴音、最近、勉強頑張ってるらしいじゃん。ワタべっちから聞いたよ」
「ああ、なんかね。頑張らないとなーって思って」
余計なことを。どうせ渡部先生のことだ。たぶん大盛りに盛って話してあるんだろう。褒めてのばすは、あの先生の鉄則みたいなもので、でもそれがぜんぜんわざとらしくないのが、不思議なところだ。なんていうか、本気で言っているんだって、わかるっていうか。
「ふうん。まあ、そりゃそうだよね。遊んでばっかりいられないもんね」
少しだけはしった胸の痛みには、気がつかないふりをした。
足元の花びらは、もう一度吹いた風に、飛ばされていた。
2024.7.15 誤字訂正しました。
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