22.返却
「ここ、退学して単位制高校って書いてるけど、何、キミ。なんかやんちゃでもしたの。そんなふうに見えないけど」
開店前の中華料理チェーン。オレンジ色の座席に座った店長という目つきの悪い男の人は、仕事の簡単な説明の後、履歴書の欄をとんとん叩いて言った。
「あの・・・・・・」
それまで「はい」としか言わなかったせいか、とっさに言葉が浮かばない。
それに、こういうときは、正直に言ったほうがいいんだろうか。
ここで働くことになるとしても、そんなことを知られてていいんだろうか。
「まあうちは何でもいいんだけどね。でもさ、キミ、人間関係大丈夫なの? なんかそっち系でこうなったんじゃないの?」
『そっち系』というのが何を指すのか・・・・・・想像でしかないけど、想像でしかないぶん、わたしの中でそれは見境なくふくらんでいった。
「大・・・丈夫だと、いえ、大丈夫です」
露骨に舌を噛んでしまったけれど、とにかくこんなときは、「言い切るのが大事」だって、ネットに書いてあった。ここで負けちゃ、いけない。
店長さんは、「ふーん」と言ったきり、こちらを見ずにくるくるペンを回している。
テーブルの下で握りしめたこぶしから、汗がにじんでいる。「単位制高校」のこと以外、事前に予想していたようなことは、一言も聞かれなかった。何度も書き直した(もちろん、ノートにだ)「自己PR」も、「志望理由」についても。
「はい、もう終わりでいいよ。気をつけて帰ってね」
(『質問はありますか?』って、ここも言われないんだな・・・・・・)
「あ、はい・・・・・・。あの、ありがとうございました」
そういうものなんだろうか。不安になったけれど、『忙しい中時間をとってもらっているという意識を持つこと』と、これもネットに書いてあった。慌てて席を立つ。
テーブルでひざを思いっきり打ってしまって、涙がにじんだ。
「大丈夫? けっこう大きい音したけど」
「だ、大丈夫です」
本当はぜんぜん大丈夫じゃなかったけど、「どんくさい→ 使えない」という公式が頭に浮かんで、とっさに嘘をついた。
「あ、そう。結果は3、4日したら送るからね」
「はい」
入口の扉を開けようとして、はっと気づいた。忘れてた!
「お時間をとってくださり、ありがとうございます」
聞こえなかったのか。頭を上げると、店長さんは席にもたれかかってスマホをいじっていた。わたしの履歴書は、テーブルの隅に置いてあった。
私はそっと、ドアを開けた。
なるべく音を立てないようにしたけれど、チャイムが鳴らないドアは、ぎいっときしんだ音を立てた。
打ったひざは、家に帰るまでじんじんと痛んでいた。
※
「不採用、か」
10日経ち送られてきた通知には、「検討の結果」採用しないことにしたという文章が並んでいる。まだ2通目とはいえ、けっこうこたえる。
大学の就職活動なんて百件の受けてもダメだと聞いたことがあるから、こんなのはなんてことないんだろうけど・・・・・・。
ていうか、4、5日って言ってたのに・・・・・・。
毎日ポストを確認しにいったわたしの気持ちを、返してほしい。
忘れてた。なんてこと、ないよね?
あの人ならありえるかもなと思いながら、見られたくないから二階まで不採用通知を持っていく。念のため、ビリビリに細かく破いてゴミ箱に入れて、その上に適当に花をかんだティッシュでふたをする。
「またダメだった」
泣き顔スタンプと一緒に、理美ちゃんにラインする。
忙しいのだろう。返事は来なかった。
単位制高校って、そんなに怪しくみえることなんだろうか。
1つ目に受けた本屋さんのバイトもそうだった。
耳慣れない言葉というのもそうだったけど、説明したら女性の店長さんは少しだけ眉を寄せた。何かを言いたそうだったけれど、そこでは仕事の内容はわりとしっかり説明されて、本屋さんってけっこう体力仕事なんだな・・・・・・って不安になっていたら、「何か質問はありますか?」って訊かれたから、とっさに「ありません」って言ってしまって、終わりになったんだっけ。本当は行く前にいろいろ考えてたんだけど、緊張で頭から飛んでしまったんだよね・・・・・・。
はじめてのことだから仕方ないとは、思うし、わかっていたけど。
それでも電話で「今回は・・・・・・」と言われたときは、けっこう落ち込んだ。
どうしようか。証明写真、あと1枚しかない・・・・・・。
ゴミ箱の一番下。ぐしゃぐしゃに握りこんで、割れた鏡に映ったように歪になってしまったわたしの写真が、底に埋まっている。
8枚撮りの証明写真は、あと1枚。まあ、貯金を崩せば、また撮りにいくことくらいはできるのだけど・・・・・・。
今度はもっと、目立たない格好にしないと・・・・・・。
どこで誰が見てるか、分からないもんね。
理美ちゃんから返事が来たのは、夜だった。
「そこには縁がなかっただけだよ。できることをしたんだから、OK!」
グッドマークつきの返事。ネコの『ありがとう!』のスタンプを送って、既読がついたのを確認して、わたしはベッドに寝転んだ。
正直、あのお店で働きたかったかと言われると、NOだった。
普段見て想像しているのとぜんぜん違う対応で、質問に答えたときの値踏みするような視線も、嫌な印象しか受けなかった。もちろん、他の従業員の人のことは何も知らないけど・・・・・・。理美ちゃんの言うように、「縁がなかった」と思うことにしよう。でないと・・・・・・。
「わお―――んっ! わんっ!わんっ!」
りんだ。
近所に猫屋敷・・・・・・とまでいうのかわからないけど、とにかく野良猫が常に玄関先に4~5匹いる家があって、そのうちの1匹、もしかしたら2匹(黒猫が2匹いるから見分けがつかない)が、最近我が家の庭を通るようになった。
ときどきふんが見つかることがあるけど、基本的には窓に映った瞬間、りんが敵意むきだしでとんでいくので、我が家は実害は少ない(ほうらしい)。
「うるさいよっ!!」
なおも吠え続けるりんに、二階からどれだけ聞こえるのかわからないけれど、怒鳴ってしまった。
あれ・・・・・・。
わたし今、いらついてた。
りんに。りんに・・・・・・?
トイレの失敗が続いていたあの頃と同じように。
ううん、仕方ないじゃんか。もう夜で、他の家に迷惑がかかっちゃうから。
ほら、1階でもお母さんがりんを叱る声がする。
でも、今わたしは、それとも何かが違う気持ちで・・・・・・。
「っつ!」
立ち上がろうとして、指先に何かが触れて痛んだ。
ささくれだった。小指の端。りんが滑らないようにとフローリングの上に敷いたマットに、引っ掛かったらしい。付け根にほんの少し、血が滲んでいる。
ああ・・・・・・。
ため息と同時になんだか気が抜けてしまった。
爪切りって、リビングの引き出しに取りにいかないと。
ついでに興奮しまくりの、りんをなんとかしないと。あれは二階でちょっと落ち着かせようか。そもそもりんの一番の飼い主は、わたしなんだから。
いつまでも落ち込んでいられない。りんだけじゃない。課題だって出てるし、別に急ぐことはないけど、わたしは前に、前に進まないといけない。
そうしないと、「フツウ」に戻れないから―――。
ささくれの指を握って、肘で階段の明かりをつけようとした。
そのほんの一瞬、教室で見た冴島の顔が笑った。
「あんたさ、キモイよ。邪魔なんだよ」
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