20.上書き

迷ったけれど、けっきょくシンプルなブラウンの、レトロワンピースにした。

中学校卒業のお祝いに買ってもらったっきり、高校生活に慣れるのに、そして追いつめられるのに忙しくて、ほとんど着たことがない。

袖を通すと、ふわりと桃の柔軟剤の香りがした。


鏡に自分を映してみると、なんだか恥ずかしいし、照れくさい。

中学生と高校生の真ん中。そんなときに買ってもらったそれは、まだ輝いていた夢の高校生活を思い出させて、嫌というより、なんだかこそばゆかった。

部屋に鍵がかかっているのをまた確認して、くるんと一回転してみる。

「モデルか・・・!」と心の中で自分にツッコミんでいたけれど、やっぱり胸の奥がどきどきして、こんなタイプの気持ちは、とっても久しぶりのことだった。


バイト探しのことは、じつはおばあちゃんだけには話してある。

「琴ちゃんは、頑張り屋さんね」というおばあちゃんは、なので今日はりんを預かってくれている。りんは一昨日爪を切ったけれど、大事な服なので、いつものように飛びかかられて傷なんてついたらたまらない。そこまで警戒することもないのかもしれないけど、今日だけはそんなことまで気になって仕方がない。たぶん、わたしはかなり緊張している。

今頃りんはおやつのジャーキーに夢中になっているか、おばあちゃんにたっぷり撫でられて幸せに眠っているのか。玄関までそっと出てみたけれど、こちらに飛んでくる気配はない。

スニーカーに、そっと足を通すと、ふらついて転びそうになった。落ち着け、わたし・・・・・・。玄関から出るだけなのに、心臓がドキドキする。

「行ってきます」と、小さな声で奥の部屋に呼びかけた。



スマホの時計を見ると、「14時23分」と表示されていた。

「14時」に出るつもりだったのに、思ったよりあれこれ迷っていたらしい。


「履歴書」は、コンビニに売っているもので十分だと、どこのサイトにも書いてあった。「アルバイト・パート用」というのも、あるらしい。


近場のコンビニは2件ある。河原に近いほうと、駅に近いほうだ。

人が少ないのは、河原のほう。りんの散歩コースの近くだ。

道路を挟んで反対側に、小さなチェーンのお店がある。

セブンとか、ローソンとか、ファミマみたいな有名なところではないけれど、名前を聞けば思い出すというか、そんなお店。

そういう場所にあるからか、ペットのリードを繋ぐスペースもあるけれど、りんをそこに繋いで入る気にもならなかったので、意外にわたしはほとんど行ったことがない。そして、「履歴書」があんな小さなチェーン店にもあるのか、それを買ったことがないわたしには、わからない。そして、もうひとつの問題も。

ちなみに河原と駅は、反対方向。そして駅近くにあるのは、誰でも知っている大きなお店。前の高校にいたときに、何度も行っていた。朝は各駅、帰りは快速。去年の少しの間。朝と夕方、その道を通っていた。


正直、いい思い出はない。けれど、せっかく可愛いワンピを着て、なんとなくお洒落な気分で、りんも家にいて、自分ひとり、どこにでも行ける。今日はそんな日。

べつにはしゃいでいるわけじゃない。ないけれど、いつもとは違うどこか、この格好で、少し冒険してみたくなって。

「冒険」なんて、子どもみたいだと思ったけれど、まあ、わたしはまだ大人じゃないし、梅か桜かわからないけれど、見上げればあちこちで花びら。そんなかぜに乗って、ちょっとだけ人前に出てみたい。背伸びしたがる子どもみたいで、実際そんなことをしているのはわたしなのだけど。駅前に向かうことにした理由は、正直にいえば、そんな気持ちのせいだった。


探していたものは、少し探すと見つかった。文具コーナー。

上の段の、カッターとかテープとか、ペンとか封筒とかにまぎれて一度は通り過ぎてしまったけれど、あと一枚になっていた「履歴書」を、なんとか見つけた。

なんとなくだけど、ペンと飲み物も買う。レジを通るときに少し恥ずかしかったけれど、わたしが勝手にそう思っているだけで、アルバイトだろう女の人は、「536円です。袋は?」とだけ、無表情に言った。「いります」というと、「539円です」。

千円札を渡そうとすると、「横で」。あ、セルフレジか。


慌てて千円札を流し込んで、じゃらじゃらと吐き出される小銭を受け取る。レジ台に置かれた品物を持って、早歩きで外に出る。第一関門クリアだ。

そして・・・・・・。


「証明写真」


やっぱり、こっちにはあった。河原のほうのお店にも、あるのかもしれないけど、なかったような気もする。それに、あの辺りは人通りは少ないけれど、その分、目立つ。証明写真のボックスから出入りする姿を近所の誰かに見られるのは、嫌だ。

そういう思いもあって、こっちを選んだ。


ゲームセンターにありそうなかたちの、白い機械のボックス。

聞いたことのない会社の名前と、仕上がった見本だけが載っている。

「700円」。財布には、もう千円ある。この千円は、おばあちゃんが渡してくれたものだ。


「いいよ、わたし、そのくらいならお金あるから」というわたしに、「こういうときは、もらっときなさい」と、ぎゅっと渡されたお金だ。

おばあちゃんは、いつもそうだ。どこから帰っても、どんな理由で帰ってきても、わたしのことを悪く言ったりしない。甘えてはいけないとは思っているけれど、わたしはまた、甘えてしまった。やっぱりわたしは、まだまだ子どもだ。


(ごめんね・・・・・・。頑張るからね・・・・・・)


ボックス横の喫煙所で、煙草を吸い終わったおじさんが軽トラに乗り込んで、発車した。わたしは少しだけ周りを見渡し、勢いで飛び込んだ。


中は真っ白。撮影用の画面以外は、床も壁も、照明も真っ白で、入った瞬間、ちょっと目が痛かった。

それに、狭い空間で空気がこもっていて、気のせいかもしれないけれどアルミみたいな匂いがして、さっきのおじさんの煙草の匂いも混じっていて、正直気分が悪い・・・・・。でも、そんなことを言っても仕方がない。ごわごわした小さいイスに座る。「いらっしゃいませ」。モニターから突然話しかけられたようで、どきっとする。ダメだダメだ。こんなことにびっくりしている場合じゃない・・・・・・。



「画面中央に、顔を寄せてください」「撮影中です」「サイズをお選びください」


(いちいち声が、大きいっ・・・・・・!!)


カーテンで隠れてはいるけれど、まるで人前で撮影されているみたいで、落ち着かない。やっと終わった・・・・・・あ、撮影写真は外で受け取るのね・・・・・・。


印刷まであと10秒ちょっと。さっさと出て、さっさとここから離れよう。あ、久々に本屋にも行きたいな、服も見てみたいかも・・・・・・。

ほんの少し懐かしい地図を思って。ざらっとした、重いカーテンを上げて、地面に足をついた、そのときだった。


「やっぱ、しんどーじゃん!」


身体が凍った。

考えが追いつく前に、目だけが先に、そっちを見ていた。


「久しぶりじゃん。元気?」


見る前から浮かんでいた、ウルフカットのつり目。そして、あの笑顔。

言葉が出る代わりに、かすかに手首から先が震えだした。


「笑えよ」


わたしにそう言ったのは、今目の前にいる、冴島早紀さえじまさきだった。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る