19.一歩

理美ちゃんを、学校であまり見かけなくなった。


とはいえ理美ちゃんいわく、特別に何かあったというわけではないらしい。ラインの返事はいつも通り返ってくるし、理美ちゃん曰く、「今は稼ぎたいから」と言う理由で、バイトを優先しているだけらしい。単位のことはどうするんだろうと思うけれど、そこは理美ちゃん。成績は問題ないし、何やら先生たちと交渉して、なんとかなるようにしたらしい。本当、この学校は自由だ。

それでも少しだけ違和感があったけれど、何かあったとしても理美ちゃんの事情を、言われもしないのにわたしから根掘り葉掘り訊くのはよくない。それに理美ちゃんとは、以前ほどではないけれど学校で会ったときは一緒にお昼を食べに行って、いつも通り話していたし、教室での理美ちゃんの様子にも変わったところはなかった。

だから少し心配しながらも、それよりもわたしは気にしない気持ちのほうが強かった。


『お疲れ。今日のバイト、うるさいじいさんにつかまって最悪だった』


『なんて?』


『何回も来てるのに、いきなり『つゆがなってない』だって。わたしただのバイトだし、じゃあ来るなよってね』


『うわ、最悪。大丈夫だったの?』


『店長が追っ払った。めっちゃうるさいんだもん。これぞ男気男気(⌒∇⌒)』


『ほれる?』


『論外』


ちょうど、りんの散歩をしていたときだった。いつもの理美ちゃん節にくすりと笑ってしまう。ちなみに今日は、理美ちゃんは来ていない。いつもの公園で、お昼は食べた。


理美ちゃんの影響というわけでもないけれど、前よりわたしは勉強に積極的になったんじゃないかと思う。苦手な理数系は、前は赤点じゃなければいいやくらいに思っていたけれど、せめて基礎的な部分だけは、きっちり分かるようになりたいと、先生たちに質問に行くようになった。たまに「体育」の授業があるけれど、「体育」という名の外出程度だったし、その単位も問題なく取れていた。もう3月だ。入学してから半年以上、あっという間だった。理美ちゃん以外の友達らしい友達は相変わらずいないけれど、たまに他の女子と会話することもあって、今のわたしにはそのくらいでいいかなーと、のんびり思ったりしていた。


勉強して、先生たちと話して、帰ってりんと過ごして、おばあちゃんとも話して。

お母さんやお父さんとも、以前よりずっと話すことが増えた。

そんな、穏やかな、けれど去年には想像もできなかった毎日。

たまたまとはいえ、それをわたしは、あの日永遠に失うところだったのだ。


とはいえ、今のわたしの生活が「大人」たちから見て、たぶん褒められたことじゃないことはわかっている。「普通」の力は、やっぱりとてもとても、大きい。

けれど、私服姿でまだ下校時間帯じゃない時間にりんの散歩に行ったり、買い物に出かけることにも、だんだんと慣れてきた。自分のことは正直まだ嫌いだけど、この生活を送れることが、とても嬉しかったし、前より勉強が楽しくなった。

だけど、爆弾はある日突然やってきた。


「琴音も17歳になったんだし、そろそろアルバイトしてもいいんじゃない?」


お母さんがそんなことを言ったのは、何でもない日の夕ご飯のときだった。

ハンバーグを割っていた箸が止まる。急に、胃がきゅっとなった。


「・・・・・・何で?」


「無理にとは言わないけど・・・・・・。お友達だって、アルバイトしてるんでしょう? それに琴音のお友達って、あの理美ちゃんっていう子だけなんじゃない? 琴音もそろそろ、もっと友達関係が広くなればいいと思うの。自分で使えるお金だって、増えるし」


理美ちゃんだけなのがそんなに悪いの?という、喉元のどもとまで出かかった言葉を、わたしはお茶で無理やり流し込んだ。お母さんが言っていることは、分かりたくないけれど、半分は分かるものだったし、去年のような心配を、もうかけたくなかったから。だからわたしは、「そうだね」とだけ、言った。

「考えてみるよ」と。お母さんは、あいまいに笑った。


温かかったはずのハンバーグが、なんだか急に脂っぽくなった気がした。

迷い箸になりかけたわたしの箸は、付け合わせのにんじんに突き刺さった。

肉の匂いにつられたのか、足元ではりんが物欲しそうに、きらきらとした目をこちらに向けていた。


『足りてるねー。ていうか、うちはあんまりお勧めしいないかな』


『そうなの?』


『うん。店長は頑固だけど、まあまあいい人。なんだけど、パートのひとたちが。なんか昼と夜で派閥みたいなのできちゃって、正直そっちのほうがめんどいかも』


『うわ、そういうのって、まだ続くんだね』


『続くんだね。嫌になる。あと、飲食はいろいろ大変かもね』


夕方、りんの散歩をしているときに理美ちゃんからのラインが返ってきた。

バイトを探してみたらと言われたことと、試しに理美ちゃんのお店で雇ってもらえないかと訊いたことへの返事が、これだった。


『バイトって、どうやって探せばいいんだろ?』


『それ用のアプリとか、コンビニのタウンワークとかにあるよ。兄貴はそっち経由だったはず。ちなみに居酒屋と、引っ越し屋。両方死にかけてた』


『うわあ・・・・・・』と打って、ほんとに「うわあ・・・・・・」と思っていると、またラインが来た。りんはさっさと帰ろう、帰ろうとリードを引っ張っているけれど、ごめんだけど、もうちょっとだけ・・・・・・。ほら、菜の花が咲いてるよ・・・・・。


『履歴書なんだけど、退学とか転校とか、何で単位制なの?っていうのは、きかれるかもしれない。今の場所に行くまで2件受けたけど、そこできかれた。そもそも、単位制って何?っていうところもあるし』


『履歴書』という使い慣れない単語もそうだけど、『単位制』がどうこうという理美ちゃん情報に、ただでさえ低いやる気が、ますますしぼんでいくのを感じた。

そうだよね。普通高校が当たり前で、「単位制」高校なんて言われても、ピンとくる人のほうが少ないだろう。でもなぁ・・・・・・。


『ていうか、急にどうしたの?』


『お母さんが、そろそろバイトでもしないかって。心配かけたくないけど、ちょっとキツイかも』


理美ちゃんだけが・・・・・・という部分は、もちろん書かなかった。

今度は返信まで、少し間があった。立ち止まってスマホを見ると、鼻息荒く帰り道を走っていたりんが(りんは、帰り道だけは走る)、これ以上にないくらい不満そうな顔で、眉間にしわまで寄せてて振り返った。抗議の声まであと少し。ごめん、帰ったらちゅーる(※犬用おやつ)あげるからね・・・・・・。


『とりあえず、準備だけしたらどうだろ? 履歴書用意するだけとか。気分的にも少し楽になるかもだし、ぜんぜん思ってなかったタイミングで使うかもよ』


『それいいかも。履歴書ってどこで売ってるんだっけ。証明写真とかいるんだよね?』


『そのへんは自分で調べておくれ。ちな、わたしは私服で撮ったよ』


理美ちゃんらしいアドバイス。スタンプにしようかと思ったけれど、「だね。ありがとう」と返信を打って、にっこりマークをつけておいた。理美ちゃんからは、「どういたしまして」と、お辞儀する猫のスタンプ。

こういう、なんていうか、適度な距離でいてくれるところも、理美ちゃんの魅力だと思う。もちろん菜の花なんてどうでもよくて、さらに機嫌が悪くなりすぎたりんが、他の犬にほえかかり始めた。わたしは慌てて、スマホをしまいこんだ。






















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