16.解決?

「『かるちべーと』ねえ・・・・・・」


丸10日間かけてようやく読み終えた短編を閉じたら、そんな独り言が漏れた。

図書館で借りた、太宰治の「パンドラのはこ」の中の、「正義と微笑」という話。本屋さんをうろついて、適当に本棚から差したり抜いたりしていたら(「谷崎はまだ早い」という田代先生の言っていたことは、なんとなくわかった)、こんな見出しが入ってきた。


「なぜ人生に勉強が必要なのか? 太宰治が解決済み!」


単細胞のわたしは、そうなの!?と思って、パラパラページをめくってみた。収録されているのは「正義と微笑」と「パンドラの匣」。怖いことに、「正義と微笑」だけでも180ページ以上あるし、そもそも読み切れるかどうかわからないのにお金を出すのも恐いので、3年ぶりくらいに図書館に行ってきた。返却ポストに投函すればいいから、コースは違うけれど、りんの散歩のついでに返せるし。


りんがわたしの足元を、垂れた耳をパタパタさせながら、メリーゴーランドのようにくるくる回っている。訴えかける眼は、キラキラ光線が出てきそうだ。


腹時計っていうやつ。りんは最近、ゆでた鳥のささみのおやつが大ブームだ。

週に3回。栄養バランスが整えられるというので、うちではりんのおやつはそういうことになっている。いちいちゆでていたら手間なので、Ⅰパックに5~6本入っているのを、わたしかおばあちゃんがゆでて、冷まして1本ずつラップして、冷蔵庫や冷凍庫にストックしている(お父さんお母さんは、動物もそうだけれど、動物の世話はもっと得意じゃない。それでも最近は、りんとのかかわりは増えているけれど)。


「お手!」


さっ。りんの右手が、わたしの左手に乗る。


「おかわり!」


さっ。もう一度。

温かい肉球が、手のひらに覆いかぶさる。


トイレはほとんどおばあちゃんだったけれど、「お手」はわたしが覚えさせた、りんの持ち芸だ。りんの中で、「お手」のかけ声と、手を乗せる動作と、ささみがもらえるを混ぜて、(お手と聞こて手を乗せると、どうやらいいことがあるらしい)と覚えてもらうのに、2週間くらいかかった。これが早いのか遅いのかは分からないけれど、初めて成功したときは飛び上がりたいくらい嬉しかった。細かく言うと違うんだろうけど、わたしとりんと、言葉が通じ合ったような気がして。


もう少ししたら夕方だから、そろそろりんを散歩に連れていこうかな。ささみを食べたのも、もう1時間近く前だし、たぶんお腹に残っていることもないだろうし。

りんには絶対に届かない棚の上に本を置きながら、そんなことを考える。


体形こそずいぶんダックスフンドらしくなったけれど、その短い脚でイスからテーブルに飛び乗って、うかつにもわたしが出しっぱなしにしていたココアのマグをひっくり返して、買ったばかりのノートをまっ茶色に染めた前科が、りんにはある。お母さんには「琴音の不注意」と言われたし、実際そのとおりだけど。とはいえ、そんなものを持って図書館に謝りにいくなんて勇気は、わたしにはない(あっても困るんだけれど)。


りんはささみのおかわりがないと悟ると、しばらくその辺をうろうろして匂いをかいで、わたしも適当にりんを呼んで適当に遊んでいると、気が変わったのか、おばあちゃんの部屋に行ってしまった。「あらあら、りんちゃん」と、奥からおばあちゃんの声。今頃、べたべたに甘やかされているのだろう。

寂しいような、嬉しいような。とにかく、手は空いたというか、手持ち無沙汰にはなった。なので、返却期限も近い「パンドラの匣」(というか、そのうちの「正義と微笑」という話だけ)を、ラストスパートをかけて読み切った、というところだ。


学生の主人公が、劇団員になるまでのお話。

幼稚なわたしにはこの程度の説明しかできないけれど、古い時代のことはともかく、読んでみたら意外と「わかる・・・・・・」という箇所があって、田代先生の言っていたのはこういうことかーと、納得した。

けれども。


もう一度、わたしはそのページをめくってみる。


「代数や幾何きかの勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。

植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かねばならん。日常の生活に直接役に立たない勉強こそ、将来、君たちの人生を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それからけろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチべートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗󠄁あんきしている事ではなくて、心を広く持つということなんだ。つまり、愛するということを知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残ってものだ。これだ。これが貴いのだ。そうしてその学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!」


今で言う、「熱血教師」が、主人公たち学生に言って、主人公たちがこのセリフに感激して泣きそうになったというシーン。

正直、うさん臭いうえに、暑苦しいとしか思えなかった。こんな先生がいたら、わたしなら絶対なえる。しかも「カルチベート」に、「カルチャー」って・・・・・・。

何?「カルチベート」って?カマンベールならわかるけど・・・・・・。


面倒だけどスマホで検索すると、「カルチベート」というのは、「修める、練磨する、深める」とか、そういう意味らしくて、ようはたぶん、幾何学とか単語とかをただ覚えるだけじゃなくて、そこから深く考えられるような人間になれ、そのためには勉強を惜しむなという、そんな意味なんだろう。田代先生のように、「損はない」の一言で済ませてくれればいいのに(たぶんそういう意味じゃないんじゃないかな)。

これじゃあ、「校長先生のお話ー!」と同じようなものだ。


これが、帯に書いてた「太宰治が解決済み!」ということなのかな。

最後まで読んでみたけれど、この「お話」が、主人公の悩みとか行動とか、結末とかと、繋がっているような気もするし、繋がっていないような気もする。ようするに、わかるようなわからないような。消化不良。意外と面白かったけれど、けれどわたしにはまだ早い話だったのかもしれない。そんな気がする。


ただ、共感できた、というか、「わかるなー」ってなったのは、将来のこと、自分はこれからどうしたらいいのか?っていうことに、主人公が大げさなくらい悩んでいて、でもよく考えたらわたしも主人公とそんなに違わないんじゃないかと思って、少なくとも今の高校に慣れるまではつぶれるくらい苦しかったなーとか、そう思い始めてから。そういう意味じゃ、「関係ない」っていう話じゃ、なかった。「わかった」というのは、もしかしたら違うのかもしれないけれど。


夕方だけれど、まだ暗くなるのは少し早い。


「りーん! お・さ・ん・ぽ! さんぽだよー!」


リードを手に巻き付けながら、奥の部屋に向かって呼びかける。

いつもどおり、こっちに来る気配すら、まったくない。







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