12.危険

期待していなかったけれど、友達ができた。

野崎理美のさきりみちゃん。二個上の、17歳。2年生。

わたしが初めて歴史の授業に参加したとき、難しい質問をしていたあの子だ。

「ちょうど1コマ空き時間ができたから」、時間つぶしに受講していたらしい。


理美ちゃん(でいいよと、先週言われた)は、はっきり言って頭がいい。

本人は何とも思っていないようだけれど、ねだって見せてもらった定期考査の答案はほとんどの科目が8か9割超えで、危うく赤点を取りかけたわたしからすれば、「こんな人もいるんだな・・・・・・」というような、一歩進んだ感じの子。

けれど本人はそれを自慢するわけでもなく、「や、嬉しくないわけじゃないのよ」と言いつつも、そんなに嬉しそうにしている姿を見たことがない。

どこの集団にも入らず、登校して、受講して、質問して、個別指導も受けて、用が済んだらさっさと帰っていく。なんというか、孤高の子だ。


そんな子とどうして知り合ったのか。

きっかけは、「お昼」だった。


新しい年を無事に迎える頃、わたしはすっかりこの学校の生活に慣れていた。

ただひとつ、「お昼」を除いて。


前にも言ったように、この学校では、グループやカーストといった問題が、ほとんどない。好きな者どおしで肩寄せ合って、それ以外は知ったことではない。びっくりするほど、それで通っている。前の学校で周囲に溶け込めず、孤立の穴に落ちていったわたしにとっては、集団を無理強いされないこの環境は、とてもありがたかった。


だからここからはわたしの問題なのだけれど、お昼をどこで食べたらいいのか。

そんなことを気にしてしまったのだ。


たいていの子は、お昼前に受講していた教室でそのまま食べて、帰る子は帰る、次の授業がある子は残る、そういう感じで、もちろん一人で食べている子もいたのだけれど。

そういう一人で食べている子はほとんどが男の子で、わたしのような女子は少数派だ。黒髪ロングの、いつもつまらなそうにしている子と、この前森崎先生が対応していた、自傷する子。教室で見かけるのは、その子たちくらい。


わかっている。ここではみんな、わたしのことなんて気にしていない。

というかわたしが、周りを気にしているんだ。

そんなに気になるなら自分から周りに飛び込めばいいのに、いじめの体験をした後のわたしは中学では考えられないくらい臆病になってしまった。塾の帰り道、みんなで駐車場で、コンビニの前で騒いでいたなんて、嘘みたいだ。


「集団」が、こわい。

ものを飲み込むとのどがしまってしまうから、お昼はいつもパンと飲み物。

さっとかじって、あんまり噛まずに飲み物で流し込む。

教室の中には話し声や笑い声が響いているのに、自分が食べる音がいやに大きく聞こえる。だれもわたしのことなんて話題にしていない。わかっていても、スマホとイヤフォンが手放せなかった。

音楽も歌詞もどうでもよかった。

あの子たちは、どうやって仲良くなったんだろう。けれど、たくさんの人との関係を今から作るのは、正直しんどい。予定だって入るだろうし、そのグループの中でのもめ事だってあるだろう。もちろん逆のこともいっぱいあるはずだけれど。


「キモイよ」


次にそう言われたら、今度こそわたしは終わってしまう。


けっきょくわたしが選んだ選択肢は、「外で食べる」だった。

かといって、アルバイトもしていないのに、お金があるわけでもなんでもない。

だから、いくら安いお店でも、そんなに週に何度も入ることはできない。

それでもどこかないかと考えて、空き時間にうろうろ歩き回って見つけたのが、総合展示館の空きスペースだった。


そこは、学校から歩いて15分くらい。

自主企画やイベント用のスペースを提供する3階建ての大きなビルで、建物の前にはパラソルつきの、木製のテーブルとデッキチェアがいくつも並んでいる。

そのうち数脚はスーツ姿の大人や、学生っぽい人で埋まっているけれど、たいてい2、3脚は空きスペースが残っていて、長時間利用でなければ、誰でも自由に座っていいことになっている。

昼休み、60分。展示場まで、往復30分。利用限度時間、30分。

高い天井は、ガラス張り。通路から横風は入るけれど、よほどの風じゃない限り、雨までは入り込んでこない。

あんまりいいことじゃないのだろうけど、これだ、と思った。ついでに言えば、木製のデッキチェアも、わたし好みの古い感じがして、硬いけれど気に入った。

試しに座ってみた。たくさんの人が、わたしのことなんて気にしている暇も興味もなく、通り過ぎていく。館内から洩れたゆったりした音楽が、しみ込んでくる。

そうして、わたしの昼休みスペースが見つかった。

温かい飲み物がゆっくりのどを通ったのは、なんだか久しぶりだった。


その日は雨だったので、空きスペースばかりだった。

だからいつも通り、お昼にわたしはそこに来て、音楽を聴きながら道を行く人たちをぼんやり眺めていた。


それまで気が付かなかったけど、街にはいろんな人がいる。

制服と、スーツ姿だけじゃないなんて、当たり前のことに気が付いた。


(でも、みんな「何か」なんだよな・・・・・・)


みんな、役割を持って歩いている。

スーツ姿の大人はみんな忙しそうで、わたしくらいの子や、大学生くらいの人たちも、どこかのお店の制服姿の人も、なんだかすごく、ちゃんとして見えた。

わたしも、将来ああなれるんだろうか。

みんなが持っているカラフルだったり、黒い傘。100円のビニール傘のわたし。

大学には行きたい。その前に、アルバイトもしなければならないだろう。

わたしにそれが、できるのかな・・・・・・。


ガラス越しに差し込む光は眩しいのに、寒さが肌を震わせた。


「キミ、いつもいるよねー? 何してんの?」


不意に声をかけられて横を向くと、知らない男の人が一人立っていた。

樹崩れた格好の茶髪のにきび顔で、眼鏡越しにニヤニヤしながらこちらを見ている。

瞬間、さっきとは違う寒気がはしった。


「いえ・・・なんでも・・・・・・」


「よかったらちょっと遊んでいかない? 俺、時間あるし」


まさか、こんな目に遭うとは思わなかった。周りを見渡すことも忘れて、心臓の音がどんどん早くなる。男がまた一歩近づいた。


「あの・・・・・・戻らないといけないんで・・・・・・」


「どこに? 学生? じゃないよね、制服じゃないもんね。いいじゃん、ヒマでしょ? 俺、いいとこ知ってるからさ。なんかおごるよ?」


情けないことに、脚が震えた。中学では男子とも普通に会話していたけど、目の前の男の目は、男子たちの目とは明らかに違う。


「じゃあ、決まり! 行こっかー」


そうして男がまた一歩近づいたとき、「やめなよ」と声がした。


男の後ろに立っていたのは、歴史の授業であのとき質問していた、きりっとした横顔の女の子だった。







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