9.授業

 第二の高校生活が始まった。


 「入学式」は会議室で行われ、わたしは元の「高校生」に戻った。

 「担任」は30代の、なぜか「おいら」が一人称の、渡瀬という太った男性。担任といってもクラスがあるわけではなく、何人かのばらばらの生徒、一人一人に対しての「担任」を、かけもちのようにして抱えているらしい。

 深く関わる気は最初からなかったので、とりあえずニコニコしておいた。あいさつは、可もなく不可もなく終わった。


「どうしようかな。とりあえず、授業出てみない?」


 変ではないけれど、いきなりの展開で、ぎょっとした。

そうだ、ここは学校だ。いくら私服OKで単位制で自由だからって、これからの生活で勉強や、友達関係は欠かせない・・・・・・。

 心臓のあたりがだんだん苦しくなったけれど、無理やり笑顔を作って「はい」と応える。得意科目はと訊かれて「現国です」と言うと、担任は開講時間を調べて、ごめん、今やってないんだよねーと言った。


「今やっているのって、何ですか?」


「日本史と数学だねー。隣と、その隣でやってるよー。行ってみるー?」


 間延びした口調がなんだかギャルっぽいのに、髭顔なのが全然似合わない。

ただ、自然にニコニコしているので、なんだか話しやすそうだなとは思った。


「じゃあ、日本史でいいですか?」


「いいよー。一緒に行こっかー。あ、そのままでいいからね」


 丸く膨らんだ背広の背中を追って、リノリウムの白い廊下を歩く。

ほんとうに隣の距離なのに、一歩一歩がこわくて、生唾を飲み込んだ。

 わたし、今度はやっていけるよね・・・・・・。もう、失敗なんてできないよ・・・・・・。それ以上考えてしまう前に、渡瀬先生がドアを開けた。


「今日から入学の、進藤さんですー。飛び込み行けますかー?」


「OKです! よく来たねー!」


 渡瀬先生の声に応えたのは、黒髪ロングの、黒シャツ黒ロングスカートと、黒一色の眼鏡をかけた若い女の先生だった(あとで知ったけど、森崎先生)。


 第一印象は、なんだか大学生のような人。

明るい感じだけど、不用意に踏み込まれそうな気配がぜんぜんない。

なんとなく、「お姉さん」という言葉が似合いそうな人だった。


「席とか決まってないから、適当に座ってねー」


「渡瀬先生、新しい子も大歓迎です! この子はぜひ私の側に!」


「えー、どうしようかなー」


 わたしではない。大人の、「先生」同士のやりとりだ。

前の高校は進学校で、常にピリピリした雰囲気で、先生同士も言葉を交わしているのをほとんど見たことがなかった。職員室なんて、先生じゃなくて刑務官の詰め所みたいだと、一部の子が言っていたっけ。

 それなのに何、この和気あいあい感・・・・・・。いったい何なんだここ・・・・・・。開始数秒で、わたしはカルチャーショックまっただ中だった。


 先生同士のやりとりから数秒後、わたしは適当に真ん中あたりの席に座った。

荷物は、量販店で買ったショルダーバックと、筆記用具だけ。

 前の学校で教科書参考書、課題でぱんぱんになった通学カバンを背負っていたときとの、差といったらない。


「えーと、どこまで行ってた私? しゃべりすぎて忘れたわ」


「おーくぼなんとかがどーこーいう話ー」


「おお、そいつだ。こいつがさー」


 後方に座っている、金髪ヤンキー系女子と、先生の会話。

何ここ?  大久保利通が「こいつ」扱い? え、ここ、だべり場??


 嫌な予感がして板書に目をやると、書かれている内容は普通というか、

ずいぶんかみ砕かれているけど、追ってみると時系列がキレイに整理されていて、

あとから入ったわたしにも、すんなり入ってくる。

 でもそれにしても。これってなんだか、デジャヴュ感が・・・・・・。

少し考えて、気が付いた。内容が、中3か、普通高校の入試レベルなのだ。


 教室には、5人の子がいた。


 日焼けした丸刈りの男の子。頬杖をついて、板書を取っている男の子。

黙々と板書を写している、きりっとした感じの女の子、ヤンキー女子、

 そしてわたしだ。自由な席ということで、みんなそれぞれ机3個分ほどの距離を置いて座っている。


 よくわかんないけどわたし、とんでもないところに来ちゃったんじゃ・・・・・・。


 慌ててノートを広げながら、正直そう思った。

渡瀬先生はもう外に出ていたけれど、そんなことに気づく余裕もなかった。


「お、勉強熱心、いいこといいこと!」


 お姉さん先生が、板書を始めたわたしを見て言う。

ああ、そういうこと言わないでよ、悪目立ちするじゃん・・・・・・。


軽く絶望していると、


「てかセンセー勉強してたの? うちらくらいんとき」


 後ろのヤンキー女子から、矢が飛んできた。


「んー? やってたんじゃない? 教員なれたし。 忘れた」


「それでセンセーやってんの? ウケる」


「うるさいな。はいはい、給料減っちゃうから授業再開ねー。次、行くよー」


 減ろ減ろーというヤンキー女子の声を、今度は華麗にスルー。

不思議なことに、ヤンキー女子も、それ以上は何も言わなかった。


 板書を書き写していると、尊王攘夷(読み仮名つき)とか西郷隆盛といった文字が並んでいて、まあ、もともと知らない話ではないので、今この話なんだなと、すぐ追いついた。


 少し驚いたのは、このお姉さん先生の話し方。

薩長同盟をBL(ボーイズラブ)のカップル成立になぞらえたのには思わず声が出そうになったけれど、話が楽しい。脱線しまくっているように聞こえるけど、じつは全然脱線していない。歴史と言えば、ひたすら年号と出来事、人物名の丸暗記をする科目で、実際中学生のときのわたしはそうしていた。

 けれどこの授業を聞いていると、何の面白みもないはずの歴史がなんだかドラマのように聞こえて、ちょっと楽しい。


 それでいて、例のきりっとした感じの女の子からのマニアックな質問(たぶん、国公立大学レベル)にもさらっと答えてくれ、それがまたわかりやすい。質問に回答してからの授業への戻り方も自然につながっていて、これも退屈しない。

 男の子たちはそれぞれ静かだし、ヤンキー女子は時々茶々を入れてくるけれど、先生は軽くかわして、ヤンキー女子もそれ以上深入りしない。


(なに、ここ・・・・・・。変だ。変すぎる・・・・・・)


 板書以外の先生の一言一言を吹き出しマークで書き込みながら、

嬉しいような不安なような、先の予想がまったくつかないまま、わたしの初めての授業は終わった。


 教室を出て習慣でスマホを開くと、待ち受けにしていたりんの写真が、こちらをのぞき込んでいた。

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