8.入学

「・・・・・・何の話?」


「自分のせいって、思っとるんじゃないんね?」


「・・・・・・そんなことない」


嘘だった。そうだと思ってた。

ネットには、「しつけをすれば、1週間から1カ月程度でトイレを覚えます」

と書いてあった。もちろん何もしないで勝手に覚えるわけがないから、わたしなりに一生懸命に「しつけ」をしていた。なのに、上手くいかない。

毎日トイレシートと消臭剤を持って走り回ってるそれで一日が終わってるんじゃないかというくらい、そのことに振り回されている。身体はともかく、頭が。

お前のせいだと、教室で聞いたのと同じセリフがどこかの奥で流れていた。

そんな気が、していた。


ふんっと、りんが鼻を鳴らす。

これは、なでろの合図か。


屈みこんでなでてみる。ふわふわの毛と、たれさがった小さな耳。毛の裏から、ほのかな体温が伝わってくる。おばあちゃんが行く古本屋のひとがかけていたはたきのように、りんのしっぽがふさふさと揺れる。

かわいいよ。かわいいんだけど・・・・・・。


続きを思ってしまいたくなくて、背を向けた。

階段を上るわたしを、追ってくる足音が聞こえたけど、振り向かなかった。

部屋のドアを閉めるときに、「ふんっ」と要求の声が聞こえたけれど、ちょっと考えてそっとドアを開けると、りんはとうの昔に姿を消していた。


「比べなくていい」


わたしがりんにしていることだと分かっている。分かっているんだけど。

その言葉は、どこかでわたしがわたしにしていることに向かってかけられた声のような気がした。けれど、わたしみたいな子が、比べないでどうやって過ごせばいいというのだろう。特別可愛いわけでもない(可愛かったら可愛かったらで面倒だけど)、運動も、勉強もぱっとしない、地味で目つきだけが悪い、伸ばしっぱなしの髪のように自分を持て余しているだけの女子。


自分より可愛い子。頭の良い子。運動神経が良い子。話が楽しい子。

その子たちの周りか、それ以外の輪の中に混ざれないことは、高校生活では致命的だ。クラスで一人でお弁当を食べていたのは、口数の少ない、少し気の強そうなクールな感じの成績のいい子、一人だけだった。本人がどう思っていたのかは今となっては分からないけれど、彼女は女子の間でも時々笑いものにされていた。

聞こえるように話されていたその声も、もちろん彼女には届いていたのだろうけど。


わたしだって、本当は・・・・・・。


気がつくとわたしの頬を、涙がつたっていた。



単位制高校への入学の話が決まったのは、それからさらに数週間後。

りんがトイレをいつのまにか覚え、相変わらず嫌そうに散歩に行き、ようやくわたしにも少しは懐いて、くせとか合図とか合間とか、そういうものがお互いに分かり合えるようになったころだった。


せめて高校くらいは出ておかないとと、わたしもなんとなく思っていた。だから、お母さんが持ってきたパンフレットにろくに目を通さず、電車で数駅の距離にあるというそこに行くと、即答した。

私服で良いということだったけれど、ほとんど一対一で行うということだったので、試験の日には一応制服を着ていった。


予想に反して、試験はあっという間だった。簡単な筆記と、それから一応面接というものを受けてきたのだけれど、「得意な教科は何ですか」とか、「将来なりたいものは何ですか」とか、小学校で聞いたような質問ばかりで、これが面接?っていうくらい、あっけなく終わった。

「受かるといいね」と帰りの車で母に言われたけど、わたしはあいまいに頷くことしかできなかった。


後々パンフレットをよく読むと、わたしが通うことになった「高校」は、東北の市内にあり、いくつかの県にそれぞれ小さなビルを設けている。そしてそこを、「分校」として扱っている。

「単位制」という名の通り、わたしが前まで通学していた普通の高校と違い、この学校には定められた時間割はない。大学のように、卒業までに必要な単位を取れれば、必須科目以外は自分で時間割を組めるというものだった。希望があれば、個別指導も別枠でやってくれるという。そうして勉強して、頑張ってわたしでも名前を知っている国公立大学の専門学部に行った子もいるというのだから、びっくりした。

頑張り次第ではそういう未来もある。そういうことなのだろう。


「校舎」は駅前のビルの3、4階で、3階は半分がオフィスのようになった職員室と、生徒用のフリースペース。残りの部屋は、それぞれが教室になっていて、クラスではなく教科ごと、時間割ごとに部屋が変わる。4階はスクールカウンセラーがいて、そういった場所を利用するそういう子たち用の、これまたフリースペース(ソファと漫画本や本)と、自習室(机とイスと参考書以外何もない。私語禁止)がある。

自習室には男女の私服の生徒が2人いたけれど、衝立ついたて付きの席と席を適当に話して、黙々とペンを走らせていた。その風景は、高校受験の前に通っていた、個別指導の塾に似ていた。


わたしが「入学試験」を受けたのは、3階の奥にある会議室で、そこまで進みながら、わたしはこっそり「フリースペース」を確認していた。

職員に近い側には、金髪の子や身体の大きくていかつい、いかにもヤンキーな子たちが、アイドルやバイクの話で盛り上がっている。そして中央から隅にかけて、大人しそうな感じの男子女子が、それぞれグループになったり、ならなかったりして、こちらはわりと静かに過ごしていた。女子でもひとりでぼーっとしている子がいて、けれどその子もぜんぜん孤立しているという感じじゃなくて、どうやら音楽を聴いていてそのまま眠ってしまったようだ(わたしの帰りがけ、先生に起こされていた)。

「カースト」。ぜんぜんないということはないのだろうけど、基本的にみんな自分と自分の周りの仲良し以外には関心がなく、関わらないし、関わられもしないというか、そんな様子だった。





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