4.由来

追い込まれると、本筋と関係ないことを思い出してしまう。


たとえば、「新藤琴音しんどうことね」という、わたしの名前の由来。


結果として命名したのは、祖母だったという。


子どものとき、「名前の由来」を親に尋ねるという宿題が出た。

相当に複雑な思いをする子もいたんじゃないかと思うけれど、たしか小学4年生のその日、そんな宿題が出た。


夕飯の席でわたしが尋ねると、まず母が手を止め、懐かしそうに語り始めた。


綾音あやね」か「̪詩音しおん」。

当初わたしは、そのどちらかの名前で、生まれてくるはずだった。


「綾音」はともかく、「詩音」は明らかに、芸術関係が好きな両親らしい。

そのどちらも特に得意でないわたしは、もしその名がそのまま通ってしまっていたら、たぶん今でも名前負けだと思っていたかもしれない。

ちなみに、「綾音」のほうは、「女の子らしくて、響きもかわいいと思ったから」だそうだ。ようは、直観だったらしい。

そのときは子どもながらに軽く扱われたようで腹が立ったけれど、案外命名というのも、そういうものなのかもしれない。


何はともあれ、「綾音」と「詩音」。

最終的に二択にまで絞り込んだけれど、その先が進まない。

夫婦であれでもない、これでもないと、頭を悩ませる日が続いた。


ある日、母が半ば考え疲れて、和室で書道の墨を擦っていた祖母に相談にいったところ、祖母はしばらく黙って、おもむろに「琴音」と書きつけたという。


「『藤』の字のはらい《・・・》がね、『今』に繋げたら綺麗きれいなんじゃないかって、思ったのよ」


「・・・ぜんぜんわかんない」


4年生。10歳のわたしには、何のことだかさっぱりわからなかったが、今になると祖母が言いたかったことが、ぼんやりと分かる。


「藤」の部首の、すっと横に流す、「はらい」の部分。よく、「水」に間違えられる箇所だ(実際、わたしも小学生の間は、よく間違えた)。


「藤」の字の「水」、じゃなくて「はらい」の部首。「今」という字の、書き始め。

ちょっと無理やりな気がするけれど、祖母にはこの両方が、書き終わりと書き始めで、つながっているように見えたのだという。

その後、遅れて帰宅した父も参加し、祖母と両親の意見を交えた結果が、「音」を残したわたしの名前、「琴音」だった。


ちなみに、その「今」という漢字の、カタカナの「ラ」の字を抜いた傘のようになっている部分のことを、部首では「人部じんぶ」というらしい。


新しい藤の花のような女の子が、琴の音のように響きながら生きてほしい。


亡くなった祖父を除く3人が、わたしの名前に込めた願いだった。


唇を、いっそ嚙み切りたかった。


わたしはぜんぜん、そんな名前にふさわしくない。

のけものにされて学校まで辞めて、きっとこれからのことも他の子よりたくさん考えなくちゃいけないのに、目の前の子犬一匹の名前すら、何も浮かんでこない。


子犬が、うるんだ瞳でこっちを見上げている。


見ないで・・・・・・、見ないでよ・・・・・・。

今度こそ本当に涙が出そうになった、そのときだった。








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