2.嘲笑

「笑えば?」


掃除時間の、教室という箱の中。3人にゆるく囲まれた、真ん中から左隅。

言われているのは、話しかけてやったんだから「笑えば?」ということ。

何を笑えというのだろう。

名前らしき蔑称べっしょうを呼ばれただけなのに。

用もないのに、呼び出されただけなのに。


主犯に呼び出されて、だれが笑えるものか。

なんていうことすら、わたしには思うことすらもできなかった。


両手でほうきを握りしめたまま。

こわばった身体で、口に広がる酸味を飲み下して、歩を進める。

結果なんてわかっている。わたしだって、馬鹿じゃない。

けれどわかっているだけで、わたしに拒否権なんてない。


そいつらにわたしのことは、壊れかけた道化にでも見えたのかもしれない。

ねじを巻かれれば歩くしかないブリキの人形みたいに、口角を持ち上げてみせるのだから。「コレデモウユルシテクレマスカ?」とでも、いうように。


含み笑いをする取り巻き2人。中央に座るあいつは時間差で、声をたてずに薄ら笑いを浮かべて言う。


「キモイよ」


それは、いつのまにか始まっていた。

何かとわかる何かをやってしまったわけではないけど、本が好きでぼんやりしがちだったわたしが、たまたまターゲットになった。実際のところは、だれでもよかった。均衡きんこうを保つための、スケープゴートがほしかった。

たぶん、そんなところだろう。


わたしの高校生活、1年生分。

6か月の在籍期間の半分と少しは、だいたいこういう毎日だった。

教室は、一部で不穏な空気をまといながらも、実際ちゃんと機能していた。


「いつも公園に制服姿の女の子がいる」


そんな通報をしたのは、だれだろう。

遠巻きにみていた、ママさんグループのだれかかもしれないし、

いつも散歩で通りかかっていた、だれかかもしれないし。

なるべく移動はするようにしていたけれど、昼間に制服姿でうろうろしていると、夜とはちがったかたちで、危険な目にあうだけだった。

子ども連れやお年寄りが多い公園のベンチは、だから一番都合がよかった。

けっきょく、それが裏目に出てしまったんだけど。


パート先から迎えにきた母の、蒼白になった顔を見たことに比べれば。

自分が作ったお弁当が、本当はどこで食べられているか知った、あの表情。

不健康な黒色と、色を失い白んだお面が、対峙したようだった。

ふたりとも、言葉を発せなかった。


あ、終わった。

そう思った。


それがこの生活のことなのか、この先の未来のことなのか、それとも何か別のことなのか。たぶん、どれもそうだった。そしてどれも、光には見えなかった。


不登校、保健室登校、三者面談、退学。

言葉にしてみれば14文字の空欄を、時間は繰り返し、ただ残酷に埋めていった。


「りん」が来てから何十日もするまで。

もしかしたら、半年近くかもしれない。


わたしは笑えなくなった。

それは何十日もして、「りん」がこの家にやってきた日にも、変わらなかった。



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