最終話 オーガスト日記
俺は日記を読みながら、そんなXとの思い出を思い返していた。
既に色が褪せてしまったクローバーがラミネートされた押し花のしおりを、最新ページに挟んでから日記を閉じる。
どうして俺はこれほど大事な記憶を今日まで忘れていたのだろうか。
あの出来事以降、夏休みが明けてからもXが学校に来ることはもちろん、姉と遊ぶことも全く無くなった。
俺はそれを少し不思議に思いつつも、まあ会えないって言ってたしそりゃあそうか、くらいの軽い心持ちでいた。
九月になって俺は一度Xの家を訪ねたことがあった。
Xが俺たちに会えないことは知っていたが、Xへの誕生日プレゼントを既に作ってしまった俺は、居ても立っても居られずついXの家へと押しかけてしまった。
インターホンを何度押しても、誰も出てくる気配が無かった。
Xは居なくともおばあちゃんくらい居るだろ、とも思ったがしかし何回押せども人の気配がしない。
俺は丹精込めて一生懸命作った自作の押し花のしおりを、Xの家の門のポストへと入れて、その日は帰ったのだった。
その出来事以降、Xに関わる事は今日まで一度たりともしてこなかった。
"してこなかった"
というか、なんなら今日この日記を見つけて読み返すまでは、Xという存在すら完全に頭から抜けていたのだ。
俺がまだ小学三年生だったあの夏。
まだ恋愛を知らず、幼く夢見心地だった頃。
俺は純粋にXに没頭していた。
そのため、Xと会わなくなっても、一年間くらいはたまにXのことを思い出す日はあった。
黄色いノートは交換日記の象徴だし、誰かがしおりを本に挟んでいるのを見るだけで、俺はXを意識してしまっていた。
しかし、考えたところでXが学校に来ることはなく、突然俺の目の前に現れるというようなこともなかった。
あれほど熱狂していたはずのXとの一夏も、俺が五年生になる頃にはもうすっかりと忘れてしまっていたのだ。
そんな当時から八年が経過した現在高校二年生の俺。
毎日勉強だとか部活だとかに忙しく、当時のように自然と戯れて遊んだ記憶は、その少年時代以降全く残っていない。
昔は公園に行って友達と会うだけでも、俺の目にはその一瞬一瞬の全てが魅力的かつ神秘的に映り、俺は体全体で自由を感じていた。
家でゲームをするにしても、多人数でパーティを開いてワイワイガヤガヤして、純粋な気持ちでゲームを楽しめていた。
しかし、今はもう違う。
当時のようなそんな童心は、自分でも気づかないうちにいつの間にか失われていた。
日々同じことの繰り返しで、そんな退廃的な現代の生活では、絶対的な楽しさの一つすら見出せない。
俺は、過去の栄光に縋り続ける。
もう一度、Xに会いたいな。
「おーい、ご飯できたよー、試食してー」
そんな姉の突然の大声に少しドキッとして、俺は手に持っていた例の日記を床に落としてしまった。
姉は大学生になってから自炊の練習を始めたようで、よく昼ごはんを作っては俺や両親に食べさせている。
そんなわけで、今日も一流料理人気取りの姉は、俺に自慢の昼ごはんを作ってくれたようだった。
俺は手から落としてしまった日記を拾おうとして、床に開いて落ちたその日記に手を伸ばした。
日記は偶然にもその最後のページを開いていた。
それを見た俺の目に、とある文章が映り込む。
その瞬間、俺の心臓を何か鋭利なものが貫いた気がした。
当時読んだあの日記の最新ページとはまた違う、初見の文章が、そこにはあったのだ。
その文章は殴り書きしたかのように少し乱れていた。
『このページに気づいてくれるかな。
さい後のさい後までかくし事してごめん。
本当は全部面と向かって言おうと思ってたのに。
けっ局、やっぱりこわくなって言えなかった。』
俺はその最初の数文を読んで、全身の鳥肌が立った。
それは、Xからの最期の交換日記だった。
『これが本当にさい後の日記かな。
実はね、わたし、ずっと病気だったんだ。
小さいころから。
生まれつき体が弱かったの。
病院にもたくさん入院して、
お医者さんともたくさん話をして、
本当は小学校にもあんまり行けてなかった。
実はこの2週間くらいもずっと入院してて、
病院の部屋で、君と交かん日記してたんだ。
ずっとだましててごめんね。
3か月くらい前にね、おばあちゃんが
お見まいにきてくれたことがあったの。
君も知ってるかと思うんだけど、
そのときに、君とおばあちゃんは知り合ったみたい。
わたしもそのころから君のことが気になりはじめたんだ。
病室から見た君はかぎりなく自由に見えてね。
ちゅう車場でねこと遊ぶ君をながめてたんだけど、
ねこに顔を引っかかれる君を見て、
わたしめちゃくちゃおかしくてわらったの。
おかげでいっぱい元気も出て、
いたいちりょうも、なんとかがんばれた。
わたしは少しずつそんな君のことがすきになった。
自由に遊ぶ君と、話してみたいって思うようになった。
そこで、なんとか話せないかなって考えてみたの。
それであの交かん日記を思いついたんだ。
われながらナイスアイデアだと思ったよ。
そうだ。またキセキがあってね。
実はわたしが君のお姉ちゃんとなかよくなったのは、
お姉ちゃんと君が姉弟だ、って知る前からなんだよ。
わたし学校あんまり行けてなかったから、
クラスに友だちが少なかったんだけど、
それでも、君のお姉ちゃんはなかよくしてくれた。
そしてある日お家に遊びに行ったら、
お家の中から君が出てきて、
わたしめちゃくちゃびっくりしたんだよ。
あのときはちょっと運命を感じちゃったな。
まだ話したいことはたくさんあるけれど、
こんなことがあって、わたしは学校をやめたの。
ただ体が弱いだけだったらまだがんばったんだけど、
どうやらわたしは長生きできないみたいでね。
手じゅつでもなおせないくらいの病気が見つかったんだ。
わたしそれ知ったときめちゃくちゃこわかったんだよ。
いつ死ぬのかすら分からないし、
日に日に体調が悪くなるのが自分でも分かって、
どうしようもできなくて、毎日ないた。
君にずっとかくしてたのも、
自由な君を悲しませたくなかったから。
ただ楽しそうな君を見るのが、わたしの生きがいだった。
けっ局は、ふ自由な君を見たくないっていう、
わたしの勝手なわがままなんだけどね。
ほんとにごめん。
書きすぎて、このページもうまっちゃいそうだね。
そろそろさい後にしようかな。
何回も言うけど、本当に本当に、ありがとう。
君のおかげで、今日まで生きてこれた。
つらいときも、がまんできた。
わたしは君におん返しできなかったから、
お空から、君のこと大切に見守っててあげるよ!
死にたくないよ。こわいよ。
一人になりたくない。さみしい。こわい。
さいごに一つだけ。
これからもずっと、大すきだよ。』
Xはあの年の夏に亡くなってしまったらしい。
そんなこと知る由もない当時の俺は、Xに会える夏休み明けをただただ楽しみにしていた。
届かない誕生日プレゼントを作って。
もうあの頃のXはどこにもいない。
あのXの柔らかい笑顔も、ひたすら前向きだった言葉も。
その全てが、俺の周りから少しずつ消えようとしている。
いやだ。いやだ。
俺は必死にXのことを思い出そうとした。
日記を読んで取り戻した記憶から、Xとの些細な出来事も全て思い出そうとする。
できるだけ当時の感覚を取り戻せるように。
あの頃の雰囲気を全身で感じるために。
大好きなXに、もう一度会うために。
俺はXに手紙を出すことにした。
今更焦ったって、Xに届くことはないだろう。
そんなことは分かっている。
でも、それでも体が言うことを聞かなかった。
オーガスト日記の空白の1ページを切り取って、綺麗に四つ折りにする。
そして開いたその1枚のノートを、手紙にするのだ。
罫線なんか無視して。
できるだけ大きく、読みやすく、綺麗に書く。
最後に手紙をまた四つ折りにして、目を閉じて一生懸命気持ちを込める。
Xのことを考えながら。
俺は手紙を書き終えると、持っていたシャーペンなんか全く気にせず放り投げ、自室のドアを押し倒すように廊下へ出た。
キッチンの近くを通ると、姉から
「ご飯冷めるよ」
なんて言われたが、そんなことはこの際どうでもいい。
俺は靴も履かずに裸足のまま、家の庭へと飛び出した。
火を焚く。
庭に落ちていた木の棒をいくつかかき集めて作った薪に、乾燥した草をのせたあと、マッチ棒で火をつけた。
慣れない作業で少し困惑したが、意外にも火をつけるのはそれほど難しくはなかった。
俺は炎が大きくなってその煙が空に向かったのを見て、赤赤と燃えるその火炎の上に、手紙をそっと優しく置いた。
四つ折りの小さな長方形が、端から少しずつ黒くなってはすぐに溶けていく。
数秒もしないうちに、その全てが綺麗に灰になってしまった。
俺は自然と涙が溢れた。
溢れて溢れて、止まらない。
今泣くのは駄目だ、Xに見られてしまう。
そう思って何度も服の袖で目を擦る。
それでも、俺の涙は止まることはなかった。
涙で炎がキラキラと円を描いて輝いて見える。
俺は、その炎の煙の行方をじっと見つめたり空を見たりを繰り返して、Xのことを想いながら、また泣き続けるのだった。
『会いたい。ただひたすら会いたい。
だけど、もうそんな夢も叶わない。
俺は後悔した。
まだ君には時間があると思っていたんだ。
君の誕生日だって祝いたかった。
結局これが遺書になるなんて、
未だに信じられないよ。』
オーガスト日記────完────
オーガスト日記 杞結 @suzumushi3364
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