僕とプロポーズ

 彼女がそれに気付いたのは、僕にとっては不幸なことに、神社の鳥居が見えた時だった。


「そういえば、初デートもこの神社だったね」

 前方に小さく見える鳥居を指差し、彼女は無邪気な子犬のみたいに微笑んだ。

 いつも僕を魅了するこの笑顔。だけど、今の僕は、引きつった笑みを返すだけで精一杯だった。


 原因は、紛失した例の小箱のせいだ。


 彼女が到着するまで、思いつく限りの場所を探したけど、例の小箱は見つからなかった。

 正直、彼女と一緒に夕飯に行ってる場合じゃないと思う。少なくとも、今日のデートは中止にするしかない、というのが僕の本音だった。


 でも、改札口に現れた彼女は開口一番、こう言ったのだ。

「今日で付き合い始めて5年になるね。だから、わざわざデートに誘ってくれたの?」

 いつもは子犬みたいに無邪気に笑う彼女が、はにかむような笑顔を浮かべていた。


 気がつくと、僕は例の神社の参道を歩いていた。

 デート中止? 僕に、この笑顔を曇らせろというのか?


 しかし、ここからどうする? 今日のプランはもう破綻しているんだぞ?

 石段を1歩踏みしめる度に、胃の中に重い石が1つずつ落とされていく気分だ。


 そんな気分で石段を上っていたせいだろう。僕は全然周囲が見えてなかった。


 階段を降りて来る小学生くらいの男の子と、僕は正面衝突した。


 よろけた拍子に、僕のポケットの中から、物が飛び出す。車のキーやらスマホやら、石段を転げ落ちていく。


「すまない。君、大丈夫か?」

 石段に尻もちをついた僕が問いかける。


「オレは平気。兄ちゃんは?」

 黄色い帽子の男の子が、僕に手を差し出す。

 どうやら、男の子はスポーツでもして鍛えているらしい。大人の僕とぶつかっても、バランス1つ崩していない。実に堂々とした立ち姿。

 首にぶら下がっている黄色の子供用スマホが、恐ろしく似合ってなかった。


「2人とも大丈夫? 私、スマホとか、拾ってくるね」

 彼女は僕の落とした物を追いかけて、石段を降りて行った。


「兄ちゃん、他に落し物はない? 確認してみてよ。懐のポケットとかさ」

「あ、あぁ」

 男の子に促されるまま、僕はジャケットの内ポケットに手を突っ込む。


 瞬間、僕の時間が止まった気がした。

 この感触は間違いない。

 シワのよったジャケットに頭を突っ込むような勢いで、僕は内ポケットを覗きこむ。


 そこにあったのは、上品なビロードの白い小箱だった。

 でも、安心するのはまだ早い。念のため、僕は、そろっと小箱を開けてみる。

 そこには、砂粒みたいに小さいけれど、まぶしく輝く光が確かにあった。


 全身の力が抜けて、僕は思わず石段にへたり込んだ。


「おーい、兄ちゃん?」

 男の子が尖った歯を覗かせながらニヤニヤ笑っている。

「もう大丈夫だよな?」


「あ、あぁ、そうだね……」


 僕の返事に、男の子は尖った歯を見せてニンマリ笑った。


「じゃあ、オレは行くね」

 そう言うと、男の子は風のように石段を走り降りていく。

 すれ違う瞬間、僕にだけ聞こえる声で囁いた。

「末永くお幸せに、お2人さん」


「キミは――?」

 問いかけようとする間に、男の子の姿は見えなくなった。


「どうかした?」

 やわらかい春風と一緒に彼女が戻ってきた。手には、僕の車のキーやらスマホを持っている。


「大丈夫」

 ボクは懐の中の白い小箱をそっと握りながら、立ちあがる。

 そして、僕と彼女は並んで神社の境内に向かって歩き始めた。


 これで、僕がプロポーズをするまでの物語はおしまいだ。


 プロポーズの結果?

 それは、まぁ、例の神社にお参りすれば分かると思う。

 なにせ、厄除けで有名だというのに、縁結びまで叶えてくれたのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

75分の1の鬼 芝草 @km-siba93

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ